「幕末史」にも「坂本龍馬史」にも語られてないところ。「加筆」
昨年、12月10日。
僕は、誰かに導かれるようにある神社にたどり着きました。
その日は、京都で「ビルボードクラシックス」のライブが行われた日でした。
世間では、「坂本龍馬」の誕生日であり命日は、「11月15日」となっています。
しかし、それは旧暦であり、我々の使っている暦では、
「12月10日」です。
そんな偶然の日に、京都に居た僕。
その日は、以前より「龍馬」の墓参りに行く予定を立てていました。
「坂本龍馬」
と、
「中岡慎太郎」
が、並んで眠っているお墓とは、別のところに行ってしまいました。
タクシーに乗って景色を眺めていた僕の目に飛び込んできた、何でもない「石段」・・・。
なぜ、そう思ったのかはわかりません。
僕は、突然、「とめてください!」と、タクシーから降り、
その石段を上がって行ったのです。
一段上がるごとに、
「間違いない。この石段を上がったところには、坂本龍馬と関係するところがある」
そう、思ったのでした。
この出来事は、その時のブログに書いてありますので、
読んでみてください。
たどり着いたのは「ある神社」でした。
僕は、
「呼び鈴があります」
というマネージャーに、呼び鈴を押すよう指示したのです。
同時に、
「ここだ・・・」
と、つぶやいたのでした。
対応してくださった神社の方は、当初、「関係がない」と、言われました。
しかし、僕には、なぜか「ある確信」が生まれていました。
それでも引かない僕に、とうとう本当のことを語ってくださいました。
その神社は、現在、
「伊藤博文」
さんを祀っている神社であり、実は「坂本龍馬」が「中岡慎太郎」と共に暗殺された旅館、
「近江屋」から、真っ直ぐに遺体を運ばれたところだったのです。
なぜ、これまで明かされて来なかったのか?
実は、理由がありました。
その神社では、
「坂本龍馬さんで商売をしたくない」
と、いう理由で、そのことを隠してこられたのです。
しかし、僕はたどり着いてしまった。
事実をひた隠しにして来たその神社にたどり着いたのは、
僕で二人目であったということを話してくれました。
僕は、神社の方に、
「幕末史、坂本龍馬史において、この神社の存在は伝えるべきです」
と、強調したのですが、やはり、
「京都中が、坂本龍馬さんで商売をしていますので、ウチは、やはりそれをしたくありません」
と、柔らかくお断りされたのですね。
その後、僕のブログを読んでくれた「Fellows」や、友人たちが、その神社を探し当て、
心からお参りに行ってくれたことで、神社の方に変化が生まれました。
先ほど、神社の方とお話をいたしまして、正式に了解を得ました。
このブログは、本日、
「幕末史」「坂本龍馬史」
においての新たな歴史をお伝えいたしますね。
その神社の名は、
「霊明(れいめい)神社」
と云います。
その神社には、当時の記録帳がありまして、それには、
「坂本龍馬」
と、書かれてます。
僕は、見せていただきました。
今後、「坂本龍馬」を語る時、
この「霊明神社」は、外せない場所となります。
メディアの皆様。
語り伝える場所が、一つ増えました。
これで、パズルが埋まりましたね。
「龍馬」が暗殺されてから、明治政府が突然「墓」をつくりました。
その間、色んな憶測が交わされました。
龍馬の「墓」、そして「骨」の明確な場所がわからなかったのです。
ですので、
「京都には骨がない」「故郷、高知にあるのではないか?」
噂が尽きませんでした。
そのはずです。
「明治政府」が「霊明神社」から「龍馬の骨」を回収するまでは、
そこ「霊明神社」が、人知れず、龍馬を祀っていたのですから。
これで、龍馬の死後、墓ができるまでの時間が埋まりました。
今後、「霊明神社」では、もう隠すことをしないと決心してくださいました。
龍馬さん、良かったじゃないか。
あなたの「お墓」と、この「霊明神社」は、この国に生まれて今を生きてる僕たちには、
大切な「場所」なんだからさ。