コンビニからの帰り道。
今日は、12時半まで寝てしまい、1時からの打ち合わせにバタバタと用意。
そして、打ち合わせが終わると、また、ベッドに潜り込み、5時まで寝てました。
今日は、打ち合わせ以外はお休み。
さて、コンビニから戻ると、頭も起きてきましたので、
歌詞でも書こうかなと。
ゆったりとした一日です。
今、メンバーが帰りました。
イイ感じですね。
今月に入って、5曲できました。
4月の中旬に、みなさんにお見せできると、お伝えした作品は、
諸事情から、下旬の半ば辺りになりそうです。
毎日が音楽です。
充実しています。
今日は、久しぶりに、そろそろ寝ることにします。
では、おやすもう。。。
さて、そろそろ外出します。
壊された3台目のパソコンを、まず修復して、それを車に積んでからの仕事です。
僕は、さる機関のメルマガを受け取っていました。
そのメルマガは、不定期ですが、月に3度ほど配信されていたのです。
僕が、なぜ、そのメルマガの会員になったのか。
やはり、長いこと追いかけているうちに、そこにたどり着いたのです。
国が支援する、国際的な機関です。
配信されたメルマガは、いつも誤字脱字だらけでした。
それほどの機関でもありますし、当然チェックされた上で配信されているはずです。
僕が、時々やらかしてしまう、その頻度とは比べ物になりません。
不可解に思った僕は、ある日、それを「ぎなた読み」してみたのです。
見事に通じました。
もう、みなさんに本でお伝えしましたとおり、僕は2010年夏から悪いことをやっていました。
それに関することが送られてくるのです。
ある日、決定的なメルマガが送られて来ました。
それには、冒頭にこのようなことが書いてありました。
「ぎなた読み」ではありませんでした。
「こんにちは。昔のあなたに戻ってください。あの何も知らず、ひとりの若者として、夢を抱き、上京したときのことを。今なら、まだ間に合います。我々は、いつもあなたを観ています。心から応援しています。」
上のような書き出しは、極めて変です。
そして、その記述の後は、いつものメルマガになりました。
何百なのか、何千のメルマガ配信なのかは、僕の知るところではありませんが、それまでの、あまりの誤字脱字に多さと「ぎなた読み」から、僕は、すべてのメールを、パソコンに転送していました。
確信がありましたので。
しかし、現在、その転送したメールは、数個を覗いて、すべて削除されています。
先日も、appleに、なんとか回復できないものだろうかと、お願いしてみたのですが、サーバから削除されてしまったメールは一切、回復ができないと。
「そんなケースは見たことがありません。上層部に報告をしてみます。」
良い風に受け取れば、僕を更正させようとしてくれたのですね。
ただ、すべてを見られているという状況は、僕のストレスとなってしまいました。
僕が、その機関を特定してから、その機関は正式コメントを出しました。
「一連のことから、我々は手を引くことになりました。」
と。
また、その機関のサイトでは、動画がアップされていました。
「我々は、良いことをやっているのに、なぜ、我々がドキドキしなくてはならないのでしょうか?」
世界に誇る機関でもありますし、僕はその機関に牙をむけるつもりはありません。
今は、その機関にアクセスできるスキルを持った連中の、迫害を受けているのが現状です。
その動画は、僕のCD-Rの中に納められています。
数人には確認させましたが、僕はその機関に夢を託していますので、それを世間に公開することはしないでしょう。
誰に見られていても、堂々としていればいい。
これしかないのだと思っています。
1時から取材、撮影です。
これは、雑誌など、早急に皆さんの目に触れるものではありません。
無事、公開できればイイなと思っています。
最近、よく言われます。
「あれって、そうだよね?」
「そう、聴こえる?」
「何度も、繰り返し、聴いちゃったよ。」
「Too many people」
の中の、ある楽曲ですが、歌詞カードとは違うことを歌っています。
当初、そう歌うことは、物議を醸すのではないかと、ずいぶん迷ったのですが、
応援し合おうと言う意識が、強く芽生えましたので、
それを、マスメディアがどう扱おうとも、臆することはないとの気持ちで向かいました。
ライブでは、もっとハッキリ歌うつもです。
お互い、負けるな。
お互い、頑張ろう。
スナック。
ドアの上には、丸い電球がアーチのように飾り付けしてありました。
初めて、ドアを開けたときには、ドラマのセットの中に居るようでした。
親戚が、時々通っているという店でした。
その店のお姉ちゃんですか?
