アルバム「君の知らない君の歌」

いつだったか、僕は、ある恋愛話をしました。その恋が終わった後も、

 

「今も、一日たりとも、その彼女のことを思い出さない日はない」

 

と、ステージで話しました。生活の、何気ない一瞬で、彼女のことを思い出すのです。本当に、その恋愛は楽しくて、楽しくて。

 

その女性の住んでいたところは、きっと、その昔、桜並木に挟まれた上水道があったのだろうな。それが由縁となって地名がついたのだろうなと思っています。その頃の僕は、

 

「恋愛って、こんなに素敵なものなんだ。」

 

と、毎日過ごしていました。もう、このまま結婚することになるだろと。

しかし、そうはなりませんでした。なぜ、別れたのかの理由は書きません。理由は、確かにありました。それは、その頃の僕たちの理由でした。

今、この年になると、「あんなことぐらいで」と、思えてしまっています。それでも、その時には、精一杯の理由だったんです。今ですか?もちろん今でも会ってみたいと思っていますよ。僕は、年をとりましたが、彼女はあの頃のままです。

 

昨日のブログに「ネットは怖い」と、書きましたが、実のところ、そうは思っていません。感謝しています。ある日、丸一日暇だった僕は、思いつく限りのキーワードを並べ、検索したのです。数時間、思いつく限り・・。

 

そ写真は、バーベキューをしている家族の写真でした。彼女でした。幸せそうでした。心から、救われたような気持ちになったのです。ずっと、ずっと思ってたんです。幸せであって欲しいと。

 

僕の歌には、忘れられない恋を歌ったものがあります。恋愛は、その恋が終われば、「女性は見切りが早い」「男は、いつまでも引きずっている」と、考察されることが多いようですが、それは本当でしょうか?恋愛の深さによって違うのではないでしょうか?

 

写真を見つけた後、僕は、彼女のことを歌った曲だけでアルバムを作ってみたいと思いました。それが「君の知らない君の歌」です。レコーディングは、切なさいっぱいで進んで行きました。「君の知らない君の歌」の完成後、僕には不思議なことが起こりました。思い出さないのです。彼女のことを。毎日のように、思い出すことがなくなりました。

もちろん、キーワードとなるものが現れると、ふいに思い出したりすることはありますが、もう、毎日ではありません。

 

僕は、長い間、その恋愛、別れを浄化できてなかったのだと気づきました。どこかに、すまなさや、申し訳なさを抱えながら生きてきていたのです。

 

アルバム「君の知らない君の歌」を、作り終えたことで、本当の意味で、すべてを想い出に変えられたのだなと思いました。「君の知らない君の歌」を聴いた方々から「ひとつの映画を観たような気持ちになった」と、言われました。気持ちは、伝わるものですね。そうです。僕の映画です。

ASKA

ちょっと待って

こんばんは。

 

ザビエルです・・。

 

今、部屋に戻りました。何でしょう?このコメント数・・。ザビエル、ザビエル、ザビエル、ザビエル・・。

 

夕方から、ここを見ていなかったので、今、参っています。ザビエル症候群に陥っています。だから、生えてる!ってば。今は、芝生だってばぁ。

 

ホント、怖いな。ネット・・。

Live doorやYahooニュースにまで、ザビエル化が掲載されてる。明日中に300万アクセスを超えることなどは、どこにも書かれてない・・。何なの、この偏った報道。

 

今日は、友人の誘いにより、隠れ家のようなところで、刺身、サカナを食べてきました。みなさんは、僕が生ものを嫌いだと思われているようですが、マンモス間違いです。ちょっと、古いな・・。

 

血の滴るようなレア肉、馬刺し以外は何でも食べます。馬刺しは、あの優しい目をした馬を見ると、とても食べられないという、食わず嫌いです。

 

これから、みなさんのコメントを拝読させていただきます。

ザビエルを。

ASKA

近況

僕は4ヶ月の隔離病棟生活の中で、何と髪の毛ががっつり抜けてしまいました。シャワー上がりに、鏡に向かうと頭皮がスケスケに見えてしまうんです。特に、頭頂は激しく、フランシスコ・ザビエルのようになってしまいました。

