8月25日C&A デビュー39周年

皆さんの元に会報が届けられています。

僕が会報でお伝えしたことは、ほんの一部です。

お伝えしましたように、二人とも「C&A」への愛情はあります。
福岡から、不安を抱えながら、二人だけで東京に出て来たのですから。

そんな二人でしたが、いつの頃からか、自然と会話が減ってきました。
仲が壊れたからではありません。
二人の役割が確立できたからです。

それは、グループによく見られる現象です。

CHAGEにはCHAGEが求められる役割、
僕には僕が求められる役割が確立されたからです。
お互いが、自分のポジションを良く理解していた。

僕には、CHAGEが本当によく耐えて来たなと思うことがあります。
それは「世の中からの対比」です。

確かに、C&Aとして世の中には僕の作品が目立ちましたが、

ステージにおいてあいつの役割は大きかった。

しかし、それを理解してくれていたのは一部の人になります。
どこに行っても、誰と会っても、

あいつには僕という存在との対比が付いて回っていたはずです。

世の中から対比されるあいつの想いを、

僕は誰よりも理解していましたので、
いつもあいつの場所を考えながらやってきました。

どうすれは、あいつがCHAGEに見えるか。
それはあいつも同じように、

僕がASKAに見えるよう頑張っていてくれていたと思います。

今から思えば、その気遣いが行われていた時間が、

いちばんC&Aらしく、最高のバランスでした。


長くお話しするつもりはありません。

今、僕はあいつと二人で話すことができません。

僕の文章を見ている限り、

二人だけで直接話が出来る状況ではないという見解をもらいました。

僕のことを、よく知らない人の発言でしょう。
そこは、あいつが僕をフォローしてくれなきゃだよね。

昔から僕のことを知っている人なら、

僕の文章には、なんら違和感を持たないと思います。

僕は、昔も今も変わっていません。

今、ここに来ても、そう見えるのでしたら、

この先もずっとそう見えるわけですので、
いつまでも会えないということになります。

ま、そう発言したのがCHAGEではないと信じています。
あいつは、誰よりも僕を知っているはずですから。

昔は、誤解が起こる度に、あいつに電話をして解決していたなぁ。
あいつの家に出かけて行って解決していたな。

しかし、2007年頃から、そんなこともできなくなってしまいました。

いろんな人たちが、間に入り過ぎなんです。

あいつは、僕のことを十分すぎるくらい理解しているはずです。
僕があいつのことを、あいつの家族より理解しているように。

どんなことがあっても、あいつのことぐらいわかります。
底抜けにお調子者で、誰よりも気難しい男で、バカで軽薄で、

愛すべきヤツです。

あいつが「昔のASKA に戻って欲しい」と発言しましたが、
僕も「昔のオマエに戻って欲しい」と、思っています。

でも、きっと、二人は何にも変わっちゃいないんですよ。

いつか、二人で話せる日も来るでしょう。
二人で話さなくてはダメなんです。
周りを込巻き込んではダメなんです。

それができないうちは、ソロアーティストだ。
きっと、もっと時間がかかるかな。

なにせ、強情で意地っ張りの良い格好しいですからね(笑)
皆さんには、案外見えてないでしょうが、バカがつくくらい、

そんなヤツなんです。いや、超弩級です(笑)

まだまだ声は出ます。
なので、ちゃんと見せられる、聴かせられるシャウトができるうちに、
その時が来ればいいなと、思っています。

8月25日。
本日、39周年目を迎えました。

僕は、先に、お飾りのような城を出ました。
あいつにも「早く出ろよ」と言いたいですね。

こんな発言は、ここFellowsという、僕のホームならではです。
あいつのオフィシャルは、あいつのホームならではです。

お互い、アウェイとホームを持ってます。
でも、そのぶつかり合いが一つの空気を生む場所があるのです。

まだ建てられてもいない城で、
これだけの人たちが待ってくれているんだから。

 

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植替え用の鉢を注文しました。

8日前に「幸福の木」をお見せしました。

ちゃんと「幸福」は伸びて来てますよ。

毎日、 眺めては声をかけています。
8日前は、こうでした。



今朝はこうです。



成長を見るのが楽しみです。
未来は成長でありたい。

待てなくて、まだ早すぎる植替え用の鉢を注文してしまいました。

おはよう。

 