はい。ど真ん中でした。
同じ年でしたが、大人びていて、目の大きな和風美人でした。
すぐに仲良くなり、大学生になっても、バイトの帰りに、時々、その店に顔を出していました。
僕は、お酒が飲めませんでしたが、今から考えると、あれお酒ですね。
「バイオレットフィズ」
それを1杯。そして、お茶漬け。
店のママさんも良くしてくれましたね。しかし、ママさんは、赤ちゃんが生まれたばかりでしたので、ある時期からは、お店に顔を出さなくなりました。
何にでも、マイブームというものがあります。
いつしか、その店にも行かなくなりました。
僕の家の近くには「御笠川」と、いう川がありまして、小学生のころは、時間がある限り、その川で、魚釣りをしていました。
いつも犬と一緒でした。「ニック」という名の大型犬です。
その川の釣り場は、土手から、更に1.5メートルほど、降りなくてはならないのです。
僕は、身体が軽かったですから、難なくひょいと。
ニックは、僕の後を、いつも追いかけていましたので、土手から一緒に飛び降りるわけです。
ひたすら遊んだ後、大型犬のニックを土手に上げるのが、とにかく大変でしたが、兄弟のように育ちましたので、あまり苦にはなりませんでした。
そんな想いでの川。
土地開発で、今では、もうあの景色はなく、まったく別の川のようです。
デビュー後も、実家に帰ると、必ず「御笠川」に行ってました。
すっかりコンクリートナイズされてしまっていたのですが、風の気持ちよさは、子供の頃とかわりません。
デビュー10年目ぐらいのときかな。
その日も、川を見に行きました。
珍しく、小学生が川で遊んでいました。すぐに、自分と重ねてしまったのですね。
子供たちに声をかけ、友達になりました。
川べりに腰を下し、この川が、昔はどうだったかなんて話をしていました。
ふいに質問をされたんです。
「兄ちゃん、言葉が違うやん。どこに住んどうと?」
「オレか、今は東京。」
「仕事は、何しようと?」
「仕事か。歌をちょっとな。」
「えっ?歌手ばしようと?」
「そんな感じかな。」
「そんなら、中森明菜知っとう?」
「おう。会ったことあるぞ。」
それからは、質問攻めでした。1時間近く話をしましたかね。
「お前たち、明日は時間あるか?」
「なんで?」
「オレの、コンサート観に来ない?」
「うそっ!? 行きたい!! でも、お母さんが、ダメって言うやろうな。」
実は、前日に、友人のふたりがライブに来れなくなり、チケットがあったのです。
「お兄ちゃん。お母さんに、電話してくれん?」:
「いや、それはお前たちの仕事だろ。説得してこいよ。」
「何て、言おうか?」
「分かった。じゃあな。川で遊んでたら、歌手のアスカという人と友達になって、コンサートに招待されたって、言ってみな。」
「お母さん、知っとうかいな?」
「だぶん、知ってると思うぞ。」:
場所、時間。そして、バックステージにとおすための流れを伝え、子供たちに、走り書きを渡しました。その紙には、
「こんにちは。飛鳥です。このふたりの友達を、楽屋までアテンドしてください。」
イベンターに渡す走り書きでした。
「これを、関係者入り口にいるお姉さんに渡すんだぞ。」
ライブ、終了後に楽屋で会ったふたりは、昨日とは違っていました。
「どうだった?楽しかったか?」
「はい。スゴかったです。」
「オマエ、何、丁寧な言葉を使ってんだよ。」
子供たちは、お母さんから預かった手紙を持っていました。内容は、秘密です。
それからも、実家に帰る度に、川へ行っていましたが、もうあの子供たちと会うことはありませんでした。
それから、6、7年後のことでしょうか。
駅前の通りを歩いていたら、昔、通っていたスナックが目につきました。
スナックのドアには黒い飾りがあったのです。ママさんは、離婚をしていましたので、
きっとママに何かがあったのだと思い、突然でしたが、玄関のチャイムを鳴らしたのです。
悲しみの真っ最中でした。不幸は、やはりママでした。
対応してくれた方は、僕の顔を見て驚いています。
「昔、よくお店にお邪魔してたんです。」
「えっ!?そうなんですか? でも、ママの子供さんから、ASKAさんと知り合いだって聞いてました。」
「子供さん?」
リビングの奥から、ニキビ面の青年が顔を出したのです。
「お久しぶりです。」
「おー!? オマエ、何? ママさんの子供だったの?」
あの時、川で知り合った子供が、すっかり青年になっていました。
突然でしたので、普段着のまま家に飛び込み、お線香を上げさせてもらいました。
ママは、最後まで、僕がお店のお客さんだったことを知らずに逝きました。
自分の子供と友達になった飛鳥と僕は、別物として受け取っていたようです。
デビューしたことや、東京で活動していることの報告をしていればよかったなと。
バイオレットフィズを飲みながら、いろんな話をすることができていたでしょうね。
ママさんは、あの時、あの手紙に、