もう、このままこのようになっていくのかと思うと、哀しくなりました。

看護師たちは、

 

「ストレスですよ。」

 

と、言いました。

僕は、このブログで「入院生活は過酷だった」と、書きましたが、ストレスはあまり感じていませんでした。しかし、気がついていなかっただけで、症状は出ていたのですね。この姿を、ステージで見せる勇気はないなぁと。

 

CHAGEは良いんです。似合っていますし、しぶとく残っているどころか、増えていますから。

 

僕は、似合わないんです。これで、ラブソングを歌えるのだろうかと・・。

恐怖を覚えました。とにかく指に触れる感触がつるつるなのですから。

 

九州の病院では、本当に自由な生活をさせてもらいました。心が元気になってくると、変わるものですね。

 

今ですか?

ザビエルの部分に、芝生のようになった毛が、びっしりと生えてきました。あと、4ヶ月もすれば、元どおりになるでしょう。一安心です。

 

「曲を聴かせろ」というコメントが多いですが、僕にとっても、「望むところだ」という心境です。今は、まだミックスダウン前であり、データで作ったままですので、これから生楽器に差し替えなくてはなりません。聴いていただくのは、そのオケの差し替え後ということになります。僕にとっての二歩目はそれですね。フルサイズは無理ですが、「こう言う楽曲なんだ」というものを、リリース前には、どこかで公開したいと思っています。どれも、自信作です。今の悩みは、選曲です。どれも、聴いてもらいたい楽曲ばかりですから。

 

それから、みなさんには驚きとなるプロジェクトを組みました。その楽曲も平行してやってたのです。僕は、事件を起こしてしまいましたので、それが世のなかで取り上げられることはないでしょうが、大満足な仕上がりになっています。いいんです。これができたことの喜びは大変なものです。そのうち必ず、公開しますので、待っていてください。必ずや、心を動かせる楽曲になったと信じています。

本当に、早く届けたい。

ASKA

 

詩を書き上げた後、ベッドで、うたた寝をしてしまっていました。
散文詩を書く上で、僕にも憧れの人がいます。言葉の切れや、最後の一行の掴んで離さないどんでん返しが、その人の持ち味でした。

僕など、到底及びません。詩は想像の賜です。そこに現実を感じさせる言葉を連ねたり、そこに、その言葉を置くことで、突然詩としての息吹をあげます。どう受け取っていただいても構いません。「君」という言葉を使いたかった。

それだけです。僕は、これからも何があってもラブソングを歌っていきたいと思います。

当初、「僕には夢が必要だ」となっていました。これでは、あまりにも安易で、

詩の深さを欠落させてしまいます。「君」と書くことで、多面の形相を見せます。

 

言葉は、吟味されます。なので時間はかかります。

 

その人の詩は深く、僕も理解へたどり着かないものが多く存在まします。それでも惹かれるのです。僕の想像が追いつかないのです。

これからもラブソング、またはそう感じるものを臆せず書いていこうかと思っています。「そう思われないように」。そこに気を張っていては、作品ができません。テーマがあまりにも制約されてしまうからです。詩は、歌と同じように自由でなければなりません。それが、伝えられられなかったということは、僕の未熟さを表します。「君」は、たくさんの意味を孕んでいます。いろんな解釈で結構です。

 

あれ、目が覚めてしまいました。少しの間、眠くなるまで起きていようかなと思っています。大丈夫です。朝、ゆっくり起きればいいだけのことですから。

みなさんは、夢の中。おやすんでいてください。

 ASKA

カーネギーの法則

目の前にある大きな障害を乗り越えること。それを英語では。

Over mountain

と、言います。僕には、今、それらがたくさんあります。重い塊となっています。そんな時、必ず思い出すのです。人間の心の中にある悩みは、ひとつではないというのです。これも、あれもが加わって、ひとつの塊となっているのだそうです。

カーネギーの法則によれば、そうなっています。では、どうすれば楽になることができるか。ひとつを外すのです。たった、ひとつをです。どれを外すかは、その人に託されています。まず、ひとつが解決されたら、後は、バラバラと崩れ去り、塊ではなくなります。一気に心が軽くなります。それができたら、次を外す力が備わります。外すごとに、悩みは小さく軽いものとなっていきます。

 

みなさんも、心当たりがおありならば、このカーネギーの法則によって、行動されてみてはいかがでしょうか?