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バクバク・・・。

24時近くだったかな?昨日のお開きは。

会いに来てくれた、元ヤマハ大阪支部宣伝をやってくれていた方は、

通称「荒ちゃん」と言います。

関西は「荒ちゃん」に任せておけば、トラブルらしいトラブルはありませんでした。
僕らがデビューした頃、音楽業界は「ヤマハ王国」と呼ばれていました。
デビューする新人の殆どがヒットチャートに入りましたからね。

それでも、「ヤマハ王国」など呼ばれ出すと、

必ず「反体制派」というのが現れます。
そんな「反体制派」は、アーティストにも生まれましたね。

「『一発屋』で、後は放ったらかし。」

誰かが言い出したんでしょうね。

まぁ、インパクトのあるフレーズですので、

メディアまで、そう言い出しました。


全然そんなことなかったですよ。

 

つづきは、

 

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水泳(競泳)

昨日は、レコーディングそっちのけで、水泳アジア大会を観ていました。

先日、男子800メートルリレーで、日本男子が金メダルをとりましたので、
昨日の女子800メートルに期待いっぱいだったのです。

銀メダルでしたね。
中国強い・・・。

日本チーム2番手で泳いだ

池江璃花子

通称「イケエリ」

18歳高校生の「イケエリ」。
ものすごいオーラを出してますね。

顔も、本当に綺麗。
「100メートルバタフライ」で、金をとりました。
4種目で金メダルですから、驚きです。
彼女、そのうちファッション誌が放っておかないでしょうね。

その昔は、「水泳王国日本」と言われていた頃があるのです。
「バタフライ」という種目はありませんでした。

「平泳ぎ」と「バタフライ」は、同じと見なされ、「平泳ぎ」で「バタフライ」をしても良かったのです。

いつの頃か、別の種類に分類されました。

「イケエリ」

観ていて、惚れ惚れします。

すっかり身体は出来上がっていますが、今後、まだまだタイムを縮めていくでしょうね。
楽しみです。

今日は、デビュー当時からお世話になった、
ヤマハ大阪支部で宣伝をしてくれていた方が会いに来てくれます。

ヤマハのアーティストは、全員と言ってもいいほど、その方にお世話になっています。
もう10数年以上前に定年退職をされたのですが、大阪でのライブの時は必ず顔を出してくれます。

事件では、本当に心配をかけました。

著書、

「700番」

を、読んでくれ、

「私が知ってるASKAと、何にも変わっていなかった」

と、連絡をくれたことから、最近、また頻繁に連絡を取り合っていたのです。

今日は、顔を見るためだけに来てくれます。
ですので、当時ヤマハのアーティスト数人に声をかけました。

声をかければ、即、全員が集まるでしょうが、
まぁ、それは無理ですので、近しいところで。

今夜は、お酒を飲めない僕も、「お酒に酔わないサプリ」を飲んで、
お相手したいと思っています。

本当にお世話になったんだ。

 

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前例は前例

今、ツアーの打合せが終わりました。
来年早々から行う、従来のバンドスタイルのツアーのスケジュール調整です。

そんな打合せ中、
1986年1月2日に行った「NEW YEAR EVENT ONE NIGHT MAGIC」の話を思い出していました。

実はあのライブ、本当にやりたかったのは「カウントダウンライブ」だったのです。
それまで、他のアーティストで「カウントダウン」をやられた方もいらっしゃいましたが、
アリーナクラスで「カウントダウン」を行なっていたアーティストはいなかったのです。