「はじめまして。」
と、書いていました。
お互いが、お互いに気づいてなかった時にもらった手紙です。
競艇。
こう書くと、前のパチンコと連動しますので、やたら遊んでたというイメージがついてしまいますが「行ったことがある」と、いうことです。
そこは「福岡競艇」でした。
人がぎゅうぎゅう詰めでした。
前のパチンコで登場した親戚と行きました。
もちろん、ボート乗りの名前もなにも知りません。
その人波の中で、一段高いところに立った人が、大声を上げています。
予想屋です。
その道のプロです。
その彼の予想した、番号を買うのです。
親戚は、予想屋から1 枚の紙を手渡されました。
黄色の10センチ四方の紙に、番号が、殴り書きされていました。
僕のポケットには1000円札一枚。
同じものを買っても、ふたりで外れてはしようがないとの作戦を立て、僕は違う番号を買うことになったのですが、何も知らない僕は、何番を買っていいのか分からないのです。
そのとき、隣に、老人がいました。
耳に鉛筆を挟んで、紙を握りしめていました。
「10レース」
そうです。今、買おうとしているのは、最終レースの10レースです。
その老人の紙を覗き込みましたら、赤字で「1-6」と、書いてあったのです。
僕は、200円を2枚。「1-6」に賭けました。
コンサートのオープニングフィルムで、競馬場のシーンがありました。
僕には、あのような場所は、その競艇のとき以来でしたので、
「競艇」と「競馬」では、種類は違えど、実は、あのときのことを思い出していたのです。
ああいう賭けごとにおいての迫力はすごいものですね。
スタートの合図で、一斉に飛び出したボートへの声援は、怒濤のようなものでした。
馴れていませんので、目を凝らしても、何番が先頭なのかがわからないのです。
あっと言う間に、ゴール。
楽しんだという感覚はなかったですね。
ただ、参加したという感じでした。
そして、電光掲示板。
そこには、
「1-6」
が、映し出されました。
ビギナーズラックです。
12000円。
僕は、よくよく思えば、この人生、
「16」「36」「52」「56」
に縁があります。
そう言えば、僕の良く知る人物の誕生日が「1-6」ですね。
こういうのって、あるんでしょうね。
閉店。
高校3年生のときだったな。
親戚に、同じ歳で、もう仕事をしていた奴がいましてね。
そいつに連れられて、行ったもんです。
パチンコ、競艇、スナック。
パチンコは、当時も今も、18歳以下は来店禁止なのですが、そこはまだ、昔。
ぜんぜん、厳しくなかったですね。
学生服で行ってましたから。
パチンコと言えば、あの日のことを思い出します。
あれは、間違いなく、僕対策でした。
当時、お金もないですし、300円負けたら、すごすごと家に帰って行きました。
12月24日でした。クリスマスだったので、良く覚えています。
その日も、そいつと、パチンコ屋に寄ったんです。
夜、8時半頃に入店しました。
僕は、どうせ負けるんだと思い、台を選ばなかったわけです。
そいつは入念に台を選びましたので、僕は、その隣に座ったのです。
玉は、どんどん減り、最後の1個になりました。
その1個が、チューリップに飛び込んだわけです。
バラバラと落ちてくるパチンコ玉。1個入ったところで、心細い量しか出て来ませんのでね。不確かなことは言えませんが、1個入ると、15個流れてくるんじゃなかったかな。
もう、ダメだと思うと、1個入るんです。
それを繰り返していた時に、連続で入り、上の皿がいっぱいになりました。
そこからでしたね。
どんどん入るわけです。チューリップは開きっぱなし。
この台は壊れてるんじゃないかと思ってしまうくらいなのです。内心、怖くなりましたね。
店員さんが、長方形のブルーの空箱を持って来てくれて、その箱が、3つ、4つと増えて行きました。
僕の街では、あまり入らないパチンコ店で有名でした。
お客さんも少なかった。なので、高校生でも、目を瞑っていたのでしょう。
その店は、打ち止め終了がなかったのです。
箱はどんどん増え、何度も店員が覗きに来ます。
他のお客さんも、僕の後ろに並んで、僕のフィバーぶりを観ています。
足下に置いた箱は、いつの間にか、10箱近くになりました。
交換時は、1箱が約2500円でしたから、すでに25000円です。高校生に25000円は、大金の域を超えています。親戚の奴は、僕の箱から玉をくすねていましたが、そんなことは、気にならないのです。
箱が5つくらいになったとき、父に電話をしたのを覚えています。
父は、電話口で笑ってましたね。
その店の、閉店は10時でしたから、後、30分はやれるのです。
ところがです。
ところがでした。
店内にアナウンスが流れたのです。
「本日のご来店、誠にありがとうございます。本日は9時半で、営業を終了させて頂きます。また、明日のご来場を、お待ちしています。本日は、誠にありがとうございました。」
