Tug of C&A会員番号

僕らが「チャゲ&飛鳥」であった頃、独立した会報誌などというものはなく、

YAMAHAアーテイストの情報誌、確か「MUSIC CITY」と名付けられた、小雑誌のようなものの中の1ページで、僕らの情報は、届けられていました。

 

それほどヒット曲と、言えるものはなかったのですが、その頃の、皆さんの「お気に入りのアーティスト」という項目では、月を重ねるごとに、そのチェック項目の小さな四角のマスでは、僕らへチェックマーク「☑️」が増えていったのです。

 

僕らは「MUSIC CITY」から、独立する決断をいたしました。

 

いわゆる「ファンクラブ」と、呼ばれるものですね。

 

当時は、「ファンクラブ」=アイドル

でした。

 

アイドルとは呼ばれない先輩歌手たちで「ファンクラブ」のようなものを持っているアーティストは、業界を見渡しても5本の指で余るぐらいの数でした。

 

新人そこそこのアーティストが「ファンクラブ」を設立しようとしたのですから、

それはもう、大変な反対に遇うわけです。

 

「ファンクラブを立ち上げるのは悪いことではない。しかし、この流れの速い業界。

 ほぼ、5年でアーティストは消えてゆく。設立して、すぐに解散などという恥をかく

 勇気が、君たちにはあるのか?」

 

僕たちは、即答しました。

 

「設立します。」

 

そもそも「5年で消えてゆく」のが通常であるならば、5年で消えても恥ではないと思ったからです。

 

ファンクラブ「博多っ子」の誕生でした。

その時、僕たちは、僕たちのファンクラブにおいて

 

「僕たちだけがやる特別なもの」

 

を、模索しました。そして、たどりついたのが、

 

「会報誌を毎月発行する」

 

だったのです。

業界におけるファンクラブの会報誌というものは、半年に1回。多くて1年に3回でした。

 

無謀でしたね。新人アーティストでもありましたし、年会費も当然安く、会報誌の制作、郵送代だけで「とんとん」もしくは「赤字」でした。

 

会報誌は、皆さんご存知の「ミヨちゃん」による、手書きでした。会員の皆さんに、なんとか喜んでもらおうと、本当にいろんなことをやりましたね。

 

僕たちふたりを漫画にした「コッキーちゃんとポップちゃん」なんてのも、今では、本当に懐かしいなぁ・・・。

 

全イベンターから止められた、新人アーティストの型破りな活動。

 

「全国60本ライブツアー」

 

ヒット曲こそ恵まれませんでしたが、ライブは「sold out」。

会員は減ることなく、増え続けました。

 

そして、

 

「いつまでも地域性を引きずったファンクラブ名『博多っ子』では、良くない」

 

と、考えたのです。

 

ある時でした。友人たちと海に行った時のことです。

小さな船が大きなタンカークラスの先頭にいるのです。

 

「あれ、なんだろう?」

「あ、あれはね、湾内に入ってきた大型船を接岸するために(座礁などの事故を防ぐため)導くというか、引っ張ってんだよ。」

「あんな小さな船がタンカーを?」

 

当時、インターネットなどありませんでしたので、その小さな船が何と呼ばれているのかを調べるのに苦労しました。辞書で調べることもできないのです。

検索用語などというものもありませんでしたので。

とうとう、電話したのです。

 

タンカー会社に。

 

「タグ・ボート」

 

と、呼ばれる船でした。

小さな船がワイヤーで大型船を岸まで導くのだと。

 

僕たちふたりが、たくさんの(ファンだと言ってくれる)仲間を引っ張ってゆく・・・。

 

「これだ・・・。」

 

僕の興味は「小型船が大型船を引っ張ってゆく」ことよりも、

それをつないだワイヤーでした。

あの大型船を引っ張る「タグ(引っ張る、つなぐ)・ボート」のワイヤー・・・。

切れることのないワイヤー。

 

「絆」

 

ファンクラブ「博多っ子」は、

 

「TUG of C&A

 

と、なりました。

 

そんな「TUG of C&A」でしたが、実は、何度も運営の危機に直面していたのです。

良質の紙を使った会報誌。毎月の発行。郵送費。関わるスタッフの人件費。

 

これは、押し付けがましく受け取らないでくださいね。

1年に2回、3回、4回会報を発行している他のアーティストのファンクラブ年会費と、

ほぼ同等、もしくはそれよりも安価な年会費での運営は、すさまじく大変でした。

 

数え切れないくらい、相談を持ちかけられました。

 

「何とか、年、3,4回の発行にならないだろうか?」

 

と。

 

「例え、ページ数が少なくなろうとも、毎月の発行だけは続けたい。赤字が大きくなったなら、僕たちが歌って埋めてみせるから。」

 

35周年の時でしたかね。

ギネス申請をしたのです。

 

おそらく、世界中のアーティストで、30数年間、毎月会報誌を発行しつづけてきたのは、CHAGE&ASKAだけではなかろうかと。

 

残念ながら申請はとおりませんでした。

「運営」は「経営」のカテゴリーに入ってしまうと。

そうなると、100年以上経営している会社も多く存在するわけですからね。

 

その後、「年会費を上げない」は、やはり会社の負担となりましたので、

皆さんには申し訳なかったのですが、2回ほどですか?3回?

上げさせていただきました。

 

僕の起こした不祥事によって、僕たちだけのギネスをストップさせてしまい、

心から申し訳なく思っています。

 

現在「TUG of C&A」は、休止とのことですが、事件により、ロックダムとの契約を打ち切られましたので、休止とは名ばかりで、事実上は解散です。

 

僕は、ロックダムの株主ではありますが、現在繋がりはありません。

 

僕が、不覚にも涙を流してしまったのは、

事件後も90パーセント以上の方々が「TUG of C&A」に在籍をしてくれたという話を聞かされた時でした。

 

先日、今尚、在籍をしてくださっている会員の皆さんに、このブログを1冊の本にして、無償でお届けしたいと申し出たのですが、断られました。

 

理由は、現在関係性を待たないアーティストに、個人情報を渡すわけにはいかないと。

 

「ならば、本にまとめた状態で、お渡しするので、届けてくれないか?」

 

という交渉をしたのですが、

 

「届けられて迷惑する方もいる」

 

そうなんですよね。

ロックダムの判断は、社会の一員としての判断ですので、間違いはありません。

透明性を重んじた判断であると、受け取りました。

 

なぜ、このようなエントリーになったのかと言いますと、

「会員番号を失いたくない」と、思われている方々が、おられることを知ったからです。

 

早く、お伝えしなくてはならないと思いました。

 

10月に設立する「ASKAオフィシャルサイト」では、

その会員番号を引き継ぐことはできません。

 

全てが一新です。

 

設立に際しまして、現在の僕の状況を鑑みると、

まだ、有料会員を募ることはいたしません。

 

もう少し時間が経ってのことになると思います。

 

ひとりになりまして、その後、たくさんの出会いがありました。

加えて、昔の仲間が、戻ってきてくれています。

 

何もかもを受け入れてくれて集まってくれています。

僕の中は、

 

「なんてバカな、イカしたやつらなんだ」

 

と、思っています。

 

たくさんの感謝、そして、僕を応援してくださってる皆さんの温かさ。

 

 10月のオフィシャルサイトの名前は、

 

「Fellows」

 

です。

 

ASKA