東京に戻りました。

一つ前のエントリーのコメントを、

まだ、全部は読ましていただいていませんが、
それぞれが、それぞれの思いで「昨日の約束」について述べておられます。

「それぞれ」

と、いう言葉があるように、「僕たちの判断」、そして「行動」も「それぞれ」の一つですから、すべてのみなさんに納得していただける「正解」はありません。

一つの物事を決めるとき、

多くの人が参加して出るのは「多数決によっての結果」です。
この国は「民主主義」ですので、「多数決」は、尊重されるべき。

ただ、昨日のケースにおいて、僕が「多数決」に準じるわけにはいかないんだな。
僕のステージであり、僕の気持ちですから。

以前にも語りましたが、

僕は未だに自分の「サイン」などに価値は感じていません。
それで喜んでいただけるなら、お会いした「印」として書かせていただいてる程度です。

ですので「サイン」をお送りするなんてのは、自分の思い上がりでしかないことに気がつきました。
取り敢えず、昨夜のオーディエンスとの集合写真は、まだ答えが出てないうちに行った、いくつかの方法の一つです。








僕は歌を歌い、それを聴いてもらうことの対価として、

チケットを買っていただいています。
もちろん「楽しい時間」を過ごせていただくことも「対価」なのでしょうが、僕は自分を見てもらうことを「対価」とは思っていません。

昨夜の歌は、とてもプロとしてお聴かせできるレベルには到底達していませんでした。
飛行機、新幹線、そして長距離を運転されてやっとたどり着かれたお客さんも少なくなかったはずです。

僕はどんな状態でも、これまで幕が開いてから途中でライブを中止したことはありません。
もちろん中止しなくてはならないと判断されるアーティストもたくさんいらっしゃいますので、その行為に、僕がどうのという気持ちはありません。

そのアーティストが考えに考え抜いた上での「中止」です。
先のことを考えた上での、むしろ懸命な判断だとも言えるでしょう。

僕は、「とにかく最後までやりきる」ということが、ステージにおける僕の信念というだけです。
40年歌って来て、まだ一度も「ポリープ」になったことがありません。

それをよく知っている長くからのコンサートスタッフも、
ライブ中は、すべてを僕に任せてくれていますので、僕がやめない限り、
途中でタオル(中止の合図)を投げることはしません。

「鉄の喉」を決して過信してはなりませんが、

そのような活動の歴史に裏打ちされ、
これまで、どんなことがあっても最後まで歌いきって来ました。

長いこと歌っていると、もちろん肉体ですし、

高い声が出ずらくなることは仕方がない。
しかし、それに比例するように低い声は更に出るようになりますので、
出せる音域は、ずっと変わらないとういことです。

「出会い」と「遭遇」

昨日のステージは、お客さんにとっては「遭遇」でしたね。
その「遭遇」を、温かい言葉で包んでくださいました「Fellows」に感謝するばかりです。

昨日、ステージ中にいろんなことを考えていました。

そして、再演のためのメンバーのスケジュール調整。
そして会館の押さえが物理的に無理だと判断いたしました。

昨夜のステージは、僕の納得ラインには到底達しませんでした。

お伝えいたしました「一瞬のアイデア」の写真は、もう公開いたしました。

納得いっていない僕と、そしてスタッフとの着地からのお返しは、
「引けない気持ち」として、受け取ってください。

7月から8月の間に届けられるようにしたいと考えています。

さぁ、後4日だ。
しっかり声を回復させて、平成最後となる4月30日。
追加公演の「名古屋」へ気持ちと身体を整えて向かいます。

ソールドアウトですが、機材席開放により、
当日券が出るかもしれません。
一緒に「平成」を見送りましょう。

「平成最後、ここにあなたの足跡を」

です。

ASKA
P.S.

「Aさん、お願いしますよ。今度同じことをしたら会社潰れますんで」
「わかってる!!ガラスの心を追い込むんじゃない!!」
「あ、今ガラスって言いましたよね?」
「なんだよ!?」
「ガラスって言いましたよね?」
「だから、なんだよ!!」
「割れたの見たことなんですが?」
「何が言いたいんだぁー!!??」
「そのガラス、防弾ガラスですよね?」
「悪いか?」
「たまには割れてください」
「・・・。」

 

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