そのアナウンスを聞きながら、思いましたね。
「オレだ・・・。出しすぎたからだ。」
と。
終了時には、3万円近くになっていました。
今では、僕はパチンコはやりませんが、僕のハイスコアは、あの日でした。
高校生です。3万円も入ったんです。少々、減っても構わないという思いから、
翌日も、その店に行ったのです。同じ台を目指しました。
良く出る台は、数日間、そのままだということを知っていましたので。
少々、釘をいじっても、出るものなのです。
その台に、向かいました。人は、座っていません。
「ラッキー!!!」
ところがです。
ところがです。
台には、張り紙がしてありました。
「故障中」
やっぱり、そういう台だったのですね。
昨日の閉店が早まったのは、僕対策で間違いないでしょう。
パチンコ屋を、早めに閉店させた男。
今、歌を歌っています。
じょーじゃんじゃないよ。
寅ちゃん、死んじゃったからなぁ・・・。
「男はつらいよ」を、初めて観たのは、中学2年生ときだったでしょうか。
「こんな大人が、こんな愛すべき人がいるだろうか」
と、思いましたね。
それから、正月は、毎年欠かさず観続けました。
渥美清さんは、小学生のころ、
テレビドラマ「泣いてたまるか」で、知っていました。
元都知事の、青島幸男さんと、主演を1週ごとに交互でやっていましたね。
当時、青島幸男さんは「意地悪ばあさん」を、やっていましたので、子供に人気が高く「泣いてたまるか」も、周りでは、青島幸男さんの回を観てる子供が多かったんです。
僕は、両方とも観ていましたが、何だか、毎回、切なくなるのは、渥美清さんの方でした。
そんな、渥美清さんの「男はつらいよ」でしたが、なぜ、観に行くことになったのかは、覚えていないですね。
大人が観る映画でしたから。
観られている方も、多いとは思うのですが、
毎回、始まりは「寅(とら)」の夢から始まるのです。
夢の中では、さっそうとしてるんです。二枚目を演じるんですね。渥美さんの、あの容姿でしょ?渥美さん演じる「寅」が、二枚目ぶって格好つけるのが、おっかしくて、おっかしくてたまらないのですよ。
「男はつらいよ」ファンというのが、もう全国にいるわけで、「寅」が登場すると、拍手が起こるんです。
僕は、全作観ています。東京に出て来て、2年目。まだ、誰もビデオデッキなど持っていませんでしたが、僕は「男はつらいよ」を、観るためにデッキを買いました。
そのシリーズでは、毎回、マドンナが現れましてね。
ストリーでは、そのマドンナに「寅」が惚れるのですが、恋は実らず、失恋した「寅」は、旅に出るというのを繰り返すのです。
お約束なのです。
日本映画史上、これほど愛された男がいるでしょうか。
全48作品です。
1作目から48作目まで、どこを覗いても、そこには昭和の良き日がありました。
いつだって、懐かしいのですから。
そうそう。
第10作目。マドンナは「八千草薫」さんでした。
この回は、印象的でしたね。
毎度、フラれる「寅」。
そして、お約束で、マドンナ「八千草薫」さんに、コクるのです。
マドンナには様々な理由があり、「寅」を選ぶことができません。しかし、その「八千草薫」さんの回は、違ったのです。
突然でした。
「あたし、寅ちゃんならいいわよ・・・。」
そんなことを言われた「寅」は、ぶったまげます。
「寅」は、自分がやくざな風来者であることをよく知っています。
あのシーンは、忘れません。
その言葉を聞いた「寅」は、カクっとなり、
「じょーじゃんじゃないよー。」
と、しどろもどろに返すのです。
マドンナの未来を、自分が汚してはならないという、気持ちですね。
あの間と表情。
忘れることはありません。
絶体絶命。
あれは、1996年。いや、97年。いやいや、98年。ちょっと待って・・・プレイバック。
99年・・・。
どうでもいいです。
忘れました。その辺りの話です。
それは、その国の首都。その首都のメインストリートから一本脇道に入ったところにそびえ立った、誰もが知っている有名ホテルでした。
その日は、早朝から写真撮影が行われ、19時頃にホテルに戻ってきたのです。
僕は、万年肩こりのため、肩こりから頭痛が起こることも珍しくありません。
ホテルの自動ドアをくぐると、すぐ右側に横長のフロントカウンターがありました。
「おかえりなさい。」
「はい。今夜、マッサージを呼んでもらえますか?」←←←デタ!!👏
「何時頃にいたしましょうか?」
「22時にお願いいたします。」
それから3時間後~
「ピンポーン。」
ドアを開けたら、女性でした。部屋へとおします。二言、三言、声をかけたのですが、
無反応でした。英語が通じませんでした。
まぁ、しょうがないでしょう。別に、会話は必要ありませんので、僕は、すぐさまベッドに倒れ込みました。
「◯×□△。」
「はい?何?」
「◯×□△。」
「何?なに?」
