実は昨日、福岡から戻ってきました。

5月2日から、3泊4日でした。

毎日、濃かったなぁ。
そのうち、2日間は大人だけで集まっての稽古でした。

このブログで度々登場しています福岡の「椅子」。
実は、あいつは高校時代「剣道部」の主将だったのです。

とうとう完全に戻りましたね。
「戻り組剣士」となりました。

奴も「特待生」でしたからね。
40年近く現役を離れていたにも関わらず、勘はあの頃のままでしたね。
本気で立ち会いましたよ。ナメてなんかいられません。
ところが、1本、見事な「抜き胴」を、決められました(笑)
1本であろうとも、40年やっていないやつに1本決められたということは、僕の負けですね(笑)

「抜き胴」とは、相手が「メン」を打ち込んで来るのを躱(かわ)して「胴」を斬る技です。

これは相手が「メン」を打ってくるのを、静かに待ちながら、その打突の機会を狙って打つ時と、
打ち合いの中で訪れる一瞬の隙を逃さずに抜くように胴を斬る二つのケースがあります。

「返し胴」というのもあります。
これは、相手の「メン」を一度竹刀でしのぎ(避け)、
「メン」を打った相手の竹刀が上がったままの体勢を逃さず斬ることから「返し胴」と呼ばれています。
「返し胴」は、若い剣士より、熟された剣士が使うことの方が多いように見受けられます。

稽古を始めて30分後くらいに「実業団チーム」のレギュラーメンバーが参加しての稽古となりました。
翌日が、大会ということで「調整」も兼ねての稽古でした。

剣先には「気」が込められており、「ASKAには、一本も取らせない」という気迫がありましたね。
僕も同じですよ。「一本も取らせない・・・」(笑)

その実業団チーム、翌日の大会では2位になりました。
5人一組の団体戦です。
勝戦では「2対2」で「大将戦」となり、優勝を逃したとのことでした。

そのような現役剣士達と竹刀を交えることができました。
清々しい稽古でしたよ。

その夜、食事の席で、1冊のノートを手渡されました。
僕が所属していた、

「大野北剣道スポーツ少年団」

の、全戦績記録ノートでした。



昭和42年からの戦績記録でした。
この「大野北剣道」を立ち上げられた「堤先生」が亡くなられた後、この戦績記録が発見されました。

この戦績表は、現在の少年少女剣士にも受け継がれ記録し続けられていますので、
このノートには約50年以上の歴史が詰まっています。

しかし、僕の記憶では、このノートの5倍以上の試合をした覚えがあります。
小さな大会では「優勝」しかしていませんでしたし、
「勝って当然」という試合は記録されていませんでしたね。

僕の父は、立ち上げ間も無く、ここ(大野北剣道スポーツ少年団)の育成指導員に加わりましたので、
それをきっかけに、僕も剣道を始めました。

とにかく剣道が盛んなところでした。いや、そのような時代だったのでしょう。
子供が多い時代です。
大人子供を含めると、当時は 100人近くの剣士が体育館を埋めていましたね。

立ち上げ当時、僕の先輩たちは、当初、試合に出ても「負けては帰り」でしたが、
ある日、ある時の優勝をきっかけに、「負けないチーム」となりました。

先輩が強ければ後輩も強くなる。
この頃、生まれた言葉が、

「勝ち癖」

と、いう言葉でした。

僕はこれまで、数え切れないほどのスポーツ選手たちに、

「勝ち癖をつけろ」

と、語ってきました。
もちろんプロ野球選手たちにも。

ですので、現在「広島カープ」で使われている「勝ち癖」という言葉は、
案外、ここから始まった言葉だと、半ば本気で思っています。

「勝ち癖」は、本当にあります。
「勝ち癖」さえつけば、もう試合前に勝っているようなものですからね。

日本の武道は、礼を重んじます。
昔から、それは口にして来ましたが、実際のところ、子供の頃はあまり理解していなかったように思います。

しかし、今は、わかる。
「相手を敬う」精神。

剣道には、

「打って反省。打たれて感謝」

と、いう言葉があります。
「精神修養」、そして、日々の「鍛錬」の中で生まれた言葉ですね。

その日の稽古後の食事の席で、「育成」を頼まれました。
僕は「剣道」に巡り会えたことを感謝しています。
現在、道場では、僕の後輩たちが育成に取り組んでいます。
今の僕には、断る理由などありません。
「自分でよければ」と、いう気持ちしかありません。

