大は小を兼ねる

昨日、稽古後、学生たちといろんな話をしました。

その大学の監督は、高校の監督もされていますので、
大学の稽古に来れる日は限られています。

学生は、その監督のことを非常に理解していまして、

「〇〇監督は、高校の授業、そして剣道部顧問、その上自分たちの大学の監督を兼任され、
全くプライベートがないほど忙しくされてますので、頭が下がります」

本当にそうですね・・・。

出身校である大学の監督を引き受けられてるんですね。

剣道界は狭い。
必ず、誰かとつながります。

その上で、みなさんにはお伝えしておかなくてはならないこと。

先日、武道館の大会に出場しました時、数人の先生方から声をかけられました。

「今、ASKAさんは、〇〇大学の指導をされてるんですね?」

「そう思われている先生がいた」ということなら、今日、これを書く必要もありませんが、
何人もの先生に同じ質問をされましたので、誤解のないよう、しっかりお伝えしました。

「四段」は、確かに「指導者」となりますし、
道場では、横一列に並ぶ学生に向かい合うよう、僕は「上座」に座ります。

昨日は、監督が来られませんでしたので、上座に座ったのは僕一人でした。
それは、僕が「四段」であるということだけです。

僕は、監督ではありませんし、コーチでもありません。
はたまたOBでもありません。

形式上、上座に座っているだけです。

武道館で聞かれたような話が、広がっていくと「監督」「コーチ」に失礼をおかけします。
いつか、みなさんの耳に入ることも十分予想できましたので、わざわざではありますが、
「ちゃんと説明しておかなくては」という思いで書いています。

僕は、稽古に参加させてもらっているだけです。

いつも学生は真剣に向かってきますので、僕も真剣です。
その上で、気づいたことは指導しますが、
「監督」「コーチ」の立場を持って指導しているわけではありません。広い意味で剣道界の一先輩としてです。

僕も学生から学ぶことがありますし、学生にも僕の技を盗んで欲しい。
ただただ、

「一緒に強くなろう」

と、いう思いだけです。

それでも、傍目からは「指導」なのでしょう。
しかし「肩書き」を持った「指導」ではない。

そのような話が耳に入りました時は、「監督」「コーチ」に、失礼をおかけしたくありませんので、
どうか、誤解のないよう受け取ってください。

先日、僕の卒業した大学が、開校50年を迎えました。
卒業生として「寄稿」させていただきました。

テーマは、「愛校精神」についてでした。

なぜなら、僕に、その「愛校精神」が希薄であったことに気がついたからです。
国内、海外で、突然見ず知らず方から「先輩!」と呼ばれることがあります。

卒業生です。

最近、頓(とみ)に多いですね。
「先輩」として、「認識してくれてる」「慕ってくれてる」。
そんな何気なことが「愛校精神」につながっています。

その「愛校精神」が、今、稽古に行ってる学生にはしっかりとあるのです。

今日は、これからOBの稽古会です。
なぜか、僕も呼んでいただきました。

70歳越えのOBから現役の学生まで。

おそらく、今日は、道場ではなく体育館になると思います。

素直に「素敵だな」と、思います。

先輩を慕う。
後輩を思いやる。
仲間を大事にする。

このような関係が育まれていますので、そこに人が集まるのでしょう。

何にしてもそうです。

内側に向ける気持ちは大切。
しかし、視線をそこだけに向けてはならない。
内輪でまとまってしまうからです。

内輪は、時間とともに小さくなっていきます。
縮小するだけです。

内輪を信じ、それに背を向け、常に視線は外に向ける。

「身内で固まるな!!」
「身内に媚びるな!!」

これは、先に進むにおいて、とても重要なことであり、
歴史で示された「帝王学」なのです。

戦いにおいて、イメージすることさえできないような戦いには、挑んではならない。
しかし、可能性を見いだせることなら、視線は外に向けるべき。

常に大きく広くモノを見る。

「大は小を兼ねる」

つまり、

「Go to Eleven!」(10にたどり着きたいなら11を目指せ)

これに通づることですよね。

志のある者に人はついてくる。

昨日、学生たちがOBを語る様を見ながら、
「愛校精神」は、このように備わっていくものなんだなぁと、聞いていました。

もう、15時ですね。
さて、用意をしましょう。

本日の稽古で、しばらく約1ヶ月半、大学は、試験休みに入ります。
僕は、7月1日から、いよいよいつものメンバーでレコーディングに入ります。

では、行ってきます。

 

www.fellows.tokyo


ASKA