女性は、Tシャツを脱げと言ってるようです。珍しいですね。裸になれとは。
この国の習慣なのでしょう。
僕は、Tシャツを脱ぎ、再びベッドに向かおうとしたのですが、
「うーん、うん、うん!!」
そんな声を上げながら、下を脱げというポーズを始めました。
「えっ?うん?」
「うん。」
日本では、パンツ一枚になってマッサージを受けることはないので、
躊躇しましたが、ここは異国。 郷に入っては郷に従え。
僕はボクサーパンツ一枚で、マッサージを受けました。ヨカッタ・・・。
ブルマ型のパンツじゃなくて。黄緑色じゃなくて・・・。
予定の、約1時間が終わりましたが、こりがほぐれていないのです。
その夜は、不完全燃焼でベッドに入りました。
翌日も、朝は早かったですね。写真は、朝の光がいちばん奇麗に撮れるものなのです。
撮影が終わったのは、18時過ぎ。そのまま食事に行き、ホテルに戻ったのは20時半頃でした。
僕は、その日もマッサージを頼みました。
「すみません。男性をお願いできますか?」
「男性ですか?」
「はい。男性を。」
「女性ではダメですか?」
「男性がいいんです。」
僕を、ジロジロと見ています。フロントマンは、奇妙な笑みを浮かべながら、
「分かりました。用意させてもらいます。」
なんだ?あの笑みは・・・。
その日も22時からとなりましたが、その日は、打ち合わせをしようということになりまして、
スタッフ全員が僕の部屋に直行しました。
打ち合わせが終わったのは21時半。さっさと、部屋の片付けをして、シャワーに向かいました。
しかし、このシャワーが問題で、適温にならないのです。少し回すと熱湯になるし、
少し戻すと水になる・・・。
ついには、熱湯を溜め、水を注ぎ、バスタブの中で、頭をつけ、髪を洗いました。
風呂から出ると、もう22時でした。
「ピンポーン。」
真っ裸です。僕は、バスタオルを腰に巻き、あわててドアを開けました。
そこに立っていたのは、完全な男でした。デカい・・・。
砲丸投げ選手のようにいかつい。ニコっと笑っています。
僕は、すぐにスウェットを着て、用意をしました。
また、どうせ脱がされるのだろうと思いましたが、男は、脱げとは言いませんでした。
何だったんだろ?昨日は・・・。やはり、言葉は通じません。
そして、マッサージは始まりました。僕は、うつ伏せになっていました。
男は、太ももからもみ始めました。
そして、足の裏を揉んでいたのですが、ふとマーーサージを止め、
なにやら、持って来ていたカバンの中に手を入れています。
気にしませんでした。それより、眠気がきていましたから。
そして、足の裏を揉み始めたのですが、感触が違うのです。ヌルヌルしてます。
オイル?
それを、足の裏いっぱいに伸ばすようにした後、また、マッサージを止めました。
それから3分ほど、沈黙がありましたかね。喋りかけても通じないわけですから、
もう黙っていました。
そして、僕は首の向きを変えようとしたのです。そのときでした。
あれ・・・。動かない・・・。なんで?
まったく動かないのです。驚いて起き上がろうとしたのですが、できません。
身体が動かないのです。
サビは突然やって参りました。
男が背中に乗っかって来たのです。僕のTシャツを脱がせようとしています。
「おい、おい、おい!!」
と、言ってみたところで、声にもなっていません。上半身、裸にされてしまいました。
何が起こっているのかぐらいの見当はつきます。初めてです。心構えもないのですから。
いや、そうではなくてぇ・・・。
「まずい・・。異国で。とうとうか・・・。」
いや、日本でだって同じです。じょーじゃんじゃない!!
「え?何だ?せ、背中、舐めてるーう!?」
絶対絶命です。こっちは無抵抗。その上、相手は、デカいホーガン投げ選手なわけですから。
か、身体が・・・う、動かない・・・。
とうとう、ホーガンの舌が首筋まで・・・。そして、横顔、唇まで、・・・。
とうとう舐められてしまいました。マジ、まじヤバいです。
そのときでした。この身体が動かない感覚。何かに似てると。
それは、金縛りでした。中学生のころから始まった金縛り。僕はレジェンドです。
金縛りのときに、声を出すことや、身体を動かす技を得とくしていましたので、
それを使ってみたのです。
「うぉー、うぉー!!」←ノー、ノー!のつもり。
「うぁうぇうぉー!!」←やめろー!のつもり。
それでも、ホーガンは止めません。
僕は,、渾身の力を振り絞って左手をホーガンの顔に向かって振りました。
手首だったと思うんです。当たりました。ホーガンの鼻に。
その動作をやったことによって、しびれた身体が、少し戻ってきました。
一瞬ホーガンがひるんだスキに、 僕は立ち上がることができたのです。
ふらふら、よろよろでした。ホーガンは殴られた上に、
僕が立ち上がったことに驚いている様子でしたが、すぐにバッグを持つと、
「ソーリー、ソーリー。」
なんで、ここだけ英語なんだよ!!