 

僕は、これで何度も助けられていますし、今もまた、突きつけられた現在の状況を、これで乗り越えて行こうと考えています。

ASKA

「古代イスラエル」がコメントにありましたので

とりとめのない詩

 

 

読み手に気づかれなかった詩は

ひっそりと自分の身体を解いてしまう

 

そして一本の線の集まりになって

風に吹かれて消えて行く

 

カレンダーが五十音のようになって

数字を並べている

 

忙しさがカレンダーの象徴であるなら

いまの僕は十分に休息を保っている

だが

どう休息していいのかわからない

 

何も書かれていない真っ白な紙があると

責任のように文字を連ねてしまう

春よ

君の訪れのように僕の言葉は蕾を膨らませるのだ

 

一夜を越えて書きあがった詩を眺めるときに思う

眠れない詩人よりも眠らない詩人でありたいと

 

真夜中に張り詰めていたギターの弦が

ひとりきりでプツリと切れる

 

という書き出しはどうだろうか

 

あれは金曜日が花束のようにやってきた日だった

 

と書くのはどうだろう

 

歌が無限であるように詩も無限なのだ

 

日本の文化の根底にはイスラエルがある

僕たちは気づかないうちにヘブライ語をたくさん喋っている

 

と考えながら書いて来たこれまでの詩にも

彼方ヘブライが混ざり合っている

 

すべては混ざり合っている

単一化されたものなどどこにもない

 

気持ちはひとつと言うが

様々な気持ちや経験が混ざり合ってひとつになっている

ひとつとは言葉が見せているだけのマジックにすぎない

けれど

ひとつになりたいと語る言葉には嘘はない

 

と書けば共鳴してくれるだろうか

それとも冷めた人間に思われるだろうか

 

そう書くことで保身しながら

言葉の景色にはいつも気を配っている

 

もうすぐ夜が明ける

この詩に気づいてくれるのは誰だ

 

 

散文詩

僕の、散文詩はね。

新しくできあがったものを、順に載せているわけではないんです。

ここ、2年間で130以上の作品が生まれました。書き連ねているブログの反響を受けてや、世間の流れで決めているわけではありません。ホントに、ふと目についた作品を掲載しているだけです。なので、流れにそぐわない、空気を察してない作品が現れることがありますので、あまり気にしないでください。

 

とても、気まぐれです。毎日じゃないときもあるし、1日に2作品、3作品のときもあるでしょう。ブログを更新しない日もあるかとは思いますが、そういうものだと思っています。

 

明日は(もう今日か)、書けるかどうかわかりません。また、移動いたしますので。マスコミには、アルバムのプロモーションの時に、騒いでもらいたいものだと思っています。

 

そういうのには、興味はないんだろうなぁ。

そこに向かって、頑張ろうとしてるのに。

 

みなさん、おやすみなさい。

ASKA

Ella Fitzgerald

今、詩を書きながら、

Ella Fitzgerald

を、聴いています。ジャズシンガーです。デビュー5年を過ぎた辺りで、このシンガーと巡り会いました。クーラーの効いた真夏の部屋で、Ellaの曲を聴くのが、最高の贅沢でした。それだけではなく、クリスマスにもピッタリなのです。僕が、「tomorrow」を書いたときに、プロデューサーの山里から、

 

「何だっけ?このメロディ。誰かの名作を感じるんだよなぁ・・。」

 

結局、分からぬままで、レコーディングは進みました。それから、10数年後、久しぶりにElla Fitzgeraldを聴いているときに、ハッとしたんです。「Someone To Watch Over Me」でした。こんな、感じで、知らず知らずのうちに影響を受けているものなんですねぇ。

