閉店。

高校3年生のときだったな。

 

親戚に、同じ歳で、もう仕事をしていた奴がいましてね。

そいつに連れられて、行ったもんです。

 

パチンコ、競艇、スナック。

 

パチンコは、当時も今も、18歳以下は来店禁止なのですが、そこはまだ、昔。

ぜんぜん、厳しくなかったですね。

学生服で行ってましたから。

 

パチンコと言えば、あの日のことを思い出します。

あれは、間違いなく、僕対策でした。

 

当時、お金もないですし、300円負けたら、すごすごと家に帰って行きました。

 

12月24日でした。クリスマスだったので、良く覚えています。

その日も、そいつと、パチンコ屋に寄ったんです。

夜、8時半頃に入店しました。

 

僕は、どうせ負けるんだと思い、台を選ばなかったわけです。

そいつは入念に台を選びましたので、僕は、その隣に座ったのです。

 

玉は、どんどん減り、最後の1個になりました。

その1個が、チューリップに飛び込んだわけです。

 

バラバラと落ちてくるパチンコ玉。1個入ったところで、心細い量しか出て来ませんのでね。不確かなことは言えませんが、1個入ると、15個流れてくるんじゃなかったかな。

 

もう、ダメだと思うと、1個入るんです。

それを繰り返していた時に、連続で入り、上の皿がいっぱいになりました。

 

そこからでしたね。

どんどん入るわけです。チューリップは開きっぱなし。

この台は壊れてるんじゃないかと思ってしまうくらいなのです。内心、怖くなりましたね。

 

店員さんが、長方形のブルーの空箱を持って来てくれて、その箱が、3つ、4つと増えて行きました。

 

僕の街では、あまり入らないパチンコ店で有名でした。

お客さんも少なかった。なので、高校生でも、目を瞑っていたのでしょう。

 

その店は、打ち止め終了がなかったのです。

箱はどんどん増え、何度も店員が覗きに来ます。

他のお客さんも、僕の後ろに並んで、僕のフィバーぶりを観ています。

 

足下に置いた箱は、いつの間にか、10箱近くになりました。

交換時は、1箱が約2500円でしたから、すでに25000円です。高校生に25000円は、大金の域を超えています。親戚の奴は、僕の箱から玉をくすねていましたが、そんなことは、気にならないのです。

 

箱が5つくらいになったとき、父に電話をしたのを覚えています。

父は、電話口で笑ってましたね。

 

その店の、閉店は10時でしたから、後、30分はやれるのです。

 

 

ところがです。

ところがでした。

 

店内にアナウンスが流れたのです。

 

「本日のご来店、誠にありがとうございます。本日は9時半で、営業を終了させて頂きます。また、明日のご来場を、お待ちしています。本日は、誠にありがとうございました。」

 

そのアナウンスを聞きながら、思いましたね。

 

「オレだ・・・。出しすぎたからだ。」

 

と。

 

終了時には、3万円近くになっていました。

今では、僕はパチンコはやりませんが、僕のハイスコアは、あの日でした。

 

高校生です。3万円も入ったんです。少々、減っても構わないという思いから、

翌日も、その店に行ったのです。同じ台を目指しました。

 

良く出る台は、数日間、そのままだということを知っていましたので。

少々、釘をいじっても、出るものなのです。

 

その台に、向かいました。人は、座っていません。

 

「ラッキー!!!」

 

ところがです。

ところがです。

 

台には、張り紙がしてありました。

 

「故障中」

 

やっぱり、そういう台だったのですね。

昨日の閉店が早まったのは、僕対策で間違いないでしょう。

 

パチンコ屋を、早めに閉店させた男。

今、歌を歌っています。

 

ASKA

じょーじゃんじゃないよ。

寅ちゃん、死んじゃったからなぁ・・・。

 

男はつらいよ」を、初めて観たのは、中学2年生ときだったでしょうか。

 

「こんな大人が、こんな愛すべき人がいるだろうか」

 

と、思いましたね。

 

それから、正月は、毎年欠かさず観続けました。

渥美清さんは、小学生のころ、

テレビドラマ「泣いてたまるか」で、知っていました。

 

元都知事の、青島幸男さんと、主演を1週ごとに交互でやっていましたね。

 