それが、その夜の「決意表明」となりました。

翌日は友人のお見舞いでした。
ここで書いたとおり、もう「末期」でしたからね。
あんなに暴れん坊だった奴が、あんなに細く小さくなっちゃって・・・。

「CBD」

早く認可して欲しい・・・。

病院の後は、熊本在住のデザイナー「西本和民」さんが、
全国で展開している「遊美塾」の生徒さんの個展に顔を出してきました。
最近、会員になられた方へ、説明しますと、
西本さんは「C&A」「ASKAソロ」のCDジャケットを長く担当してくれていたデザイナーさんです。

ポニーキャニオンに移籍後、初のアルバム、

「TURNING POINT」

からのお付き合いです。

「SAY YES」のジャケットなどもそうです。
そして、忘れてはならないのが、西本さんのお母様「西本喜美子」さんですね。
72歳でカメラマンとなり、写真加工ソフト「Adobe Photoshop」を覚え、使いこなし、
90歳となった今、現在「スーパーおばあちゃん」と、テレビ、雑誌で引っ張りだこです。

僕は、お母様のことを「キミちゃん」と、呼んでいます。
もう、なんというか、可愛くてしょうがない。

「相思相愛」ですから。

これも縁ですよね。
「遊美塾」の個展が、たまたま福岡で開かれているときに、僕が福岡に帰っていたのですから。

その日、西本さんは、僕が個展に行くことをキミちゃんに伝えてなかったのですね。
キミちゃん、居ましたよ。
後ろ姿でした。押し車で歩いていました。

僕は、後ろから声をかけたのです。

「キーミちゃん!!」

振り返ったキミちゃん、目をまん丸に見開いたかと思ったら、
押しぐるまを跳ね除けて、

「うわー!!ASKAさん!!会いたかったよー!!!」



もう、たまらないでしょう?
普段、90度近くになっていた腰が、しゃんと立つんですから。

周りにいた塾生たちが、

「えーー!!!??キミちゃん、立ってる!!??」
「痛くなかよ!!痛くなかですもん!!!」

もう、大爆笑でした。
いつまでも、ずっとずっとお元気でいて欲しい。

その翌日も、稽古して、昨日、東京に戻ってまいりました。

この写真は、福岡に帰った2日目の夜、駆けつけてくれた友人たちと父を囲んで撮った写真です。



一番手前左のごつい男は、「新日本プロレス」の「石井智宏」君です。
今、「新日本プロレス」のチケットは取れませんからね。1枚も取れません。
東京ドームを満杯にしてしまう大人気のプロレス団体です。

アメリカでも一大旋風を巻き起こしています。
かつて、日本のプロレス団体が、アメリカにおいて、単独興行を成功したことがあったでしょうか?
先日、「マディソン・スクエア・ガーデン」で試合をしてきたばかりでした。
大成功を収めて帰国しました。

この日、たまたま福岡でシリーズをやっていましたので、試合後に駆けつけてくれました。
もう、どんだけー!というくらい「照れ屋さん」です。

僕も観に行きたかったのですが、1枚のチケットも取れませんでした。

今後の「新日本プロレス」の行方が楽しみです。

てな、3日間を過ごし、
昨日、東京に戻ってまいりました。

いよいよ、今日で10連休も終わりです。
僕は、明日より「日本武道館公演」のミックスダウンに入ります。

 

www.fellows.tokyo


ASKA