僕らが希望したのは「日本武道館」でした。

武道館の方々は驚かれましたね。
武道の聖地です。

毎年、元旦は「稽古初め」なのです。
それはそれは、たくさんの剣士が武道館に集まります。

粘りに粘ったのですが、やはり、年を跨いだライブとなると、

ステージセットの撤去作業を終えて、
元旦の「稽古初め」の状態に戻すのは至難の技でした。

当時は、撤去するにも人海戦術であり、
全ての作業がアナログですからね。確かに時間がかかりました。


すぐに頭を切り替えました。
ならば、「ニューイヤーイベント」に切り替えて、

1月2日にやらせていただけないかと。

あの頃は、年末の「大賞レース」を終えると、正月を過ぎ、

早くても1月半ばから、多くのアーティストは活動を始めていました。

武道館の方々も、

「我々にも正月休みをください」

と。

僕には、当時から思っていることがありました。

「正月は、家に居るもの」

確かにそうなのですが、大晦日から正月三が日は、
だいたい「初詣で」以外、やることがないんですね。

この、

「やることがない」

という正月の状態、

そして、その気持ちをくすぐってみたいと考えていたのです。

何度も、何度も武道館の方々にお願いを続け、

とうとう承諾していただきました。

武道に「稽古初め」があるならば、音楽にだって「音楽初め」があってもいいじゃないかと。

音楽業界において、前例のない正月のライブなわけですので、業界でも注目されました。

結果、瞬時のソールドアウトとなりました。

1986年と言えば、C&Aは、まだブレイク前でした。
そのような状態の時に、正月、武道館が瞬時にソールドアウトとなった事実は、年末、正月における音楽業界のあり方を大きく変えたんですね。

もっとも、C&Aは「賞レースには参加しない」というスタイルでしたので、やれたことでした。

今でこそ、各地のアーリーナやドームで、アーティストがカウントダウンライブを行うことは、珍しくありませんが、当時、大晦日にアリーナでライブを行うということは、まず、あり得なかったんんですね。

前例がないなら、例をつくればいい。

一度つくってしまえば、そこからは当たり前のことになる。

今の僕の状態は、そうですね。

いろんなことの前例を覆しながら活動しています。

前例は前例です。
どこかで新時代の幕開けは必ず起こる。

歴史は、こうやって新しいものを受け入れてきました。
「新時代」とは、そういうものだと思うのです。

今では、もう「カウントダウンライブ」の会場を押さえられないほど、

当たり前のことになりました。

また、ドームで「カウントダウンライブ」をやりたいですね。
それには、今から動かなくてはなりません。

ぜひ、いつかどこかで開催される「カウントダウンライブ」に、

全国から、ご家族で参加されてください。
一緒に、ライブ会場で新年を迎えましょう。

「3! 2! 1! おめでとぅーっ!!!!」

うん。
本気です。

やりましょう!!

今日、来年のツアーの打合せをやっている時に、

ボーっと、そんなことを考えていました。

全国各地、ホールのスケジュールが出揃ってきましたが、

2020年の東京オリンピックを前に、残念ながら、

東京の会場がフィックスされていません。

何としても希望の会場を押さえることができるよう、
みんなで、頑張っています。

その前に11月5日から始まる、ビルボードラシックスコンサートですね。

先行受付は、まだ「Fellows」だけです。
他で行われる「先行受付」の割り当て座席数まで「Fellows」で埋めてしまいました。

だって、これだけ待ってくれたんです。
ここは死守です。

スタッフは「他の先行受付」と座席の調整で大変ですが、
ここは、何としても頑張ってもらいたいと思っています。

来年からのツアーもそうです。

当分のテーマは、

「特別扱いして何が悪い!?」

これです。

昨夜、新曲の歌入れが完了したしました。
本日、アレンジの見直しを行いまして、

明後日より、Mix Downに入ります。

「Cry」
「メーリーゴーランド」

の、2曲です。

 

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ASKA

ベストアルバムに入れる新曲の歌詞ができました。

最近、福岡に帰る度に、小学校時代の同級生が集まります。

そう。
あの「カブトガニ事件」を、知っている奴らです。
あの話は、毎回のように出ます。

もちろん、

「ワニの居た沼」

の話も。

みんな、それぞれです。

定年を迎え、ゆっくりしている者。
新しい人生を迎えている者。
様々です。

 

つづきは、

 

 