当時、青島幸男さんは「意地悪ばあさん」を、やっていましたので、子供に人気が高く「泣いてたまるか」も、周りでは、青島幸男さんの回を観てる子供が多かったんです。

 

僕は、両方とも観ていましたが、何だか、毎回、切なくなるのは、渥美清さんの方でした。

 

そんな、渥美清さんの「男はつらいよ」でしたが、なぜ、観に行くことになったのかは、覚えていないですね。

大人が観る映画でしたから。

 

観られている方も、多いとは思うのですが、

毎回、始まりは「寅(とら)」の夢から始まるのです。

夢の中では、さっそうとしてるんです。二枚目を演じるんですね。渥美さんの、あの容姿でしょ?渥美さん演じる「寅」が、二枚目ぶって格好つけるのが、おっかしくて、おっかしくてたまらないのですよ。

 

男はつらいよ」ファンというのが、もう全国にいるわけで、「寅」が登場すると、拍手が起こるんです。

 

僕は、全作観ています。東京に出て来て、2年目。まだ、誰もビデオデッキなど持っていませんでしたが、僕は「男はつらいよ」を、観るためにデッキを買いました。

 

そのシリーズでは、毎回、マドンナが現れましてね。

ストリーでは、そのマドンナに「寅」が惚れるのですが、恋は実らず、失恋した「寅」は、旅に出るというのを繰り返すのです。

 

お約束なのです。

 

日本映画史上、これほど愛された男がいるでしょうか。

全48作品です。

1作目から48作目まで、どこを覗いても、そこには昭和の良き日がありました。

いつだって、懐かしいのですから。

 

そうそう。

 

第10作目。マドンナは「八千草薫」さんでした。

この回は、印象的でしたね。

 

毎度、フラれる「寅」。

そして、お約束で、マドンナ「八千草薫」さんに、コクるのです。

マドンナには様々な理由があり、「寅」を選ぶことができません。しかし、その「八千草薫」さんの回は、違ったのです。

突然でした。

 

「あたし、寅ちゃんならいいわよ・・・。」

 

そんなことを言われた「寅」は、ぶったまげます。

「寅」は、自分がやくざな風来者であることをよく知っています。

 

あのシーンは、忘れません。

その言葉を聞いた「寅」は、カクっとなり、

 

「じょーじゃんじゃないよー。」

 

と、しどろもどろに返すのです。

マドンナの未来を、自分が汚してはならないという、気持ちですね。

 

あの間と表情。

 

忘れることはありません。

 

ASKA

 

 

 

絶体絶命。

あれは、1996年。いや、97年。いやいや、98年。ちょっと待って・・・プレイバック。

99年・・・。

 

どうでもいいです。

忘れました。その辺りの話です。

 

それは、その国の首都。その首都のメインストリートから一本脇道に入ったところにそびえ立った、誰もが知っている有名ホテルでした。

その日は、早朝から写真撮影が行われ、19時頃にホテルに戻ってきたのです。

僕は、万年肩こりのため、肩こりから頭痛が起こることも珍しくありません。

ホテルの自動ドアをくぐると、すぐ右側に横長のフロントカウンターがありました。

 

「おかえりなさい。」

「はい。今夜、マッサージを呼んでもらえますか?」←←←デタ!!👏

「何時頃にいたしましょうか?」

「22時にお願いいたします。」

 

それから3時間後~

 

「ピンポーン。」

 

ドアを開けたら、女性でした。部屋へとおします。二言、三言、声をかけたのですが、

無反応でした。英語が通じませんでした。

まぁ、しょうがないでしょう。別に、会話は必要ありませんので、僕は、すぐさまベッドに倒れ込みました。

 

「◯×□△。」

「はい?何?」

「◯×□△。」

「何?なに?」

 

女性は、Tシャツを脱げと言ってるようです。珍しいですね。裸になれとは。

この国の習慣なのでしょう。

僕は、Tシャツを脱ぎ、再びベッドに向かおうとしたのですが、

 

「うーん、うん、うん!!」

 

そんな声を上げながら、下を脱げというポーズを始めました。

 

「えっ?うん?」

「うん。」

 

日本では、パンツ一枚になってマッサージを受けることはないので、

躊躇しましたが、ここは異国。 郷に入っては郷に従え。

僕はボクサーパンツ一枚で、マッサージを受けました。ヨカッタ・・・。

ブルマ型のパンツじゃなくて。黄緑色じゃなくて・・・。

 

