上海、そしてアロマオイル。

上海イベンターの社長が事務所に来てくれました。

彼は、2代目なんです。
僕との出会いは彼のお父さんからでした。

1997年に上海体育館でソロライブを行いました。
それまで、中国では、

いわゆるアリーナクラスのライブはほとんどなかったのです。
それには国としての理由がありました。

中国は、ご存知のようには「共産主義国」ですからね。
97年当時でも13〜14億の人口でしたが「共産主義国」が、

一番恐れていましたのは、
「一箇所に人が集まる」ということだったのです。

人が集まり群衆化した場所で、

政治色の強い発言などをされることに対して、とても敏感です。
今尚そうです。

15億の民を誇る中国でも、「1万人」規模の集合体の主役は

「危険因子」とみなされます。
つまり、僕です。

あの時、その今日お会いした社長のお父様は、

「国は変わらなくてはならない」

と、政府の要人たちに食い下がりました。
何度も何度も掛け合い、国が扉を開いてくれたのです。
中国において画期的な出来事でした。

それが、海外のアーティストでしたからね。
1万人収容の「上海体育館」で2日間のライブを行いました。

強い条件がありました。

「決して民主主義を彩る発言をしてはならない」
「観客を立たせてはならない」
「楽曲の歌詞を検閲したい」

共産主義国」の民に、ふさわしくない歌詞があれば、その箇所を、

「書き換える」

もしくは、

「歌わない」

これが、条件でした。

「IDコンサート」

でした。

もちろん、ふさわしくないと判断されれば、

その要求に応じるつもりでしたが、
幸い、僕の歌詞は検閲には引っかからず、全曲歌うことができました。

その後、

中国では至る所で数万人が集まるイベントが行われるようになりました。

今日、会社に訪れてくれた社長のお父様とは、

それ時からのお付き合いです。

それまで大掛かりなライブは、ありませんでしたので、

今、中国音楽業界のアリーナライブは、ASKA、そして、

その後に乗り込んでいったC&Aのライブスタイルがベースになっています。

中国では、一度信頼関係を築くと「家族」にしてくれます。
息子さんで、現在社長の彼は、

あの時の僕のソロライブが初の仕事だったのです。

「早く来て欲しい。中国のファンはみんな待っています」

胸が熱くなる言葉でした。
来年2月から始まるバンドスタイルのライブは、

アジアツアーを計画しています。
早く中国のオーディエンスと最高の時間を共有しなきゃね。

今日は、その後「アロマ」の打ち合わせをいたしました。
僕が、

「香り好き」

であることは、知ってくれてると思います。

「TUG of C&A

でも、グッズに「アロマオイル」が、ありました。
今回は、僕が、自分好みのブレンドをして来ました。

世の中の「アロマオイル」は、刺激が強く、肌に直接触れてはいけません。
今回の「アロマ」は、本物の精油となり、植物から抽出しただけの香りなので、
1滴で十分部屋に漂います。


ハンカチに1滴落とすだけで、1日中、香りが続きます。

3種類のアロマオイルです。

「大空」
「海洋」
「安息」

という、名前をつけました。
アロマは、その香りを吸うことで、身体の内側から身体を整えます。

アロマ健康法をやられている方には、説明は不要ですね。

3種類の効用に関しては、また、別の日に、説明させてください。

先ほど、部屋に戻りました。

さ、レコーディングです。

そうそう、初めての上海ライブ。
中盤からは、オーディエンスは総立ちになりました。
取り締まらなくてはならない公安の若者が、

一緒になってライブに参加していた光景は忘れません。

www.fellows.tokyo



ASKA