 

iTunesで、ダウンロードして聴いてみて下さい。本当に、素晴らしい声、メロディですから。アルバム全曲が、このようなテイストで収められています。

ASKA

1ヶ月間

今日の、アクセス、コメント数に驚いています。物見遊山の方たちも多いでしょうね。いずれにせよ「ありがとうございます」という言葉しか、出てきません。

 

ブログ開設時は、1ヶ月で、10万アクセスあれば幸せなことだと思っていました。謙虚に言っているわけではありません。本当に、そう思っていたのです。

 

温かい励ましのコメントは、沈んでいた僕の心に勇気と活力をくれます。ダメなことに遭遇した場合、直ぐに迂回する賢さと要領の良さは、僕には無いようです。それは、子供の頃からそうでした。飛び越えられない川があったとしても、橋を探すことはせず、「次は飛び越えられるかもしれない」と、何度も挑戦してしまうのです。

「夢の斜面見上げて、いつかは行けそうな気がするから」と、

on your mark”で歌いました。これは、性格、性分というやつで、魂によく似たものであり備わったものなので、これからも変わらないと思うのです。

 

厳しい意見に、目を背けるつもりはありません。そのための全解放コメント欄です。胸に突き刺さるものもありますが、覚悟というものはそのために用意されています。言葉足らずで、誤解されているなぁと言う気持ちも生まれています。しかし、その手の意見は、世間一般の考え方として、もっともなものであり、僕なりに受け入れているつもりです。僕には、その場をクラッシュさせないために「相手を認めろ」と、いう考え方があります。たとえば、トラブル、摩擦は、自分の主張をやり投げのように放り投げたときに、生じやすいと思っています。相手にも、意志、主張があります。それを「認める」ことによって、おおかた解決されます。心を柔らかくするということでしょう。

 

今日、明日中に200万人、いや200万回のアクセスとなります。コメントは膨大ですが、コメントをされない方は、もっと膨大です。サイレントマジョリティの方々です。実は、こういう方の心の動きに、敏感になって文字を走らせなければならないと思っています。

 

「夢を見るのはひとりでいい」。

これに、反応された方たちが多かったようですが、これは、山の頂を指示するということです。登り道は、みんなで考えればいい。そして、登頂できたときの達成感は、みんなで味わう。喜び合う。これのたとえとして書かせて頂きました。成功している多くの大企業、または大企業ではなくてもいい。それがなされるときは、この考え方によって実現を見ることが多いのです。

「船頭多くして船山に登る」

これによって、失敗、分解している人たちが、溢れるほど存在するのが現実社会です。

 

意外かもしれませんが、僕の欠点のひとつには「他人の言うことを聞きすぎる」「他人に、影響されやすい」と、いうのがあります。迷いが生じやすいのです。

これは、プロデューサーであるナベさんかも指摘されました。一度、景色が見えたのならば、そこに向かって突っ走る。その姿に周りは誘発されてついてくる。

なので、

「今を強く生きる」

そこにたどり着くための意思表明と受け取っていただければ幸いです。

 

「時期尚早」に対して「手おくれ」があります。2年間の焦燥期間がありました。顔を伏せていては、何も始まらないと考えました。スタッフ(曲)は、十分にあります。力も備わりました。後は、足を踏み出すだけです。一歩踏み出すと、当然向かい風が頬に当たります。そこで躊躇するのは、二歩目の勇気が備わっていないからです。二歩目の次は三歩めです。この実感を味わいたい。試したい。後は、何があっても怯まない。第一歩目が、このブログだったのでしょう。

1ヶ月間、お付き合い下さい。

ASKA

 

マスコミのみなさんへ

非常に、迷惑です。

 

家に来られるのは、もう予想して行動しております。

家族へのフラッシュ攻撃は控えてください。しばらく、東京を離れます。

 

まぁ、息抜きにもなりますけどね。

ちなみに、福岡ではありません。重病を抱えた母の元へ行くのは止めて下さい。

 

とにかく、インターホンを鳴らすのは止めて下さい。

切なお願いです。

 