「うぇいうぉ、うぁうぇうんばうぇ!!」←英語喋るんじゃねぇ!!のつもり。
ドアを閉めて、逃げるように立ち去って行きました。
いやぁ。もうちょっとで、あっちの世界を見てしまうところでした。
しかし、こちらにも落ち度というか、それを誘導させるできごとがあったのです。
まず、フロントに男を要求した。二番目に、男を裸で迎え入れた。
三番目に、僕の部屋にメイク道具があった・・・。
体制は、こちらが整えてしまったのです。
今でも、あの背中を舐められた感覚は忘れません。
そして、横顔、めくられた唇・・・。
と、まぁ、このような海外体験があったわけですが、
この話をすると、男全員が言います。
「その、ヌルヌルと塗られたやつ、手に入りませんかね?」
そこかーい!!
僕はね、ある国でとんでもない目に遭ったんですよ。
この話は、仲間内で笑いながら話していたことです。
また、仲間は「この話は、ASKAさんが誤解されてしまうので、絶対に話さない方がいいです」と、口止めされてはいたのですが、そう言われると、何が何でも話したくなるのが僕です。
ステージで、何度も喋りかけてしまいました。
ゲリラトークをしそうになりました。
冷静になって、止めておいて良かったと思えたか?
いえ、なぜ、話さなかったのかと、自分の勇気が情けなくなりました。
いま、ここに来ても、何の問題もないと思えているのです。
この話は、僕がアジアツアーのプロモーションで宿泊した、旅先で遭遇した、世にもまれなお話なのです。
あれは・・・。
あのできごとは・・・。
ちょっと、眠たくなってきましたので、
明日、お話しますね。
さて、おやすむよ。
みなさんも、おやすもう。
Yahooニュース
これまでも語ってきましたが、世間の興味を引くためにメディアはあります。
どんな記事にしろ、やはり自分が書いたものには興味を持ってもらいたいですからね。
ネットニュースなどでは、同じ記事が広がって行きます。
自分の書いた記事が広がって行く。
これには、ふたつの感情が伴っています。
「目を引きたい」
「安心する」
この「安心する」が、やっかいなんです。
自分の書いたものが、広がり、それはやがて巨大化します。
コピー、コピー、引用、引用を繰り返して行くからです。
巨大化することで、いつの間にか、信用性を孕むからです。
嘘であっても構わないのです。
脂肪のような作りごとも、広がることで、筋肉に見えてしまうものです。そう錯覚させることができるのです。
脂肪を筋肉に見せることができると、安心します。「みんなで渡れば怖くない」精神です。
もう、すでに僕の言い続けていることに、信憑性を感じたメディアから取材の申し込みがあります。
気づいている敏感なメディアもいるのです。
そんなメディアは、必ず同じことを言います。
「独占取材をしたい。」
ここで、僕は距離を置きます。
独占になんの意味があるのでしょう。もちろん、切っ掛けは必要でしょうから、そういう意味での「独占取材」は、あり得ると思いますが、このようなできごとは、僕にインタビューをしてもダメなのです。
どこまで行っても、僕の言い分にしかならないからです。
「一緒に暴こう。」
と、いうのであれば、また、違います。
鈍感なメディアは、未だに僕の妄想で片付けようとします。
ご丁寧に「ファンが大丈夫か?と」「ファンを不安にさせてる」
と。
もう、みなさんはお気づきでしょう。
確かに、多くのコメントの中には、そのようなものもあったでしょう。
そのような、ひとつ、ふたつのコメントを拾い、それを多くのファン心理として、世の中に広めます。
なぜでしょう。
その方がおもしろいからです。
加えて、僕が病気の方がおもしろいのです。
今後、この事件がどう展開して行くのか、僕にも定かではありませが「孫子の兵法」を用いるならば、まだ、機は熟していません。
この10年間、そうでしたが、彼らは、バレそうになると逃げます。逃げれば、勘違いですますことができるからです。
今日、壊された2台のパソコンを検証に行ってきました。
実は、音楽制作に使用しているパソコンもやられているのです。
合計3台です。
さるところは、この僕の状態を記録してくれております。
「どの角度から見ても間違いはない」と、いうところまで行かなくてはなりません。10個のうち、ひとつでも「疑いの域を超えない」が、あってはならないのです。
本にも書きましたが、彼たちの仲間意識は永遠ではありません。
必ず、崩れます。
電界、磁界。
電界を上。磁界を下と、位置づけるならば、上と下を交互に行き来することで、電磁波は起こります。
話が逸れました。
いろんな方法があるようなので、その度、立ち止まってしまいました。
その度、できごとに詳しくなっていきました。
世間は、立場や権威のある人の発言にしか、耳を貸しません。
そのような人たちにも、気がついていないことがあるのです。
この国は、本当に遅れています。
17/03/29
あの日を境に、一切「ぎなた読み」できる文章がなくなった。
いくつか、気になるものはあれど、偶然の範疇で片付けることができる。
また、以前、ウェブ調査で、
「同サーバ上の他のウェブサイト」が92個あったが、
