剣道 2

「剣道はオリンピックに参加すべきではない」という、現役剣士の話が、よく目につきました。このブログが切っ掛けとなって、世間に物議をかもしたようですね。そうですね・・。日本の武道。相手を敬う精神の表れです。確かに、そうかもしれません。

 

僕は、ロンドンに住んでいるときに、家から、電車で40分かかるところで、剣道をしていました。そこは、教会でした。週に1回、剣士のために、教会が場を提供してくれていたのです。そこは、コンクリートの上に板を打ちつけてありましたので、日本の武道場の、あのしなりのある床とは違っていました。7人ほどの剣士が、自分たちでお金を出し合って、教会を借りていたのです。そこのリーダーは、日本で、5段を取得した人物でした。日本の剣道をイギリスに広めようと頑張っている剣士のひとりでした。テクニック的には、やはり、大きな差がり、皆、日本人の僕が行くと、全員が僕にかかってきます。教会を、道場と捉えておりますので、教会のドアの前では、深々とお辞儀をしてから、道場(教会)に、入って来ます。防具をつける所作、練習前の、黙想。そして「切り返し」「面打ち」そして「地稽古」。残心もしっかりあります。練習が終わると、ひとりひとり、正座をして深々と頭を床につけます。音符が共通語であるように、剣道も共通語だなぁと感じました。

 

ロンドンで、学ばせていただいたことがあります。「打たれることに動じない」と、いうことでした。いかに綺麗な剣道をするかに徹してしました。皆、日本の剣道の美を心がけながら練習に励んでいました。「五輪書(ごりんのしょ)」(宮本武蔵の書いた剣術における兵法書)なども、読破しておりました。日本の剣士で「五輪書」を読み切った剣士はどのくらいいるでしょうか。僕も、手には入れたものの、半分も読めませんでした。そのくらい日本の剣道に魅せられているのです。

 

3年おきに、「剣道世界選手権」が各国持ち回りで行われております。日本剣道の強さは、他国を圧倒しています。世界の剣士は、日本の剣道に目を凝らしています。皆、日本に学びたいのです。優勝戦などの審判は、ほぼ外国人です。公平さを保つためでしょう。それでも、日本剣道が勝利します。これは、ある意味、剣道のオリンピックです。「剣道世界選手権」と、いう名の。

 

世界選手権には参加しているに、オリンピックは拒否するという考えに少々疑問を感じての発言でした。連盟には、もっと、深い考えがおありなのでしょう。若輩の僕には追いつけない何かがあるのでしょう。

 

韓国は、数年前に「剣道の起源は韓国である」と、世界に向けて発信しました。韓国は、日本につづいての剣道大国です。発言権も強まってきています。韓国は、オリンピック種目に剣道を加えることを提言しています。やがて、いつかはそうなるでしょう。そうなった時に、怖いことがあります。物事には淘汰があります。日本の介在しないところで、いつの間にか、国際ルールが生まれてしまうということです。これだけ世界に広まった武道(敢えてスポーツ)です。いつの間にかできあがってしまう国際ルールを食い止めるためにも、日本は、日本剣道を強く世界に向けて発信しなければならないと思っています。オリンピックとなれば、国民はテレビの前で剣道に声援をおくります。世界選手権は、残念ながら、テレビ放送されません。この違いなのだと思っています。韓国剣道の、試合における大げさなアピール、審判への抗議。日本の剣道にはない姿ですが、それが、間違っているとは思いません。韓国剣道で根付いた姿であり、育った剣道だからです。正しいと思ってやっています。しかし、やはり見苦しい。日本古来の剣道を守るためには、剣道の発祥地、日本が世界へ向けて発信し「国際ルールを生ませない」という願いを込めての発言でした。ロンドンの剣士に出会わなければ、この考えはなかったでしょう。オリンピックで、日の丸の上がる光景を日本人として見てみたい。全世界に見て欲しい。ネットや、スポーツ新聞は、僕が連盟に対して要求しているように書きましたが、そうではありません。あくまで、一個人の思いです。ありがとうございました。

ASKA