ブログは、どこからも書ける。

便利な時代になりました。

ASKA

「グッディ」のみなさんへ。

「グッディ」

一部を除いては良かったですね。司会の安藤さんやコメンテータのみなさんに助けられましたね。あのお医者さんは、ごく一般的なコメントをしただけです。

おそらく精神科医の99%は、あのように答えるでしょう。テキストや講義、経験則によっての分析です。しかし、直接、僕が証拠資料を提出すると、黙ってしまうのだと思います。テクノロジーに対して遅れています。僕も、最初は気のせいだと、思い込むようにしていましたから。ネット上では、「モンスターハンターゲームの勘違いだ」を取り上げ、そこを強調した書き込みが広がりましたが、「700番」で書いた、僕と社長の会話を、携帯の留守録に送りつけてきたのは誰だ?と、いう疑問に触れている人は誰も居ませんでした。その携帯は、今でもありますが、おそらくバッテリーが死んで機能しないでしょう。残念ながら、その証拠は無いということになります。また、わざわざ嘘の電話番号を伝えてきた宅急便の配達員のことにもです。僕は、ちゃんと相手に番号を確信して、すぐ折り返したのですから。「現在、使われておりません」のアナウンスですよ。しかも、配達管内ではない営業所の配達員が電話をかけてくるでしょうか?

 

今日の、医者のような発言を、「覚せい剤使用者差別」と、呼びました。医学は進歩していますが、情報化時代の進歩には、知識が追いついていないということです。

止めましょう。

 

「グッディ」のみなさん、ここに訪れてくれている方々は、喜んでくれましたよ。喜ばせてくれて、ありがとうございました。再始動の時まで、番組を続けられてください。その時は、一緒にやりましょう。

 

 

 

 

あ、「隣で、ハモって下さい」と、いう意味ですよ。

失礼いたしました。

ASKA

治療について。

みなさんを心配させるようなことを書きますが、治療薬は飲んでいないんです。

精神薬の殆どは、治療薬ではなくて、対処薬なのです。つまり、一方的に脳を抑えつけて、一日中ボーッとさせるだけなのです。九州の医師との会話で、こんなやり取りがありました。

 

ASKAさん、病名は何にしましょうか?」

「病名は必要ないんじゃないですか?」

「そうですよねぇ。しかし、カルテには何か病名をつけなくてはならなくて・・。」

 

病院に居るからには、病名をつける必要があるとのことでした。

 

「薬物依存と書いてよろしいですか?」

「依存も何もないですよ。」

「もちろん、分かっております。でも、ここは病院ですから何か書かなくてはならなくて・・。」

「仕方ないですね。経緯が経緯ですからねぇ。分かりました。では、そうしてください。」

 

「病気ではない」と診断されたのですが、前にも書きましたとおり、医療保護入院の後は、一度任意入院に切り替える必要があるのです。なので、更の入院となってしまいました。ここのコメントでも見かけますが、「絶対に治らない」「フラッシュバックなどに見舞われる」。・・。フラッシュバックとは、どういうものなのでしょうか?

 

先日、ダルクの館長が遊びに来てくれたときに、

 

ASKAさんは、異例です。何の障害も見当たらないですからね。僕は、これまでの講演で、薬物は一生治らないと話をしてきたのですが、ASKSAさんを見て、薬物障害は治るという発言に変えたんですよ。」

 

やってしまった僕がこれを言うと、「オマエが発言することではない」と、言われるでしょうが、事実なので書きます。警察発表の10日に3gだったというのは、誤解報道で、「そんなこともあった」というのが事実です。銀行口座を調べた警察がいちばんよく知っているはずです。僕は、大方1ヶ月に3gでした。ダルクの方や僕の知る限り、吸引をする人は一度(一日)に1g程度使用しますので、1ヶ月に3gだった僕は微量も微量だったんです。専門家やレポーターが、一度の使用量は0,25gと語っています。なので「ASKA被告の量は末期的な使用量です」と、報じましたが、0.25gというのは注射の場合の量です。やってしまった僕が言いうことではないことは、よく分かっております。犯罪には変わりはないからですね。「女性自身」は、未だに「3年間、オレがASKAにクスリを売った。月に50gのときもあった。ASKAの携帯番号もある。」と発言するヤクザの記事を書いています。携帯番号、見せてもらおうじゃないですか。文春は、「月に10gだった」と、書きました。入手先は別々ということなので、併せると月に60gということになります。致死量じゃないですか。これは言い訳ではなく、みなさんが薬物障害のことをご心配されていますので、あんな記事は嘘だということを説明したく書かせていただきました。