予定の、約1時間が終わりましたが、こりがほぐれていないのです。

その夜は、不完全燃焼でベッドに入りました。

翌日も、朝は早かったですね。写真は、朝の光がいちばん奇麗に撮れるものなのです。

 

撮影が終わったのは、18時過ぎ。そのまま食事に行き、ホテルに戻ったのは20時半頃でした。

僕は、その日もマッサージを頼みました。

 

「すみません。男性をお願いできますか?」

「男性ですか?」

「はい。男性を。」

「女性ではダメですか?」

「男性がいいんです。」

 

僕を、ジロジロと見ています。フロントマンは、奇妙な笑みを浮かべながら、

 

「分かりました。用意させてもらいます。」

 

なんだ?あの笑みは・・・。

 

その日も22時からとなりましたが、その日は、打ち合わせをしようということになりまして、

スタッフ全員が僕の部屋に直行しました。

打ち合わせが終わったのは21時半。さっさと、部屋の片付けをして、シャワーに向かいました。

しかし、このシャワーが問題で、適温にならないのです。少し回すと熱湯になるし、

少し戻すと水になる・・・。

ついには、熱湯を溜め、水を注ぎ、バスタブの中で、頭をつけ、髪を洗いました。

 

風呂から出ると、もう22時でした。

 

「ピンポーン。」

 

真っ裸です。僕は、バスタオルを腰に巻き、あわててドアを開けました。

そこに立っていたのは、完全な男でした。デカい・・・。

砲丸投げ選手のようにいかつい。ニコっと笑っています。

 

僕は、すぐにスウェットを着て、用意をしました。

また、どうせ脱がされるのだろうと思いましたが、男は、脱げとは言いませんでした。

何だったんだろ?昨日は・・・。やはり、言葉は通じません。

 

そして、マッサージは始まりました。僕は、うつ伏せになっていました。

男は、太ももからもみ始めました。

そして、足の裏を揉んでいたのですが、ふとマーーサージを止め、

なにやら、持って来ていたカバンの中に手を入れています。

気にしませんでした。それより、眠気がきていましたから。

 

そして、足の裏を揉み始めたのですが、感触が違うのです。ヌルヌルしてます。

オイル?

それを、足の裏いっぱいに伸ばすようにした後、また、マッサージを止めました。

それから3分ほど、沈黙がありましたかね。喋りかけても通じないわけですから、

もう黙っていました。

 

そして、僕は首の向きを変えようとしたのです。そのときでした。

あれ・・・。動かない・・・。なんで?

まったく動かないのです。驚いて起き上がろうとしたのですが、できません。

身体が動かないのです。

 

サビは突然やって参りました。

男が背中に乗っかって来たのです。僕のTシャツを脱がせようとしています。

 

「おい、おい、おい!!

 

と、言ってみたところで、声にもなっていません。上半身、裸にされてしまいました。

何が起こっているのかぐらいの見当はつきます。初めてです。心構えもないのですから。

いや、そうではなくてぇ・・・。

 

「まずい・・。異国で。とうとうか・・・。」

 

いや、日本でだって同じです。じょーじゃんじゃない!!

 

「え?何だ?せ、背中、舐めてるーう!?」

 

絶対絶命です。こっちは無抵抗。その上、相手は、デカいホーガン投げ選手なわけですから。

か、身体が・・・う、動かない・・・。

とうとう、ホーガンの舌が首筋まで・・・。そして、横顔、唇まで、・・・。

とうとう舐められてしまいました。マジ、まじヤバいです。

 

そのときでした。この身体が動かない感覚。何かに似てると。

それは、金縛りでした。中学生のころから始まった金縛り。僕はレジェンドです。

金縛りのときに、声を出すことや、身体を動かす技を得とくしていましたので、

それを使ってみたのです。

 

「うぉー、うぉー!!」←ノー、ノー!のつもり。

「うぁうぇうぉー!!」←やめろー!のつもり。

 

それでも、ホーガンは止めません。

僕は,、渾身の力を振り絞って左手をホーガンの顔に向かって振りました。

手首だったと思うんです。当たりました。ホーガンの鼻に。

 

その動作をやったことによって、しびれた身体が、少し戻ってきました。

一瞬ホーガンがひるんだスキに、 僕は立ち上がることができたのです。

ふらふら、よろよろでした。ホーガンは殴られた上に、

僕が立ち上がったことに驚いている様子でしたが、すぐにバッグを持つと、

 

「ソーリー、ソーリー。」

 

なんで、ここだけ英語なんだよ!!

