僕を諭してくれるあなたへ。

仰ることは、ごもっともですね。

 

ただ、それは、週刊誌であったり、内情をよく知らない方の、情報ですね。

僕は、いろんな意見を甘んじて受けていこうと思っていますので、直接内容に触れることはしませんが、なぜ、スタッッフが僕の元に集まってくれるのか。

 

全ては、ここなんです。

 

僕は、このことに関して口を開くことはしません。

 

起こしたことの反省は、僕の中にあり、それを示してゆくのが、今の、そしてこれからの活動です。

 

僕は、2年間の謹慎期間の中で、様々なことを考え、ひとつの扉の前に辿りつきました。

 

以前から、お伝えしていることを集約すると、

 

「いつまで、頭を垂れてるのか。執行猶予が明けたな。よし、今日から曲を聴こうなんて人はいない。今、僕は音楽にもう一度向き合おうとしてる。この瞬間を大切にしよう。僕がしっかり音楽をやることが反省の表れであり、自分の新しい道を切り開くことになる。耳を塞いでいる人に、どんな音楽を作っても、聞こえはしない。僕の音楽が聴こえる人に、最高の音楽を届ける。それが、いつしかリプルリングのように世の中に広がっていけばいい。」

 

事件後、僕の大切な人たちは、皆、連絡をくれ、顔を見に来てくれました。

何も変わりません。これからも一緒に頑張ろうと。

 

本当に仲間だと思えました。

僕が、逆の立場であれば、同じことをしています。

 

ただ一人、一切、連絡が取れない人がひとりいます。

それは、事件後ではなく、事件前からでした。

 

僕に、恐縮しているのか、すまながっているのか、それはわかりません。

それだけのことがありましたので。

 

もう、僕にできることはないのだと思っています。

ただただ、残念です。

 

先日、そんな彼から、一通の手紙が人を介して届きました。

手紙の最後に謝罪がありましたが、僕は、言葉が欲しかったのではないのです。

心が欲しかったんです。

 

僕は、その手紙に対して返事を書いていません。

顔を見て、直接伝えようと思っています。

 

心で。

 

ASKA