いま、考えていること

「お金儲けを前頭に置くと、物事は必ず失敗をする。世のため、人のためになることを考えて行動すると、成功は自ら近づいてくる」

 

これは、僕が尊敬している方の言葉です。

本当に素晴らしい人ですね。

 

その人も、あらぬことをネットや週刊誌に書かれてきました。

それを信じたメディアが、更に脚色して報じる。

それを見たメディアが、それを裏付けとして、報道をする。

結局、出どこはガセネタに戻る。

 

「僕は、ぜんぜん気にしないよ。書かれるくらいでいなきゃ。」

 

本当に大きいなぁと思います。

 

僕は、故田中角栄さんも好きだな。

 

世界に飛躍した日本の設計図を書き上げた人ですからね。

 

有名な話ですから皆さんもご存知だとは思いますが、角栄さんは、小学校しか出ておりません。新潟の、一農家に生まれ、13歳で「雇用する人」「雇用される人」の、絶対的な立場の違いに気がつきます。新潟は雪国ですし、当時、農家には冬になると、仕事がないのです。暖かい時に農作業を行い、冬になると都会に出稼ぎへと向かいます。

半年近く、家族が離れて暮らさなくてはならないことに、疑問を持つわけです。

その頃は、まだ、田舎に企業を招致するという考えはありませんでした。

元々、人誑し(ひとたらし)の才覚を持って生まれたのでしょう。土木業で、ある程度の財を得て、そののち政治家となります。

 

角栄さんの元には、たくんさんの人が集まるわけです。何年間もの案件であった中央集権の名の下の放送局を、わずか数日で決定させ、地方の放送局開設を決定させました。

独立ではなく、企業を合体させ、互いの協力を促したのです。

 

時間の短縮は、国の発展と捉え、この日本に動脈を造ります。そうです。高速道路、そして新幹線です。空域においてもそうでした、都道府県に空港を造りました。

 

今尚、角栄構想は続いています。

 

台湾と友好関係を築いていた日本でしたが、総理大臣となった角栄さんは、

 

「日本を発展させるためには、中国と国交を結ばなくてはならない」

 

との信念のもと、わずか数人で、中国に向かい、理不尽な扱いを受けながらも、

粘り続け、とうとう毛沢東の理解を受けることになりました。

 

日本と中国を結びつけたのが角栄さんです。

 

ロッキード問題などはありましたが、今、それを大問題として語る人は少ない。

 

坂本龍馬も密輸と関わりましたが、龍馬の記録として取り上げられてる程度で、

現代においては、日本国の旗揚げ者として語り継がれています。

 

角栄語録は、至る所で目に、耳にします。

 

文頭に書いた方の言葉と同じくらいに、心の底辺に置いている言葉があります。

 

「他人を名指しで批判してはならない。しかし、褒める時は、みんなの前で褒めるんだ。」

 

成功する人って、みんな「人誑し」なんですよね。

 

それも、立派な才能だと思っています。

 

ASKA