白水家の伝統「餅つき」

行ってきましたよ、餅つき。

今朝、8時から始まりました。
時間とともに、参加者は増えていき、
帰る頃には30人以上集まっていたんじゃないかな?

子供の頃からの剣道のライバル、
「白水(しろうず)」の家の玄関先で行われました。

もう20数年以上前から、お呼ばれしていたのですが、なかなか参加できず、今日、やっと実現しました。

「白水」と僕の関係は、
著書「700番」や、「月刊剣道時代」にも収められています。

子供の頃から高校まで、僕ら二人は、多くの大会において、
必ずと言っていいほど優勝戦で当たっていました。

「白水」と僕は、誰からも「勝負師」と呼ばれる間柄でしたが、
対戦成績では、彼のほうが「勝負師」でしたね。
彼だけにはなかなか勝てなかった。

高校3年で、剣道部を辞めた後、
僕は、地元道場から大会に出場し、

やはり「優勝戦」で、戦ったのが最後でした。

あの時も、延長3、4回やったんじゃなかったかな。
結果、一瞬の「メン」を決められ、白水の勝利となりました。

その後、彼は「国士舘大学」に、入学し、

1年生でレギュラーになりました。

 

国士舘大学剣道部」の歴史でも、1年生でレギュラーになった剣士は、ほぼいません。

ですので、「国士舘の白水」と言えば、剣道界では、

今でも名前が通った男です。

今年、初めて観戦いたしました全国高校剣道大会。

玉龍旗(ぎょくりゅうき)」

では、彼の試合は伝説になってます。

「白水清道」「玉龍旗」

で、検索していただけば、その伝説ぶりが出てくるでしょう。

僕も「国士舘」から声をかけていただいていましたので、

白水より1級上の僕が、もし「国士舘」に行ってましたら、
しっかり僕の後輩となっていたでしょうが、
おそらく、そうはなってなかったな。

札幌時代の恩師が「日体大」でしたので、

あのまま剣道を続けていましたら、同じく声をかけてくださった「日体大」に入学していた可能性の方が高かったと思います。

であれば、僕も白水と同じく「教員」になっていたかもしれませんね。

起こるすべて、その大小の出来事の中で、今ここを歩いています。

もう、懐かしい話です。

今日、白水の部屋に入りましたら、
もうライバルではなくなった後の二人の写真が壁に貼ってありました。
僕は、剣道界に戻るまで40年のブランクがありましたが、数年に一度は、
稽古をしていました。

この写真は、30代半ばでしょう。





そんな二人が「餅つき」を一緒にやるなんてね。

僕が杵(きね)を持ち、
白水が、臼(うす)の中で餅になっていく「返し手」をやる。
僕と白水の関係は、教え子を含む、みんなが知っていましたからね。

このふたりの「餅つき」。
周りには、なんとも微笑ましい光景に映ったでしょうね。



毎年、12月30日に行われる「白水家」の「餅つき」。
今日をきっかけに、毎年の僕の行事に組み込まれましたね。

先日から、ここに登場しています「大楠」は、「白水」と同じく
春日原剣道練成会」のチームでした。

僕の所属していた「大野北剣道スポーツ少年団」の最大のライバルチームでした。

春日原剣道練成会」は、日本武道館で「日本一」になったんですよね。
そんなチームと、勝ったり負けたり・・・。

かつてのライバルも、「今は友」です。



これは、「月刊剣道時代」で、白水が僕とのエピソードを語った時の記事です。
僕も、この記事は持っていますが、今、福岡ですので、
「どこかにないかなぁ」と、探しましたら、アップされていらっしゃった方がいましたので、それを、お借りしました。

事後報告で申し訳ありません。

このエピソードは、しっかり覚えてるんだ。
あいつの中でも、そうだったんですね。

 

www.fellows.tokyo


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