動物園 2

ごめん、ごめん。
こんなに論じられるテーマにするつもりはありませんでした。

「なので、動物園には行きません」

これの言葉の打ち止めが、強過ぎましたね。

「YU☆MATSU」さんへのアンサーとしてでしたので、そう書いてしまいましたが、

「なので、僕は、何となく動物園に行けないんですよね」

ぐらいな感じです。

きっと、「動物園」で飼育されている動物の種類によると思います。

「飼ってもいい」
「飼わない方がいい」

も、また主観になりますので、結局、答えはないのでしょう。

人間のことを好きな動物もいますからね。
「野生」を必要とせず、人間生活の中で生きている動物は、飼育員との愛も生まれ、
幸せに生きているのだと思います。

僕は、どうしても普段はなかなか見ることができない「猛獣」を見る感覚を動物園に持っていますので、
きっと、僕の「動物園」に対するイメージは偏っているでしょうね。

その「猛獣」に限って言えば、DNAの中に組み込まれている「野生」を失うことは無理なように感じています。

これまでも度々飼育員が、担当の「猛獣」に襲われていますよね。
ただ、「食べられた」と言う話はあったかなぁ・・・。

僕の記憶には、それはなかったように思います。

「猛獣」も、ご飯を与えてくれる飼育員には、特別な感情を抱いていると思うのです。
赤ちゃんの頃から愛を受けて育った猛獣も、特別な存在として飼育員を見てると思うのですね。

ところが、やはり不機嫌な時には、突如、牙を向けることがあったりしていますね。
そのような時は、いつもの関係性ではない瞬間でしょう。

そのようなケースの多くは「ストレス」と伝えられていますが、よくよく考えると、
そのストレスの原因を「狭い檻の中」だと、判断しているのも、また、人間の主観だとも言えるでしょうね。

理由は、その「猛獣」にしかわかりません。

もちろん、飼育員が命を落としたケースも多いのですが、圧倒的に怪我で終わっています。
「猛獣」が、本気でその気になれば、相手を仕止める行動に出るはずですので、
「怪我」、または「大怪我」で済んでいるということは、その気はなかったということかもしれませんね。

幸せには大小の器はなく、それが満たされたときに感じるものですから、
飼育員に愛情をいっぱいかけられた動物は、ある意味、動物園でも幸せなのでしょう。

実際、野生に返した「猛獣」と、数年後に再会した飼育員との涙の再会などの動画も、
YouTube」などで、観ることができます。

僕が「悲しく感じる」のは、突然、サファリパークから連れてこられた動物ですよね。
人間の身勝手さは、そのような動物に対して感じます。

最初から、そこ(動物園)しか知らない動物は、そこで十分幸せを感じていることでしょう。

もう亡くなってしまった、ゴリラの「COCOちゃん」は、飼育員により、100以上の手話を覚え、
人間と会話をしていました。

「COCOちゃん」は、動物園にいることを、辛いと語ったことはありませんでした。
見せられた本で、「これが欲しい」と言ったのが、「子猫」でした。

その子猫を与えられた「COCOちゃん」の溺愛ぶり・・・。
ところが、ある日、その子猫が交通事故で死んでしまうんです。

飼育員が、それを「COCOちゃん」に、手話で伝えたところ、

「悲しい。悲しい」

と、手話で返すんですよね。
また、「COCOちゃん」は、ゴリラとしての、死生観を持っていました。

この話は、以前、このブログでお話ししましたよね。

与えられた環境で幸せを感じることができるならば、僕は、動物園もいいと思います。

ただ「猛獣」は、やはり「野生」が強いものだとは思っています。

ある程度飼育員には慣れても、狭い檻の中で、常に見られていることでの(専門家の言う)ストレスは、
他の動物とは違うように感じます。

僕が「悲しい」「複雑」と感じるのは、サファリから連れてこられた動物に向けてということを、
もう一度説明させてください。

その与えられた環境で、生まれ育った動物は、それ以上のものは知らないわけですので、
その中での「幸せ」は、ちゃんと感じているはずです。

今度、僕が聞いて見ますよ。

ここ(動物園)は、好きか?嫌いかを。

ワニに聞いて見ます。

会話?

当たり前じゃないですか。

僕は、昔、


ターザン

だった時があるのですから。

襲いかかってくるワニの口を、

ぱふん!!

と、空振りさせることもできるのです。


さて、これから外出です。
行ってきます!!

 

www.fellows.tokyo


ASKA