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お客さん

今から、高校時代の剣道の恩師と日体大剣道部のOBの方が見えます。
四段合格のお祝いに来てくれます。

高校生以来、40年ぶりの挑戦で、周りからは「無謀だ」と、言われました。
しかし、日体大OBのみなさん初め、沢山の方々に応援をいただきました。

稽古日ではない日でも、みなさん、僕のスケジュールに合わせていただき、
道場に集まってくださいました。

僕の四段の実技シーン、
いつかどこかで見ていただけることになるかもしれません。

先日、お伝えいたしましたように、実技では何も緊張しませんでしたが、
実技合格の発表後の「日本剣道形」では、やはり、少しね。

OBの方は、「日本剣道形」専門の先生をつけてくれました。

今日は、最大級の言葉で感謝を伝えなきゃ。

アルバム用の新曲、アレンジも終了しましたよ。
今日、お客さんがお帰りになったら、詞書きを始めます。

ベストアルバムに必要な新曲を書いたつもりです。
ディズニーっぽい、

そしてポップ、尚且つクラシックな要素を含んだバラードです。

と、書いたところで、恩師から、

「駅に着いた」

と、電話が入りましたので、少し、お迎えの用意をいたします。



ASKA

星は何でも知っている

8月25日「Weare」より 配信

https://youtu.be/PLegG_Ojfxs


星は何でも知っている


何があっても 僕は僕のままさ
君はとても良い人で きっと僕は悪い人 酷い人

星は何でも知っている
僕が履いてたぼろ靴も

右から僕を微笑む人 左から僕を睨む人
みんな一緒に迷い子に なってるみたい

 

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ASKA

Fellows Tree

今日は1日、頭痛で終わってしまいました。

先ほど、長い時間お風呂に浸かったところ、急激に回復しましたので、
やはり、血流が悪かったのかな?と・・・。

そう言えば、夏には時々ありました。

一日中、部屋から出ず、
クーラーの効いた部屋で作業していますので、血流も悪くなるのでしょう。

これから作業に入るか、今日は、もう止めるか・・・。
少し、状態を見ながら考えます。

さて、

「Fellows Tree」

この情報を送ってくれましたのは、
先日「夏休みの計画」で、社員たちがダイビングのライセンスを取得した、沖縄、本部(もとぶ)の
リベルテ」さんからでした。

実は、「Fellows」に入会してくれていたのです。
ブログを読んで、直ぐに、動いてくれました。

「知り合いが、『幸福の木』を、取り扱っています。数千〜数万個でも、対応できるとのことです」

早速、業者さんとマネージャーが、連絡を取り合っています。

 

つづきは、

 

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ASKA

幸福の木 2

おはよう。

みなさん、いろいろ情報をありがとうございます。

可能性の高い、有力な情報を頂きましたので、
早速、スタッフがやり取りを始めようとしています。

あれほど我らが、探しても探しても見つからなかったのに・・・。

ですので、みなさんの忙しい時間を割かせては申し訳ないと思い、

「WANTED 幸福の木」

は、一旦、終了させてもらいますね。

 

つづきは、

 

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ASKA(2018/8/16 11:54)

幸福の木

「夏休みの計画」

で、沖縄に行って来た話は、もっか、「エピソード7」まで来ました。

7月27日に東京に帰ってきたんですよね。
26日は、那覇に居ました。

そう。

「ホテルから出たら通り雨が過ぎていた」

と、ブログに書いた日です。

その日、メンバーが那覇市内に買い物に出かけたのです。
僕は、部屋で「アメリカドラマ」を観ていました。

「ありましたよ!!」

買い物から帰ったスタッフから手渡されたのが、

「幸福の木」

でした。

実は、

つづきは、

 

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ASKA(2018/8/16 0:20)

松山っす!!

「もしもし」
「はい」
「千春さん?」
「そうですが・・・」
ASKAですよ」
「おー!オマエ、元気でやってんのか?」
「オレは、元気だよ。何?千春さん病気なの?」
「オレは、ピンピンしてるぞー!」
「いや、オレのブログに『千春さんが体調崩されてます』って、あったからさ」
「げんき、元気!」
「あ、良かったです」
「それより、オマエ、ちゃんと曲書いてんのかぁ?」
「悪いけど、オレ、千春さんより曲書いてると思うよ」
「まぁ、そうだろうな(爆笑)何?オマエ、こっち(札幌)に来てんのか?」
「いや、東京」
「そっか・・・」(おそらく、札幌だとしたら、どっかに連れて行ってくれるつもりだったのでしょう)
「あ、そうそう。糖尿病って話も聞いたよ」
「ばかやろ!オレは『糖尿』ではなくて、『立派な糖尿病』だよ!」
「(ふたりで)わっはっは!!!」
「札幌、遊びに行くね」
「おー、来い来い!!」

