「ファミリーボール」
今日のお仕事は特別なものになりました。
一つの仕事において、別々の会社、そして企画など、4つのことが同時に動くなんて・・・。
それぞれが、違う形で世の中に発信されることになります。
詳細は、もう少しお待ちください。
そうそう。
今朝は「詩集」の取材を受けてきましたよ。
取材をされた方の手元に見えたノートには、
文字が「押しくら饅頭」のように詰まっていました。
僕の「詩」を何度も読んで、僕の表現や単体の言葉など、
その方の琴線に触れたのであろうところを抽出して、取材に来てくれたのが分かりました。
そして、ビックリ!
お互いがビックリでした。
会話の中で出た言葉にお互いが反応したんです。
僕が北海道千歳市に住んでいたときの記憶から、
以前ここに掲載した詩がありました。
「ファミリーボール」
正しくは「ファミリーボウル」だそうですが、
僕は「ファミリーボール」と記憶してしまいました。
「千歳」は、北海道の玄関です。
「千歳空港」がありますからね。
しかし、街の賑わいは、ありません。
僕が住んでいた頃が、一番活気があったのではないかと思っています。
「千歳」は、今尚「自衛隊さん」の街です。
朝方、家の前の道路を戦車が走っていたのですから。
今でも、時々はそうなんじゃないかな?
3つの駐屯地がありますので、僕が住んでいた頃は「土」「日」には、
若い隊員が「駐屯地」を出て、街に繰り出し、
ひとときの「自由」を楽しんでいましたので、街には人が溢れていました。
それでも「千歳」です。
「溢れていた」というのは、当時の僕の感覚ですので、
きっと、今みなさんが浮かべられた「溢れていた」のとは、
ずいぶん違うと思います。
そんな街に、ボーリング場が出来たのです。
それが、
「ファミリーボウル」
でした。
どう表現しようか・・・。
そう、千歳に「ディズニーランド」がやってきたようでした。
当時、女子プロボーラーが、大スターの時です。
そんな大流行していたものが、千歳にできたわけですから、
それはもう、大変な騒ぎでした。
3〜5時間待ちなど、ざらでした。
いつ名前がアナウンスされるか分かりませんので、
その場を離れるわけには行かない・・・。
中学生です。
お金などありません。
5時間待って、やっと1ゲーム・・・。
当時、1ゲーム「250円」じゃなかったかなぁ・・・。
日曜日になるのが本当に楽しみだった。
特に「冬」は、午前中にスキーをして昼から「ボウリング」。
僕は自衛隊官舎に住んでいました。
100軒以上の家が四角に建ち並んでいました。
その真ん中に、バレーコート、野球場、
そして10メートルほどの山が造られていましたので、
その山に降り積もった雪で、子供たちはスキーをしていたのです。
今日、取材をしてくれた方は、
僕と同じ頃に「千歳」に住まわれていた方でした。
ですので、タイトルの「ファミリーボール」に、強く反応されたのです。
僕は「新富町」。
その方は「北栄町」。
隣ですよ・・・。
「当時、大橋マーケットがあってさ。」
「知ってます!!」
「そうなんだ!?オレ、そんなに読書家じゃなかったけど、なんか本屋さんが好きでね」
「あー!!あの本屋さんですか?」
「千歳中学に下りていく坂の上の本屋さんですよ?」
「私も、いつもそこでした!!」
僕よりも5つ若い方でしたが、同じ時を過ごしてたんだなぁ・・・。
そして「ファミリーボウル」を知っていてくれたことが、
本当に嬉しかった。
今、千歳に住まわれてる方で「ファミリーボウル」の存在を知っている方は、どのくらいいるのだろうか・・・。
以前、ネット検索をしても、一つも出てきませんでした。
誰も「ファミリーボウル」のことを書いてる人がいない・・・。
しかし、今日出会った方は知っていた。
いや、知っていてくれた。
あんなに千歳を騒がせた「ファミリーボウル」は、
今は影も形もありません。
「ファミリーボウル」の少し後にできた「フジボウル」は、
今でもあるんですよね。
今の「自衛隊員」は、駐屯地の中にお酒を飲むところが出来ましたので、
外に出て、高いお金を使って飲む隊員は少なく、
千歳の飲み屋街は閑散としています。
今の若い人は「お酒」「たばこ」「麻雀」など、やりませんからね。
「土」「日」も、駐屯地から、それほど出ないそうです。
「千歳」は、自衛隊さんの街。
隊員さんが、外に出てくれたら街は賑わうんだけどなぁ・・・。
僕には、第二の故郷。
4年間しか暮らさなかったけど、やっぱり故郷意識はあります。
僕の思春期。
「ビートル(ショッパーズ)ができた」
「まるせんデパートができた」
「ボーリング場ができた」
あの頃の賑わいは、僕の中にしっかりと焼きついています。