 

「うぇいうぉ、うぁうぇうんばうぇ!!」←英語喋るんじゃねぇ!!のつもり。

 

ドアを閉めて、逃げるように立ち去って行きました。

 

いやぁ。もうちょっとで、あっちの世界を見てしまうところでした。

しかし、こちらにも落ち度というか、それを誘導させるできごとがあったのです。

 

まず、フロントに男を要求した。二番目に、男を裸で迎え入れた。

三番目に、僕の部屋にメイク道具があった・・・。

 

体制は、こちらが整えてしまったのです。

今でも、あの背中を舐められた感覚は忘れません。

そして、横顔、めくられた唇・・・。

 

と、まぁ、このような海外体験があったわけですが、

この話をすると、男全員が言います。

 

「その、ヌルヌルと塗られたやつ、手に入りませんかね?」

 

そこかーい!!

 

ASKA

僕はね、ある国でとんでもない目に遭ったんですよ。

この話は、仲間内で笑いながら話していたことです。

また、仲間は「この話は、ASKAさんが誤解されてしまうので、絶対に話さない方がいいです」と、口止めされてはいたのですが、そう言われると、何が何でも話したくなるのが僕です。

 

ステージで、何度も喋りかけてしまいました。

ゲリラトークをしそうになりました。

 

冷静になって、止めておいて良かったと思えたか?

いえ、なぜ、話さなかったのかと、自分の勇気が情けなくなりました。

 

いま、ここに来ても、何の問題もないと思えているのです。

この話は、僕がアジアツアーのプロモーションで宿泊した、旅先で遭遇した、世にもまれなお話なのです。

 

あれは・・・。

あのできごとは・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと、眠たくなってきましたので、

明日、お話しますね。

 

さて、おやすむよ。

みなさんも、おやすもう。

 

ASKA

 

 

 

Yahooニュース

これまでも語ってきましたが、世間の興味を引くためにメディアはあります。

 

どんな記事にしろ、やはり自分が書いたものには興味を持ってもらいたいですからね。

 

ネットニュースなどでは、同じ記事が広がって行きます。

自分の書いた記事が広がって行く。

これには、ふたつの感情が伴っています。

「目を引きたい」

「安心する」

 

この「安心する」が、やっかいなんです。

自分の書いたものが、広がり、それはやがて巨大化します。

コピー、コピー、引用、引用を繰り返して行くからです。

 

巨大化することで、いつの間にか、信用性を孕むからです。

嘘であっても構わないのです。

脂肪のような作りごとも、広がることで、筋肉に見えてしまうものです。そう錯覚させることができるのです。

脂肪を筋肉に見せることができると、安心します。「みんなで渡れば怖くない」精神です。

 

 

もう、すでに僕の言い続けていることに、信憑性を感じたメディアから取材の申し込みがあります。

 

気づいている敏感なメディアもいるのです。

そんなメディアは、必ず同じことを言います。

 

「独占取材をしたい。」

 

ここで、僕は距離を置きます。

独占になんの意味があるのでしょう。もちろん、切っ掛けは必要でしょうから、そういう意味での「独占取材」は、あり得ると思いますが、このようなできごとは、僕にインタビューをしてもダメなのです。

 

どこまで行っても、僕の言い分にしかならないからです。

 

「一緒に暴こう。」

 

と、いうのであれば、また、違います。

 

鈍感なメディアは、未だに僕の妄想で片付けようとします。

ご丁寧に「ファンが大丈夫か?と」「ファンを不安にさせてる」

と。

 

もう、みなさんはお気づきでしょう。

確かに、多くのコメントの中には、そのようなものもあったでしょう。

そのような、ひとつ、ふたつのコメントを拾い、それを多くのファン心理として、世の中に広めます。

 

なぜでしょう。

その方がおもしろいからです。

加えて、僕が病気の方がおもしろいのです。

 

今後、この事件がどう展開して行くのか、僕にも定かではありませが「孫子の兵法」を用いるならば、まだ、機は熟していません。

 

この10年間、そうでしたが、彼らは、バレそうになると逃げます。逃げれば、勘違いですますことができるからです。

 

