訃報「中村哲」さん。「アフガニスタンで銃撃」
「TV東京」の番組に
「世界ナゼそこに?日本人」
と、いうのがあります。
日本人であることの誇りと喜びを感じさせてくれる本当に素晴らしい番組です。
今では、その琴線に触れることができるような番組を各局が制作していますね。
僕は、そんな番組のことを、
過去、著書「700番」や、このブログでも紹介しています。
僕が「中村哲(てつ)」さんのことを知ったのは、いつだっただろう?
「中村哲」さんは、医師でした。
アフガニスタンを、
数世紀に一度という「大干ばつ」が襲ったのですね。
その時、アフガニスタンで医師をされていました「中村哲」さんは、
「今、医師として患者に向かうのではなく、病気になる根源に向き合わなくてはならない」
と、仰ってました。
とても印象的な言葉でした。
「根源」とは、「水不足」による「飢え」と不衛生から発症する「病気」です。
農民は、干ばつにより作物を作れない状態になっていましたので、
数十万人が「難民」となり、生まれた土地を離れたり、家族を養うために「兵士」となったりしていたのでした。
ご存知の通り、アフガニスタンはアメリカの侵攻を受けていました。
もちろん自国を守るために「自国の兵士」となる人もいれば、
アメリカの「雇われ兵」になる人もいた。
日本人は、「タリバーン」と言えば、「過激派」としか直結しない。
「タリバーン」もそうです。誰も戦争などしたくないわけです。
ただ、ただ家族を食べさせるために戦地に向かった人も多かったのです。
「中村哲」さんは、その砂漠化した農地に、用水路を引く計画を立てました。
と、ここまで書いて、今調べましたらその完成までに「7年」を費やしたのですね。
中村さんは、医師ですので土木の知識はありませんでした。
日本の書籍により、少しずつ技術を身につけていったのでした。
その計画を聞いたキャンプ難民たちが、日を追うごとにその計画、そして作業に加わり、
数回の失敗を繰り返しながらも、ついに20キロ以上の用水路を完成させたのです。
その用水路沿いの大地には、どんどん緑が増え続け、
その土地を離れた住民も、やがて故郷に戻ってきました。
実に感動的な話です。
同じ「日本人」として誇らしい気持ちにさせてくれた方でした。
その「中村哲」さんが、本日、何者かに銃撃され、お亡くなりになりました。
イスラム主義組織「タリバーン」は、早々と声明を出しました。
「今回、ジャララバードで起きた事件について関与を否定する。日本のNGOは、われわれの土地でこれまで復興支援に取り組んできており、攻撃の対象にしたことは一切ない」
中村さんが、アフガニスタン初の
「外国人名誉国民」
であったことは知っていましたが、
2003年に「アジアのノーベル賞」とも言われるフィリピンの「マグサイサイ賞」
2009年には「福岡市市民国際貢献賞」を贈られていたことは知りませんでした。
「イスラム教」は決して、「悪の宗教」ではありません。
「宗教戦争」などというものがあります。
本当に宗教の違いで戦争は起きています。
しかし、それは「宗教」が表に出やすいからです。
もし、「悪」と呼ぶものがあるとすれば、
「ドグマ」
でしょう。
「ドグマ」とは、その「教え」により、考え方、生き方の違いを生み出し、
それを「正義」とし、排他的な間違った「刷り込み(洗脳)」のことを言います。
僕は、どの宗教にも属していません。
しかし、「信仰心」を持つことで、「人として」の道しるべを持てるのでしたら、
「宗教」への偏見は一切はありません。
ただ、それを利用する「新興宗教」の見極めだけは、
しっかりとしなくてはならないと思っています。
「中村哲」さんのご冥福をお祈り致します。