 

僕には、欲求も障害もありません。ただ、「目の前にそれが出てきた時には、どうなるかわからない」という、気持ちになることを知っておかなくてはなりません。いや、一度、8ヶ月止めていたにも関わらず、それを回避できなかった事実がありますからね。あの時のような気持ち、行動が、それなのでしょう。

本当に、みなさんにはご心配、ご迷惑をおかけしました。

 

そして、盗聴盗撮に苦しんでおられる方、ご必要でしたら、僕の持っている証拠を全部差し上げても良いですよ。ただ、ごめんなさい「一緒に戦おう」と、いう気にはなれないのです。やるときはひとりでやります。

 

でもね、もうね。「仕事の邪魔、こういう発信の邪魔だけはするな」という気持ちだけなんです。僕は、黙っていてあげたでしょう?もう死んだ人は帰って来ないのだから、このままにしておいてあげますよ。君たちが、殺すつもりではなかったことは知っています。あれは事故だという気持ちも理解しています。どうですか?僕から離れませんか?僕の音楽制作を邪魔しないでくれませんか。

 

朝から重い話でごめんなさい。

 

グッディは1時45分からみたいですね。僕も、自分の不機嫌な顔を観てみましょう。何せ、体型が変わっていますから。体重、90キロですからね。

 

 

 

 

 

 

 

嘘です。

ASKA

ノンストップではありませんでした。

グッデー?

グッディ?

という番組だそうです。

観たことがありません。

 

今度は、ちゃんと対応しました。

録画予約された方が、いらっしゃったようなので、伝えておかなくてはと思いまして。

 

ASKA

 

 

やられちゃいました。。。

午前中から、青山で知人と会って家に戻ったら、やられちゃいました。フジテレビのカメラでした。ものすごくクールに対応してしまったので、とても機嫌が悪く映ってしまったかもしれません。カメラマンさん、本当は、ちゃんと対応したいんですよ。勝手に口を開くわけにはいかないんです。

 

「ブログはASKAさんですか?」

「はい。そうです。」

 

番組「ノンストップ」だったんでしょうか?設楽さんの番組リードが好きで、よく観ているのですから、そこのところ、よろしく御願いいたします。

 

それから、僕の文章のキャラが違いますか・・。 そうかもしれません。

今、僕はいつまでも頭を垂れながら、済まな顔ではダメだと思っているからです。あることを完結いたしました。気持ちの切り替えができました。僕が強くあらなければ、周りはどう仕事して良いか分からなくなってしまうと感じたからです。

 

楽曲もそうです。作り手に自信がなければ、スタッフの宣伝力にも影響が出てしまいます。それを信じてスタッフも動くわけですから。

「今を強く生きる」

この信念で、日常を過ごしています。もちろん、このブログのことも知っています。2日で15万アクセスを超えた時には、喜んでくれました。現在、この時点で67万3558アクセスとなっています。本当にみなさんのお陰です。

先ほど「はてな」では、ダントツの1位となっていました。

 

この数字が大きいのかどうかの判断はできません。同じ系統のミュージシャンが、どのくらいなのか知らないからです。肯定でも否定でもいい。ここに訪れてくれていることに感謝します。目に止めない、気にも止めないでは、やはり寂しいですからね。

 

病院は、医院長との約束で、月に一度、通院となっています。僕は「病気ではない」と、診断されましたので、必要ではないのですが、退院後の決まりとして、それを受け入れました。

 

「では、月に1度、先生の顔を見にくることにしましょう。」

 