今日、壊された2台のパソコンを検証に行ってきました。

実は、音楽制作に使用しているパソコンもやられているのです。

合計3台です。

 

さるところは、この僕の状態を記録してくれております。

「どの角度から見ても間違いはない」と、いうところまで行かなくてはなりません。10個のうち、ひとつでも「疑いの域を超えない」が、あってはならないのです。

 

本にも書きましたが、彼たちの仲間意識は永遠ではありません。

必ず、崩れます。

 

電界、磁界。

電界を上。磁界を下と、位置づけるならば、上と下を交互に行き来することで、電磁波は起こります。

 

話が逸れました。

 

いろんな方法があるようなので、その度、立ち止まってしまいました。

その度、できごとに詳しくなっていきました。

世間は、立場や権威のある人の発言にしか、耳を貸しません。

そのような人たちにも、気がついていないことがあるのです。

 

この国は、本当に遅れています。

 

ASKA

17/03/29

あの日を境に、一切「ぎなた読み」できる文章がなくなった。

いくつか、気になるものはあれど、偶然の範疇で片付けることができる。

 

また、以前、ウェブ調査で、

「同サーバ上の他のウェブサイト」が92個あったが、

今日調べたら、1個になっていた。

 

同様のことは、前にもあった。

そのときも、そのサイトを詳しく調べた後だった。

 

裏で、どんな繋がりを見せているのかは、明言できないが、

「ふきそTシャツ」

は、笑える。

 

以前、あのブログを「サイト丸ごとダウンロード」で保存した。

その後、過去ログが、すべて消去されていた。

だが、私の手元には、その一切が、残されている。

 

メモ

 

そのデータを確認すると、私に、そのブログが発見されてしまった直後、

彼が「丸刈り」になった写真を、仲間に公開したものがでてきた。

 

とても、興味深いできごとだ。

 

仲間からは、

 

「気にするな。お前のせいではない」

 

と、なだめられていたが、

 私を、なだめてくれる人はいなかった。

 

大晦日に、公開した動画はCD-Rに記録してある。

安い身なりのDJが、どこかの工場内でクラブミュージックを流していた。

その音楽に乗って、流されていたのは、ミックスされた声だった。

誰の声なのか、一目瞭然だ。そんなに逃げなくてもいい。興味があるなら、聞かせてもいい。

仲間の人数が多いというのは、こちらにとっては、

「追いやすい」と、いうことだよ。

 

メモ

 

 

 

 

お買い物。

今日は、厚くも薄くもない雲に覆われた太陽の光が、僕の立つ窓を目がけて、まっすぐ伸びて来ています。

 

この滲んだ太陽、何だっけ・・・。

すぐに思い出しました。

 

ドバイでした。

あの地の太陽の滲みかたに似ていました。

 

アラブ首長国連邦のひとつ。

つまり、アラブとひとまとめに呼んでいる国々の中の、ひとつの国。

アラブの中で、最も若い国。

 

ドバイの王様は、ある意味ベンチャーなんですね。

それまで「砂漠に人は住めない」という定説に逆説で向き合いました。

 

今、世界は砂漠化が進んでいますが、王様は考えたんですね。

 

「この砂漠も、その昔はそうではなかったはず。この砂を深く掘ったところには、必ず土がある。この砂漠に都市を建設できないものだろうか・・・。」

 

そして、王様は実現に向かうために、全世界の資産家、セレブからお金を調達するんです。

 

砂漠を抜けてゆくところに、こつ然と現れる巨大都市ドバイ。

 

街のはずれは、建設ラッシュでした。

今も尚、砂漠が建物に押しのけられて行く。

 

まだ完成もしていないのに、買い手が決まっているマンション群。

すでに2年先まで、予約があるそうです。

 

どこもかしこも映画のセットのようでしたね。

 

僕の宿泊したホテルは、偶然にも、その王様が経営するホテルでした。

キラキラとは、この国のためにあるような言葉だと思いました。

小さなタイルひとつとっても眩しいのです。

 

なんだっけ・・・?

