巣立ち

昨日、FUJIこと「藤山祥太」の、挨拶がありました。

僕らは、彼を「祥太」と、呼んでいました。

 

皆さんには「FUJI」として、紹介いたしました。

 

ご存知のように、コンプライアンスの問題で、何も動けなかった時に、

僕を迎えてくれたのが、ふるさと「福岡」でした。

 

ASKAバンドのコーラスを担当する「一木」が、僕を福岡に迎えるための、

すべての準備をしてくれました。

 

一木は、福岡に留まらず、九州全域で音楽制作をやっていますので、

とにかく顔の広いやつなのです。

 

ヤマハの、通称「ポプコン」では、高校生の時、すでに九州大会などに勝ち上がってきていましたので、年齢では僕の方が上ですが「ポプコン出場者」では、僕より先輩です。

 

一木は、僕の音楽をとても評価してくれており、彼の経営する「音楽スクール」では、

とりわけ僕の楽曲を課題曲にしたり、講義の題材にしてくれておりましたので、彼の教え子は、誰もみんな僕に敬意を払ってくれます。

 

祥太も、その一人でした。

 

祥太は、一木の「一番弟子」だったのです。

ですので、福岡でレコーディングをした「Too many people」では、

祥太は一木の指示で、何から何までサポートをしてくれたのです。

 

その仕事ぶりを見ていましたので、僕は、祥太を東京に連れてきました。

 

マネージャーとは、僕の代理ですので、外部に対しては、ある意味僕の顔なわけです。

未経験であっても構わない。そのうち仕事を覚えていけば良いことですので。

 

「僕の顔」となってくれるに有難い人物だと思いました。

皆さんも、仰ってくれるますように、祥太は、他人に嫌な思いをさせません。

いちばん大事なことです。

 

これって、どの世界においても言えることです。

僕は、他人と会った時に、心がけていることは、

 

「嫌な思い、気持ちにさせたくない」

 

これは信条です。

 

これを、皆さんが「人誑し(人たらし)」と、言うのであれば、

僕は自他共に認める人誑しなのでしょう。

 

彼の、音楽に対しての真っ直ぐなところに惹かれました。

お勉強も、ずば抜けてできます。

 

あの「孫正義」「ホリエモン」と、同じ学校出身です。

 

現在、祥太は27歳。

男、30歳を前にして、この1年間においての経験から、

人生の勝負に挑むのだと思います。

 

もともと、アーティスト志望ですので、日本の中心地においての経験から、

やがて迎える30歳までの3年間を、自分の活動に向けたいと決心したのです。

 

「思った時が、やる時」

 

物事には、すべて「タイミング」があります。

祥太は、人生において、今が、そのタイミングだと考えたのでしょう。

 

男の決心です。

 

「あの時、あの3年間をマネージャーとしてではなく、アーティスト活動に専念しておけば良かった・・・」

 

このような後悔はさせたくありません。

 

思い切りやってみればいい。

 

今後は、僕が祥太をサポートする番です。

 

この世界、どんなに才能があっても、成功するわけではありません。

僕は、これまで何度も、

 

「運だけでやれてきました」

 

と、語ってきました。

本当にそうなのです。

 

人との出会い、起こった出来事・・・。

振り返るたびに、本当に運が良かったと、心からそう思っています。

運だけでした。

 

でも、この「運」っていうやつ。

人生を様変わりさせるほど、大きな力があります。

 

その「運」が、祥太にあるかどうか、誰にもわかりません。

楽曲制作能力は、すでに十分あります。

ボーカルも、素晴らしい。

 

あとは、その「運」を、祥太が引き寄せることができるか。

出会うことができるか・・・。

 

アーティスト「藤山祥太」を、よろしくお願いいたします。

 

と、書いているところに祥太がやってまいりました。

これから、機材周りの環境を新しくしますので、そのセッティングが始まります。

 

だって、来年、

2月か3月から、毎月楽曲を発表することを、お約束してしまったでしょう?

 

引けない。

引けないってばヨ。

 

 

ASKA