剣道

オリンピック、早速、日本勢が頑張っていますね。メダルの行方が今から楽しみです。オリンピックの度に思うのです。剣道が、オリンピック種目に入ればメダルは確実なのにと。1970年から始まった、3年ごとに行われる剣道世界選手権では、ただ、1度逃しただけで、後はすべて日本が優勝しています。続いて、韓国が強いですね。ここ数年はアメリカが追ってきています。

 

これだけ世界中に広がっている剣道が、なぜ、オリンピック種目に選ばれないのか?実は、選ばれないのではないのです。日本剣道連盟がオリンピックを拒否しているのです。なぜ、オリンピックを拒否するのか?それは、日本の剣道でありたいからです。それと、外国人審判員の力量も相まっています。

 

柔道もオリンピック種目になってから、受け継がれてきた柔道では無くなってしまいました。外国選手が有利になるよう、国際ルールの基で試合することを余儀なくされてしまいました。強すぎる日本に対して、国際ルールは増えてゆくばかりです。

 

剣道は、試合中、自分をアピールしたり、選手に対してブーイングすることはありません。礼にはじまって礼に終わる。ガッツポーズなどは、もっての他です。

 

僕は、高校生の時、北海道大会で、最優秀選手に選ばれました。最優秀選手は、優勝とまた別のものです。実は、最優秀選手の選考では、審判員がふたつに分かれたのです。もうひとりの選手の名前が上がっていました。最終的に、試合における態度という観点から僕に決まったようですが、僕は、その相手を認めていましたし、彼がもらってもなんら不平はありませんでした。本当に、強かったですからね。しかし、審判員は礼を重んじました。

 

もし、剣道が国際ルールになれば、礼を重んじるという剣道の精神が、変化してゆくことに慎重になっています。日本剣道連盟は、それを嫌っているのです。

 

しかし、最近の世界選手権では、その剣道精神が根付いてきています。見苦しい仕草は見受けられません。本来の剣道の姿が、世界に浸透して行っているように見えます。

 

今、思うのです。世界選手権が普通に行われているのです。ルールを変えるという気配は見当たりません。日本の剣道を、世界が受け止めています。

 

もう、そろそろ、オリンピックに参加しても良いのではないでしょうか。剣道人口が減少してきているのは、剣道がメジャーなスポーツではないからです。オリンピックに出場することは大きな意味があります。メジャーなスポーツになることを願ってやみません。

ASKA

 

無題

著書「インタビュー」の中で、「僕にはヤクザの友達がいる」と、書きました。

本を、出版する頃には、もう、足を洗っており、ヤクザではなかったのですけどね。メディアの中には、本を読みもせず、事件と結びつけて煽ったところがありました。現在の、メディアの多くは、記事を書く際に、自分の足を使わず、ネットを徘徊し、裏も取らず、記事にするところも多いように見え受けられます。ターゲットを決めると、記事は悪意を込めて彩られ、雑誌を売るために、大衆が興味を抱くようなタイトルが付けられます。今回の、僕の1件で、すでにお気づきの方も多いと思われますが、「近しい関係者」や「音楽関係者」の情報などというものは、すべてデタラメです。記者が、勝手に作りあげた人物です。いちいち反応するつもりはありません。それは誰だ?と、詰め寄ったところで、「ソースは明かせられない」と、なるだけですから。今回、僕がブログを始めたことで、彼らはそれができなくなりました。

 

600万アクセスを超えました。日々を追うごとに、YahooやGoogle検索からのアクセスが増え、今ではそれが過半数を占めています。毎日、新しい読者が増え続けています。ユニークアクセスというものがあります。アクセスが、同じ人によってか、そうでないかを見分けられるのです。それによれば、このブログは、現在、週刊誌同等の効力を発揮しているようです。もちろんブログ開始の時は、そんなことは考えておりませんでした。「ご心配、ご迷惑、おかけいたしました。申し訳ありません。僕は、至って健康で、元気です」と、いうことを、お伝えするために始めたブログでした。それ以上の考えはありません。毎日、ひとつずつ記事を書けて行ければ良いなという気持ちで始めました。1月のブログは、何者かによって、直ぐに削除されてしまいましたので、目立たぬようひっそりと始めました。気づいてくれた方たちが読んでくれれば十分だという思いで始めた気持ちに嘘はありません。よく言います。「出た杭は叩かれる」しかし「出過ぎた杭は叩けない」。

この膨大なアクセス数によって、このブログは守られました。削除ができなくなったのだと思います。みなさんのお陰です。本当にありがとうございます。

 

そして、みなさんから頂いたコメントに関する答えのようなものは、「700番 第2巻」にすべて書かれてありますので、是非、読んで頂きたいと願っています。

また、ここでの否定的な意見にも、心に深く響くものがあります。なぜならば、十分予想しての事だからです。世間の総意を代弁してくれています。感謝します。勇気を出してくれて、ありがとう。お返しは、音楽でさせていただきます。

否定コメントのなかには、何も感じるものがないのもあります。正直な気持ちです。ごめんなさい。ただ、マスコミの興味は、そういうコメントこそにあります。記事にするなら「もって来い」の内容となって紹介されるでしょう。まだ、そうなっていないのは、みなさんの温かいコメントが、それらを振り切っているからだと思います。そして、僕が、温かいコメントだけを、手放しで喜んでいるわけではないことも知っていてくださいね。ぬるま湯に浸かろうとは、思っていませんので。後、10日。いろんな意見をお待ちしております。

 

 

話が逸れました。冒頭の「ヤクザの友だち」は、7年前に他界しました。他界する直前、最後にあいつと喋ったのは僕でした。電話でした。幼い頃からの関係です。竹馬の友です。一緒にセミ採りをしながら育ちました。こよなく動物を愛するヤツでした。想い出を分け合いながら、大人になりました。

 

先日、やっと線香を上げに行ってきました。仏壇は、お兄さんのもとにありました。写真は、ヤンキー時代のものでしたが、表情は、一緒にセミ採りをした幼少時代の面影が、しっかりとありました。いいんです。僕だけが、それに気づいてあげれば。線香を上げた後、胸の中にあった重たいものが、スーッと消えて行きました。

 

「来てくれて、ありがとうな。」

 

と、いう言葉を感じました。メディアがなんと書こうとも、この気持ちが揺らぐことはありません。行ってよかった、行けてよかった。僕は、あいつの友達です。憧憬を壊すようなことは、決して、して欲しくない。日本一のチームと対戦して、勝つことができたのは、あいつの渾身を込めた1本でした。一生、忘れないからな。また、いつか一緒に剣道をしような。

ASKA