 

あ、そうそう。

買い物の話だ。これをしたかったんだ。

 

ホテル内には、ブランドショップが並んでました。

ここ10年くらいかな。

僕は、バッグを持つようになりました。

会社から、誕生日プレゼントにバッグを頂きましてね。

それまで、バッグを持って歩くという文化は僕にはありませんでしたが、一度持つと、もう離せませんね、あれ。

 

電話、充電器、財布、パソコン他・・・。

 

とにかく、便利なんです。

 

その並んだショップのひとつのドアをくぐりました。

バッグ屋さんでした。

 

僕は、昔から買い物に時間をかけません。

その日もそうでした。目に飛び込んで来たのは、表面が濡れたような光沢をした白いバッグでした。

「ポルシェ」と、書いてあります。「ポルシェ」って、バッグなどもあったんですね。一目惚れでした。

 

「すみません。これいくらですか?」

「ああ、ポルシェね。それ15万円です。」

「高いな・・・。」

 

海外です。値切ってみようと思ったんです。よくよく考えると、迷惑な客ですよね。ホテルのブランドショップで値切ろうとする客ですから。

 

15万か。ね、これもう少し安くなりませんか?」

「おー!?あなた、ラッキーですね。今、ちょうどセール中なんですよ。5万円でイイですよ。」

 

即買いでした。15インチのノートパソコンもいい具合に入るでしょう。こんなに気に入ったバッグは初めてです。

 

「セール中か・・・。」

 

僕は、急に強気になり、向かいのショップにも足を向けました。

広々とした店内の壁を隠すように、ぐるりと服がかけてありました。

 

僕は、常日頃、あまり買い物をしないので、この日ぐらいはいいだろうと思ったんです。海外ですし。セールですし。

買い物は早いです。

 

まず、目についたのは、目の覚めるようなブルー一色のスウェットでした。本当に奇麗です。スウェットと言っても、下はありません。おしゃれ感覚で着るスウェットデザインの上着ですね。

 

袖をとおしてみたら、出会いのようにピッタリでしたので、青と白の2着を買いました。その他、イタリアデザインの上着。スニーカーを。

 

久しぶりでしたね。洋服を買うなんて。

 

その夜は、刺激的でした。

砂漠の国です。昼間は、差すように太陽が熱いのですが、夜は、長袖を着ても、寒いのです。

 

ディナーは、キャンプと呼ばれる場所でした。

砂漠の片隅に、場所を確保したかのようにテントが張られ、そこでは大勢の観光客が溢れていました。

 

食事半ばで、突然ライトが落ち、どこかともなく妖艶な女性が現れ、スポットライトの中で踊るんです。

ベリーダンスです。アラビアンナイトの世界です。

 

何だっけ・・・?

あ、そうそう。

 

まぁ、楽しい旅だったという話です。

 

日本に戻ってからのことです。ある日、カード会社の明細を眺めていたのです。

 

「・・・。」

「なに?これ・・・。150万・・・えん・・・。」

「し、知りまふぇん・・・。」

 

一、十、百、千、万、十万、ひ、百・・・万・・・。

ひんむきました。目ん玉・・・。

 

ド、ドバイです。あのショップです。

 

「じょーじゃんじゃない!」

 

4点ですよ。スウェットですよ。たかが、ジャージですよ。

スニーカーですよ!!

 

何度も、見直しましたが、確かに150万円と書いてあります。

ぼられた・・・。

 

泣きそうな顔で、いや、泣きながら、そのドバイのショップに電話を入れました。

 

「◯月◯日に、買い物をした日本人ですが、おたく、計算を間違ってますよ!」

「何を買われました?」

「ブルーのスウェット、白のスウェット、スニーカー、それに・・」

「あーあなたですか?」

「覚えてますか?」

「もちろん、覚えてますよ。」

「今、明細を見たら150万でした。間違ってますよ。」

「はい。150万円です。」

「・・・。た、たきゃい!!たきゃすぐるでしょ!!」

「だって、あなた、サインをしたじゃないですか。」

 

そうなんです。バッグのショップがセール中だったので、店内、どこもセール中だと勝手に思い込み、日本の感覚で、このくらいだろうと思っての買い物でした。確かに、値札も見ずに買ってしまったのです。

 

カモられました・・・。

値札も見ずに買い物をしてるバカな日本人の動向を、観察した上でその値段にしてみたのでしょう。

すぐに気がつき、クレームを入れれば、

 

「おー!間っ違えた。ごっめんなさいねー。」

 

と、やるつもりだったのでしょう。

ところが、そのバカな日本人は、書かれた数字をニコニコしながら見ていたわけです。

確かに数字の数は多いなとは思ったのですが、ここはドバイ。通過であるディルハムって、どこのメーカーのハム?状態ですから、大して気にしなかったのです。相手は、有名ブランドショッップですし、そんな犯罪まがいのことはしないだろうと。

 

しやがっていたのです。

だいたい、毎日訪れる観光客。買ったモノを伝えただけで「あーあなたですか!」って変でしょ?

