本当に便利になった。
1979年、デビュー当時、東京で初めて目にしたスタジオは、
まるでUFOの操縦室に入ったかのような錯覚を覚えました。
みなさんに説明するならば、ミキサーですね、
スタジオの1/3程を占める横長のミキサーが、
UFOの操縦機のように見えたのです。
24個の音を録音できました。
1個に1つの楽器が録音できるのです。
そうして24個に録音されたテープを走らせると、
みなさんが聴かれているサウンドになるわけですね。
それは、間も無くデジタル録音となり、コンピュータ制御となりました。
驚きました・・・。
様々なことができるのです。
デビュ当時の24個録音できた機材は、
「24チャンネルアナログマルチテープレコーダー」です。
それが「24チャンネルデジタルマルチテープレコーダー」となったわけです。
以前は「Mix Down」の時には、数人でミキサー(プロはコンソールと言う)の前に立ち、
例えば、曲の間奏になると
「オレは、ギターを上げる(ボリューム)から、途中から、ASKAはストリングスを下げて!」
「歌中に入ったら、歌詞の『ん』が聞こえづらいので、そこだけ突いて(上げて)」
など、全員が最終テイクに参加します。
誰か一人でも、失敗したら、また最初からやり直します。
それがデジタルとなると、機械が全てを制御しますので、
一度覚えさせれば、そういう上げ下げは、勝手にやってくれるのです。
みんなが、コンソールの前に立つ必要はなくなりました。
そして僕は、これからはアーティストがスタジオを持つ時代になると考え、80年代の終わりに、友人とスタジオを建設しました。
何のバックボーン(事業協力者)もなく、全く個人で建設しました。
アーティスト初めてのプライベートスタジオでしたので、
業界では本当に話題になりました。
ユーミンから矢沢さんまで、ほぼ全てのアーティストが利用してくれましたね。
レコーディング中、アーティストがどのような状態になるかが分かっていましたので、スタジオの中に、ミーティングルームや小部屋を設けたのです。
現在、この国にあるスタジオの80%以上は、
そこがモデルとなったスタジオです。
間も無く、
SONYが「48チャンネルデジタルマルチテープレコーダー」を発表いたしました。
元々、「スタジオ経営は黒字にはならない」と言われていましたし、
何のバックボーンを持たずでしたので、多くの方々から、応援していただきました。
SONYは「48チャンネルデジタルマルチテープレコーダー」の世界第1号機を、
そこに置いてくれました。
今、僕は、そのスタジオとは関係ありません。
アーティストの音作りが、スタジオから、今の僕の部屋にあるような作業部屋に変わると思ったからです。
パソコンの進化が超加速したからです。
「歌入れ」「Mix Down」まで、部屋でできてしまいます。
もちろん、ドラム、ピアノ、ストリングスなど、
それらを録音するスタジオは必要ですので、
それらが行えるスタジオだけが、辛うじて経営できている状態です。
でも、「スタジオマジック」というのは確かにあるんだな。
あの独特な空間でしか思いつかないアイデア、
そして、歌というのがあります。
今の若いミュージシャンには、それを知ってもらいたい、
体験してもらいたいと思っています。
今、東京には、一番多くスタジオがあった頃から比べると、
もう30%も残っていません。
ロックアウト(1日貸し)で、利用する、いや、できるアーティストなどは限られた人だけです。
今、僕は楽曲によって、スタジオが必要か、そうでないかを決めています。
まだ僕は、みなさんが楽曲を買ってくれますので、それがやれています。
もっとも贅沢な音作りがやれているアーティストの中の一人でいれています。
この時代の流れを、そのまま受け入れて行くと、スタジオはほとんど無くなるでしょう。
レコード会社もなくなるでしょう。
本当に改革がなければ、ミュージシャンは育たなくなってしまいます。
音楽に「夢」を持つことがなくなります。
それが、そのままエンターテイメントに反映されます。
楽曲を作っても食べて行けなくなってしまった。
なので、ライブができるアーティストだけが残るのです。
音楽業界が一丸となって元の状態に戻さなくては、先日、引退を発表した「安室」ちゃんなどのような、夢のあるライブ空間は演出できなくなります。
テクノロジーの進化は、生活を便利に変えて行く反面、
様々なモノを、むしばみ続け、存亡の危機に立たせていることも確かなのです。
そういう発言をしている僕は、そのテクノロジーの恩恵により、
昨日、
「蘇州夜曲」
「予感」
の、2曲のMix Downを終えました。
これからの時代は、
「民主主義」
「社会主義」
この二つが混じった「第三の主義国」で、なくては国を維持できないでしょうね。
「社会主義」「共産主義」
は、決して間違ってはいないのです。
これは、いつか、また日曜日にお話しさせてください。