本日、裁判でした。証人として法廷に立ちました。

今回の裁判は、

個人情報をメディアに公開したタクシー会社との裁判でした。

みなさんも、よくご存知の出来事です。
タクシー内に設置された「ドライブレコーダー」をメディアに手渡したタクシー会社です。

特殊なケース以外は、個人の尊厳、プライバシーは厳守されるべきです。

この場合「特殊なケース」とは、車内で運転手に暴力を振るったり、

無賃乗車などという犯罪においてです。

今回の僕のケースは、それに値しません。
車内におけるプライバシーを、本人の許可なく世間に公開されたことです。

あの車内映像を、メディアは「逮捕前の行動、挙動」とし、
視聴者に向かって逮捕と関連付となるよう、

入手した動画を公開いたしました。

「ニュース報道」という媒体を使った、
視聴者の興味を引くためのものでしかありませんでした。

当初、タクシー会社は、自らの責任を認め、和解を申し込んできました。
僕、弁護団が提示した金額の1/5の和解金でした。

犯した責任を認めてくれたのであれば、それでもよかったのです。
お金が目的ではありませんので。

しかし、和解には応じられませんでした。
和解内容に、

「この出来事を一切公開しない」

の、一文が添えられていたからです。

やってはならないことを犯した責任を認めての謝罪であれば、
和解金の大小は問題ではありませんでしたが、

「全てをなかったことに」

では、裁判の目的とは違ってしまいます。

タクシー会社の弁護人からは、

「タクシー内にドライブレコーダーが設置されてることぐらい、認識されていますよね?」

と、受け取れる質問がありました。

もちろん、そう聞かれれば「知っている」と、答えます。
しかし、密室でのプライバシーが守れられることも、

料金に入っていますし、そのようなことに身構えて、
タクシーに乗るお客さんは、まず、いません。

タクシー会社の言い分は、

「そのドライブレコーダーを渡すよう、メディアより、半ば脅迫めいたことを仄めかされた」

とのことでしたが、脅迫であれば、

そのメディアと裁判をすればいいだけです。

メディアは、どんなことをしても、情報を得るのが仕事です。
ですので、メディアの行為が行き過ぎた行為であっても、

それがメディアの仕事ですので、
それを行なったメディアの行為に承服はしませんが、理解はできます。

問題は、

それがどういう波紋となるかを予測しなかったタクシー会社に責任があると思うのです。

また、「出来事を公開しないでほしい」と、

和解を望んできたタクシー会社が、
裁判に持ち込んだのは、矛盾しています。

裁判となれば、一切を公開しなくてはならなくなるからです。
過去の判例では、「人権侵害」「プライバシー侵害」に対して、

大きな賠償額は命じられません。

結局、お金が目的ではない僕と、
過去の判例を目論み、少額の賠償金となることを選んだタクシー会社。

この両者には、裁判に向かう姿勢に、大きな乖離がありました。

次回は、判決です。
裁判官より、答えが出されるということです。

過失は明らかにタクシー会社にありますので、

世間の目を通しても判決は明らかです。

「裁判に負ける」
「会社を公開される」
「世間に晒される」

では、タクシー会社にとっては、負の部分が積み上がるばかりですが、
ただ、ひとつ「利」となる部分がありました。
それは、

「賠償金が少額で済む」

と、いうことです。

これは、過去、週刊誌などが、行なってきた手法です。

「そのくらいの賠償金なら、嘘であろうと書いてしまえ。負けても本が売れれば儲かるんだから」

この判例を利用し、
それによって傷ついてきた有名人が数えきれないほど泣き寝入りをしてきました。

この裁判に続いて、僕は芸能レポーターとの判決を迎えます。
その後は、「だまし討ち」で視聴率を稼いだテレビ番組を告訴するつもりです。

時代は変わりました。

「やった者勝ち」

を、世間が見逃さない時代に入りました。

以前より、伝えてきました。
先進国における過去の判例を変えるために臨んだ裁判です。

この気持ちは変わりません。

テレビ局を訴えるとなると、僕の活動範囲は狭くなるでしょうが、
僕には、ライブがあります。

盤石な活動場所があります。
僕だから、できることなのかもしれません。

世間には、
この国の「人権侵害」「プライバシー侵害」で支払われる賠償額に、

注目をしていただきたく思います。

 

www.fellows.tokyo



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