すでに1ヶ月近く経っているわけですから。

 

きっと、印象に残るバカ客だったわけです。わたしは・・・。ニコニコバカ・・・。

「サインをしてしまったら終わりだ」と・・・。

終わらせられました・・・。

 

ひ、ひゃくごじゅーまんえん・・・。

 

そんな話を、スタジオでしていたんですね。すると、そのときのレコーディングメンバーが。

 

ASKAさんもやられましたか?」

「え?なんで?」

「実は、僕、新婚旅行でドバイに行ったんです。ホテルは、もうドバイなので、キラキラだらけでしたけどね。そこで、朝食を食べたんですけど、やけにサービスが・・・。なんか、特別扱いされてるなと思ったんで、気持ち悪くなって、途中で切り上げたんです。」

「それで?オチは?」

「はい。7万円でした・・・。」

 

ドバイの王様は、世界一が好きなんです。

ぼり方も、世界一でした。

 

「もう一度行きたいですか?」と、聞かれたら、迷わず答えるでしょう。わたしは。

「あの店員に会いに行きたい」と。

 

トーク番組や旅番組など、絶対に出演しませんが、あの店員に会うのであれば、

話は別です。

 

ASKA

terry君へ。

行いに気がついてくれて良かった。

 

あのまま行くと、訪問者の数が増大し、引けなくなった君は、更に続け、最終的にはメディアに晒されるような出来事になっていたでしょう。

 

マネージャーのfujiからのコンタクトは、事実ですよ。

 

すでに「はてな」にも通報済みでした。

「警察から情報開示を求めても良いですか?」

と、いうやりとりが、なされていました。

 

なので、脅しではありません。

terry君へ送った文章の内容は、僕とやりとりをしながら決めました。

 

どういう内容であったか。

terry君が、公開をするというなら、それもいいでしょう。

少しも、高圧的な文章ではありませんでしたよ。

もし、terry君が内容を公開するというのであれば、terry君がマネージャーに送った内容も添えてくださいね。

 

ひとまず、大きな出来事にならなくて良かった。

terry君の文章は、僕の特徴をよく捉えていましたね。

 

パロディと、謳った上で、

これから、続けられたらどうですか?

 

それはそれで、みんなが楽しめるものになるのではないでしょうか?

 

これからも、一緒に楽しみましょう。

ありがとう。

 

ASKA

 

アジアツアーは生きていた。

実は、少し前に、

香港、シンガポール、マレーシア、マカオ、台湾他、

各国で「Too many people」 を、リリースしたいとのオファーがありました。

 

中国本土は、コピー盤の横行で、たちまち海賊盤だらけになるとのことで、現在、ペンディング中です。

 

それでも、嬉しいことですね。

アジアツアーで知り合った、現地のレコード会社からの連絡でした。

 

4月に入ると、まずは、台湾のスタッフが日本に来てくれ、

その打ち合わせに入ります。

一等最初に、台湾からのリリースとなります。

 

あの頃、若手として、現場で頑張ってくれた方たちが、

みな、ヘッドになって仕事をしています。

 

どこの国も配信が主になっていますが、

やはり、まだまだCDの需要は消えてはいないようです。

 

アジアツアーは、これからも続けて行こうと思っていた矢先の連絡でしたので、以心伝心だったのでしょう。

 

これらの国々に、早く韓国が加わればいいですね。

そうさせることも、先駆者の役目だと思っています。

 

今の音楽業界は、世間の流れに、あまりにも合わせすぎているのではないでしょうか。

このまま、淘汰を待っていると、ミュージシャンは誰も活動できなくなってしまいます。

 

考えを持って切り開いてゆくことが、音楽業界の未来を作って行くことになるのだという信念に揺らぎはありません。

 

ASKA

 

 

 

 