今日調べたら、1個になっていた。
同様のことは、前にもあった。
そのときも、そのサイトを詳しく調べた後だった。
裏で、どんな繋がりを見せているのかは、明言できないが、
「ふきそTシャツ」
は、笑える。
以前、あのブログを「サイト丸ごとダウンロード」で保存した。
その後、過去ログが、すべて消去されていた。
だが、私の手元には、その一切が、残されている。
メモ
そのデータを確認すると、私に、そのブログが発見されてしまった直後、
彼が「丸刈り」になった写真を、仲間に公開したものがでてきた。
とても、興味深いできごとだ。
仲間からは、
「気にするな。お前のせいではない」
と、なだめられていたが、
私を、なだめてくれる人はいなかった。
大晦日に、公開した動画はCD-Rに記録してある。
安い身なりのDJが、どこかの工場内でクラブミュージックを流していた。
その音楽に乗って、流されていたのは、ミックスされた声だった。
誰の声なのか、一目瞭然だ。そんなに逃げなくてもいい。興味があるなら、聞かせてもいい。
仲間の人数が多いというのは、こちらにとっては、
「追いやすい」と、いうことだよ。
メモ
お買い物。
今日は、厚くも薄くもない雲に覆われた太陽の光が、僕の立つ窓を目がけて、まっすぐ伸びて来ています。
この滲んだ太陽、何だっけ・・・。
すぐに思い出しました。
ドバイでした。
あの地の太陽の滲みかたに似ていました。
アラブ首長国連邦のひとつ。
つまり、アラブとひとまとめに呼んでいる国々の中の、ひとつの国。
アラブの中で、最も若い国。
ドバイの王様は、ある意味ベンチャーなんですね。
それまで「砂漠に人は住めない」という定説に逆説で向き合いました。
今、世界は砂漠化が進んでいますが、王様は考えたんですね。
「この砂漠も、その昔はそうではなかったはず。この砂を深く掘ったところには、必ず土がある。この砂漠に都市を建設できないものだろうか・・・。」
そして、王様は実現に向かうために、全世界の資産家、セレブからお金を調達するんです。
砂漠を抜けてゆくところに、こつ然と現れる巨大都市ドバイ。
街のはずれは、建設ラッシュでした。
今も尚、砂漠が建物に押しのけられて行く。
まだ完成もしていないのに、買い手が決まっているマンション群。
すでに2年先まで、予約があるそうです。
どこもかしこも映画のセットのようでしたね。
僕の宿泊したホテルは、偶然にも、その王様が経営するホテルでした。
キラキラとは、この国のためにあるような言葉だと思いました。
小さなタイルひとつとっても眩しいのです。
なんだっけ・・・?
あ、そうそう。
買い物の話だ。これをしたかったんだ。
ホテル内には、ブランドショップが並んでました。
ここ10年くらいかな。
僕は、バッグを持つようになりました。
会社から、誕生日プレゼントにバッグを頂きましてね。
それまで、バッグを持って歩くという文化は僕にはありませんでしたが、一度持つと、もう離せませんね、あれ。
電話、充電器、財布、パソコン他・・・。
とにかく、便利なんです。
その並んだショップのひとつのドアをくぐりました。
バッグ屋さんでした。
僕は、昔から買い物に時間をかけません。
その日もそうでした。目に飛び込んで来たのは、表面が濡れたような光沢をした白いバッグでした。
「ポルシェ」と、書いてあります。「ポルシェ」って、バッグなどもあったんですね。一目惚れでした。
「すみません。これいくらですか?」
「ああ、ポルシェね。それ15万円です。」
「高いな・・・。」
海外です。値切ってみようと思ったんです。よくよく考えると、迷惑な客ですよね。ホテルのブランドショップで値切ろうとする客ですから。
「15万か。ね、これもう少し安くなりませんか?」
「おー!?あなた、ラッキーですね。今、ちょうどセール中なんですよ。5万円でイイですよ。」
即買いでした。15インチのノートパソコンもいい具合に入るでしょう。こんなに気に入ったバッグは初めてです。
「セール中か・・・。」
僕は、急に強気になり、向かいのショップにも足を向けました。
広々とした店内の壁を隠すように、ぐるりと服がかけてありました。
僕は、常日頃、あまり買い物をしないので、この日ぐらいはいいだろうと思ったんです。海外ですし。セールですし。
買い物は早いです。
まず、目についたのは、目の覚めるようなブルー一色のスウェットでした。本当に奇麗です。スウェットと言っても、下はありません。おしゃれ感覚で着るスウェットデザインの上着ですね。
袖をとおしてみたら、出会いのようにピッタリでしたので、青と白の2着を買いました。その他、イタリアデザインの上着。スニーカーを。
久しぶりでしたね。洋服を買うなんて。
その夜は、刺激的でした。
砂漠の国です。昼間は、差すように太陽が熱いのですが、夜は、長袖を着ても、寒いのです。
ディナーは、キャンプと呼ばれる場所でした。
砂漠の片隅に、場所を確保したかのようにテントが張られ、そこでは大勢の観光客が溢れていました。
食事半ばで、突然ライトが落ち、どこかともなく妖艶な女性が現れ、スポットライトの中で踊るんです。
何だっけ・・・?
