おはようだ!

僕が書いたことは、僕が感じ、そして思っていることなので、それが答えなどという気持ちは微塵もありません。

 

僕は、無宗教です。

 

あの手の文章を書いたり、発言をしたりすると、必ず「宗教臭い」と、敬遠する人たちが現れます。

 

人は生きる上で、常に導きとなる言葉や、思想が必要です。

それを、「宗教」と一括りにすることは、その人の心の回路がそうなっているからです。

 

僕は、宗教を否定しません。

その人にとって、生きる導きだからです。

宗教というだけで、嫌悪感を抱く人たちがいます。

 

そういう方達に、僕からの質問です。

なぜ、宗教がいけないのでしょうか?

 

それを必要とする人たちがいる。

それによって、生きる指針を見出している。

それを頭ごなしに否定することは、俗世間の「宗教」へ対する偏見です。

 

「キリストに愛されている」と胸で十字を切る人の行為を、僕は、とても美しく見ています。

 

「神様、私に御加護を。」

 

それで、心がやすまり、凛として勝負に挑むアスリート。

それに不快感を持つ人は、どれほどいるのでしょうか?

 

「宗教」

それだけで、否定をすることに同意はできません。

 

もう一度、言いますが、僕は無宗教です。

「無宗教」という、宗教なのかもしれません。

 

こういう考えを持たれたことはありますか?

 

あのイエスキリストにも敵がいる。

 

ひとりの人の考え、思考、生き方。

それは、その人の持つ、

ある意味、その人の「宗教」なのかもしれません。

 

さあ、明日からレコーディング最終段階を迎えます。

約1週間は、スタジオに缶詰です。

 

皆さんが、待ってくれている。

だから、頑張れる。

 

待ってくれている人たちが、それを幸せだと感じてくれている。

だから、頑張れる。

 

信じるものがある。

これが「宗教」の根源ではないでしょうか?

 

いいじゃないですか。

どんな人にも「名前のない宗教」があるのです。

 

ASKA