兄貴、ぜんぜん元気でした。
ただの「立派な糖尿病」だけでした。

僕、「糖尿病」が治る医療機械を知ってますので、早速手配して、
兄貴の「糖尿」を治しに、近々会いに行って来ます。

今、このブログを書くのに、もう一度電話しました。

「今日な、あれから、こっちでオマエの曲を流せるよう、やってるからな!!」

あの人、毎回、泣かせてくれるんです。

やっぱり、昨日、飛行機の中で、

松山千春です。みなさん、お疲れでしょう。スチュワーデスさんも、一所懸命やってくれてます。
まぁ、のんびり行きましょう!!
(モノマネで)はてぇーしーないーおおぞらとーひろいだいちのーそのなかでぇー
松山千春でした」

って、やっておけば良かったと後悔しています。



ASKA

明日から、レコーディングです。

今日、お盆で、母を迎えた後、
先ほど東京に戻ってきました。

離陸直前に、管制塔に落雷があり、
機内に1時間半・・・。

お客さん、ぐったりしていましたので、スチュワーデスさんのマイクを借りて、

「はて〜し〜ない おおぞらと〜、しろいだいちの そのなかでぇ〜」

と、歌おうと思ったのですが、

「千春さんのマネやん!!」

と、言われるのがオチでしたので、思いとどまりました。

明日は、朝から取材がありまして、
午後からは、レコーディングが始まります。

10月までに「ニューアルバム」を完成させなくてはね。

来年、初頭にリリースできればと思っています。

なので、今、やれるときにやっておかなくては・・・。

来年は、今年行いました毎月配信のようなことはできませんが、
ポツリ、ポツリと新曲は発表したいかな。

そうそう。

散文詩 詩集」

を、発表できるかもしれません。
やはり、誰かが、どこかで見ていてくれるんですね。

1984年に出版した、初の詩集。

「オンリー・ロンリー」

以来だなぁ・・・。

僕も、楽しみです。


ASKA(2018/8/13 23:12)

興毅との約束果たせました。

無事、四段に合格いたしました。

午前8時に、福岡の「九電体育館」に着いた時には、
もう、剣士が溢れていました。

9時半ごろから、昇段審査は行われました。

先ほど、実家に戻りまして、
これから、同じく、一緒に四段に合格した

ゴリけん

と、その仲間たちとで打ち上げです。

約40年ぶりの「昇段審査」でした。

まーたく、緊張はありませんでした。

たくさんの応援、ありがとうございました。
何よりも、興毅との約束を果たせてよかった。

では、行って来まーす!!!

 

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「夏休み計画」後記 エピソード7

1986年に、与那国島海底遺跡が発見されたのを、僕は新聞で知りました。
ですので、この発見をリアルタムで知っていたのです。

その後、琉球大学が遺跡として声を上げたのですが、沖繩県がそれを認めなかったんですよね。
人工の建設物であるとは証明できないと。

僕はロマン好きでしたので、以来、与那国島にいって、自分の目で確かめたいと、
長い間、思い続けていたのです。

と、いうのも、それから間も無く、キューバ海域の海底で、
アトランティス大陸らしきものが発見されたという発表があったからです。

それがもし「アトランティス大陸」だとすれば、その言い伝えから、真っ直ぐ線を引いたところ。
つまり、沖縄南に「ムー大陸」が存在していたという説が出てきました。

いろいろ調べますと、「ムー大陸」があったことに、疑いは持ちませんでしたが、
与那国島辺りに「ムー大陸」があったという話には、信ぴょう性は感じませんでした。

しかし、何らかの古代文明があった形跡は見えたんですね。
ですので、10年ほど前から、与那国島の「海底遺跡」には、非常に興味を持っていました。

つづきは、

 

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