Burnishstone

おはようございます。初めまして。ASKAのマネージャーを担当しておりますFujiです。

昨日皆様から、TwitterASKAは本物なのか?と、いう問い合わせが相次ぎましたが、

ASKATwitterをやっておりません。

当方から直接「なりすまし」の本人に注意、そして警告を入れさせていただきました。ASKAとも協議の結果、皆様への影響を鑑みますと、残念ではありますが、早急に公的な処置を考えております。

ご心配お掛けいたしました。

今後も、ASKAのブログをよろしくおねがいいたします。

Burnishstone マネージャーFuji

僕がこの年齢のときには、こんな歌、歌えなかったなぁ。

今月の30日に、リリースです。

そのアーティストは「宮崎薫」と、言います。

 

以前にも、一枚リリースしているのですが、

そのときは、自分のやりたかったことが、できなかったらしく、

ずいぶん、悩んでいたものです。

しかし、今回のアルバムは、快作極まりない。

 

他の若手シンガーと同じで、アルバイトをしながら、

ここまでたどりつきました。

 

僕も、楽曲ができあがる過程を、近くで見ていたのですが、

彼女には彼女のイメージがはっきりありましたので、首は突っ込まず、このときを待っていました。

 

親バカではないことを、伝えさてくださいね。

 

今の音楽業界において、彼女の音楽が陽の目を浴びないとするならば、もう何が音楽かわかりません。

 

いま、思うんです。

デビュー作は、あれで良かったんじゃないかと。

 

あれから、いろんなことを学び、自分のいちばん得意とするスタイルを見つけたのだと思います。

 

7曲入りのアルバムですが、メロディ構成において、僕の出番はありません。本当に、素晴らしい楽曲を生み出すようになった。

 

彼女の武器は、詞:曲。

しかし、それを遥かに超越するのが声です。

 

僕は、彼女に歌を教えたことはありません。

中学生のときに、初めて彼女の歌を聴き、驚いたのです。

もう、すでに歌心は兼ね備えていましたね。

 

彼女は、洋楽ばかりを聴いて育ちましたので、フィーリングは、日本人ではないのですが、このアルバムでは、日本語をとても大事に、そして丁寧に伝えようとしているのが分かります。

 

今では、一緒に歌ってみたいシンガーのひとりになっています。

 

メロディは、ところどころニヤリとするものがあります。

気持ちの良いところが同じ気がします。

 

とにかく歌が上手い。

 

ぜひ、聴いてみてください。

 

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ASKA

 

 

メモ

『酒と泪とアニメと映画』

 

酒と = シ + 酉と  →  SHI撮りと

泪と= シ + 目と  →  SHIもくと →  SHIもー食っとう

アニメ =  あにメ  → Aに罰

映画 = えい + が(か+") → A狩り

 

自分用メモページです。

 

 

 

 

こんばんは。

13曲シングルを形づかせるために、

今まで作業を行っていました。

 

僕の脳内にあった絵には届いたのですが、

最終的に「これではない」との判断を下しました。

 

これは、どうやら作品という衣装を纏うことになりそうなので、

日を改めて、しっかり取り組もうということになりました。

 

これまでも、土壇場で「ノー」を出すことは、よくありましたので、珍しいことではありません。

 

申し訳ありませんが、もう少し時間をください。

明日より、仕切り直しで、何がなんでも完成型をお届けしたいと考えています。

 

なにぶん、スケジュールがタイトでありますので、

4月の上旬〜中旬に発表できればいいですね。

 

今日の作業で、いろんなことが見えました。

頭の中では完成しています。

 

今の僕だから、できることです。

思う存分、やらせていただきたく思います。

 

やりたいことを、やりたいように。

 

ありがとう。

 

ASKA

 

 

僕も・・・。

これだけ、みなさんがアルバムを世の中に発信してくれていることを受けて、僕も何かやらなくてはならないと思いました。

 

このブログと、福岡のテレビ出演以外、ノンプロモーションでここまで来ましたからね。

 

お金をかければ宣伝できるなんて、そんな古い思考はぶん投げています。

 

今日、間もなく、古い友人が到着します。

あることを投げかけたところ「あうん」で、引き受けてくれました。

 

早ければ、今日。

かかっても数日以内。

 

この思いつきを、みなさんに紹介できると思っています。

世の中は、常に流れています。

 

プロモーションの方法も、様変わりしています。

誰もやらなかったことを、やってみます。

 

Too many people

 

は、13曲のシングルなのですから。

 

ASKA