と、笑いながらの約束となりました。とても紳士的な先生です。本館から、僕の病棟へは500メートル以上あるのですが、ちょくちょく顔を出してくれました。先ほども書きましたが「強くあらねば」ということ以外は、何も変わっていないと思います。早く、みなさんと空間を共有したい。強く望んでいることです。その時の第一声は、もう決めています。あ、68万2377アクセスになりました。みなさん、どうもありがとう。

ASKA

おはよう。

おはよう。

 

4日間で、現在「603,779」アクセス。これまで、ブログやツイッターをやってこなかった僕には、これが多いのか、少ないのか分かりません。肯定も否定も、すべて受け入れ「それでも僕は」という姿勢で、文字を綴っています。

 

CHAGEに謝罪してください」。う〜ん・・これは、ごめん。みんなの前で、見せたり、報告するようなことじゃないなぁ。メールでは、

 

「オマエが活動していることは嬉しい。心から応援している」

 

と、送りました。アイツはアイツで、今、自分の立ち位置、活動をセルフプロデュースしています。これは、僕がどうのこうの言うことではありません。ただ、ソロ活動の景色が大きくズレてしまったことは感じています。しかし、それはアイツが考えること。僕は、見守ることしかできません。奇しくも、ブログを始めた日が、CHAGEのテレビ出演だったことは、みなさんのコメントで知りました。頑張れCHAGE。負けるな自分。という気持ちでしょうか。

 

そう言えば、昨日、お昼頃にテレビカメラが家の周りに居たなぁ。メディアはメディア(週刊誌も)で、毎日、毎週ネタを提供しなくてはならないので、自分たちの仕事に必死なのです。このブログを知ったメディアもいます。結局、目を引くような内容、タイトルしかつけません。

 

僕は、テレビ出演があまり好きではありません。出演するときは、歌を歌うときだけです。過去「笑っていいとも」(MCだけの出演)というのは数回ありましたが。あれも、シングルリリース日を選んで、プロモーションという形で向かいました。そうでなかった時は、世の流れを感じ取った時の出演でした。

 

テレビは、大きなプロモーションとなりますが、些細なことでバッドプロモーションにもなります。長い間、活動を続けていられるアーティストは、テレビ出演を極力抑えて活動している人だけというのは、お気づきになられているでしょう。曲には、イントロからエンディングまでの起承転結があります。テレビサイズでは、楽曲が死んでしまいます。「2分半で」「3分で」と、交渉されると、直ぐに気持ちは萎えてしまいます。それでも出演するときは、「ここぞ」と、いう時にだけです。最大のアーティストプロモーションは、行き着くところライブです。僕のライブスタイルは、1本の映画を観たような気になってもらえるよう構成しています。このライブの主役は、どの曲かということを、とても大事に考えています。そこに向かうために、曲順もデリケートに並べています。いつも、リハーサル終盤まで曲順には悩みます。主役の楽曲を印象づけるためです。聴かせたい楽曲、観せたい楽曲は「これだ!」に全てを注ぎます。「あの鐘を鳴らすのはあなた」です。嘘です。

 

今、みなさんにお聴かせしたい新曲は「通り雨」という楽曲です。フランス映画のような心地よさを感じてもらえるはずです。「楽曲制作は急がないでくれ」というコメントがありましたが、3日で完成する曲もあれば、1週間経っても完成しない曲があります。どの曲にも妥協はありません。何度も語ってきましたが、曲は振り向かせるため、歌詞はその曲を長く聴いてもらうため。「UNI-VERSE」は、歌詞だけで、1ヶ月かかりました。メロディに対して、文字数の制限がありますので悩むのです。散文詩は制約を受けません。詩は色感。歌詞は語感です。

 

現在、マッキ−と小笠原が忙しい時期に入っていますので、楽曲制作は一休みしています。散文詩を書いていると、心が落ち着きます。いくつもの出版会社からアプローチを受けていますので、時期をみて、纏めて発表したいと考えております。

 

一日、家に閉じこもりっきりですが、病院でライフスタイルとなった筋トレは、続けています。今、胸囲は1m20cm。ウエストは65cm。体重は60キロ。

 

 

 

嘘です。

ASKA