あ、そうそう。
まぁ、楽しい旅だったという話です。
日本に戻ってからのことです。ある日、カード会社の明細を眺めていたのです。
「・・・。」
「なに?これ・・・。150万・・・えん・・・。」
「し、知りまふぇん・・・。」
一、十、百、千、万、十万、ひ、百・・・万・・・。
ひんむきました。目ん玉・・・。
ド、ドバイです。あのショップです。
「じょーじゃんじゃない!」
4点ですよ。スウェットですよ。たかが、ジャージですよ。
スニーカーですよ!!
何度も、見直しましたが、確かに150万円と書いてあります。
ぼられた・・・。
泣きそうな顔で、いや、泣きながら、そのドバイのショップに電話を入れました。
「◯月◯日に、買い物をした日本人ですが、おたく、計算を間違ってますよ!」
「何を買われました?」
「ブルーのスウェット、白のスウェット、スニーカー、それに・・」
「あーあなたですか?」
「覚えてますか?」
「もちろん、覚えてますよ。」
「今、明細を見たら150万でした。間違ってますよ。」
「はい。150万円です。」
「・・・。た、たきゃい!!たきゃすぐるでしょ!!」
「だって、あなた、サインをしたじゃないですか。」
そうなんです。バッグのショップがセール中だったので、店内、どこもセール中だと勝手に思い込み、日本の感覚で、このくらいだろうと思っての買い物でした。確かに、値札も見ずに買ってしまったのです。
カモられました・・・。
値札も見ずに買い物をしてるバカな日本人の動向を、観察した上でその値段にしてみたのでしょう。
すぐに気がつき、クレームを入れれば、
「おー!間っ違えた。ごっめんなさいねー。」
と、やるつもりだったのでしょう。
ところが、そのバカな日本人は、書かれた数字をニコニコしながら見ていたわけです。
確かに数字の数は多いなとは思ったのですが、ここはドバイ。通過であるディルハムって、どこのメーカーのハム?状態ですから、大して気にしなかったのです。相手は、有名ブランドショッップですし、そんな犯罪まがいのことはしないだろうと。
しやがっていたのです。
だいたい、毎日訪れる観光客。買ったモノを伝えただけで「あーあなたですか!」って変でしょ?
すでに1ヶ月近く経っているわけですから。
きっと、印象に残るバカ客だったわけです。わたしは・・・。ニコニコバカ・・・。
「サインをしてしまったら終わりだ」と・・・。
終わらせられました・・・。
ひ、ひゃくごじゅーまんえん・・・。
そんな話を、スタジオでしていたんですね。すると、そのときのレコーディングメンバーが。
「ASKAさんもやられましたか?」
「え?なんで?」
「実は、僕、新婚旅行でドバイに行ったんです。ホテルは、もうドバイなので、キラキラだらけでしたけどね。そこで、朝食を食べたんですけど、やけにサービスが・・・。なんか、特別扱いされてるなと思ったんで、気持ち悪くなって、途中で切り上げたんです。」
「それで?オチは?」
「はい。7万円でした・・・。」
ドバイの王様は、世界一が好きなんです。
ぼり方も、世界一でした。
「もう一度行きたいですか?」と、聞かれたら、迷わず答えるでしょう。わたしは。
「あの店員に会いに行きたい」と。
トーク番組や旅番組など、絶対に出演しませんが、あの店員に会うのであれば、
話は別です。
terry君へ。
行いに気がついてくれて良かった。
あのまま行くと、訪問者の数が増大し、引けなくなった君は、更に続け、最終的にはメディアに晒されるような出来事になっていたでしょう。
マネージャーのfujiからのコンタクトは、事実ですよ。
すでに「はてな」にも通報済みでした。
「警察から情報開示を求めても良いですか?」
と、いうやりとりが、なされていました。
なので、脅しではありません。
terry君へ送った文章の内容は、僕とやりとりをしながら決めました。
どういう内容であったか。
terry君が、公開をするというなら、それもいいでしょう。
少しも、高圧的な文章ではありませんでしたよ。
もし、terry君が内容を公開するというのであれば、terry君がマネージャーに送った内容も添えてくださいね。
ひとまず、大きな出来事にならなくて良かった。
terry君の文章は、僕の特徴をよく捉えていましたね。
パロディと、謳った上で、
これから、続けられたらどうですか?
それはそれで、みんなが楽しめるものになるのではないでしょうか?
これからも、一緒に楽しみましょう。
ありがとう。