ポール・マッカートニー

昔から、僕のことを知ってくれているみなさんには、お馴染みの話なのですが、僕の胸の中に、何度も焼き直さなくてはならない場面ですので、もう一度、この話をさせてください。

 

日本で行われた、ポール・マッカートニーのライブが終わった夜、ポールから、パーティに誘われたんです。その時、僕は、業界人が何百人も集まる中を、ポールが軽い挨拶をしながら、通り過ぎて行く程度のものだと感じたのですが、誘ってくれているのは、あの、ポール・マッカートニーです。僕は「光栄です」と、伝えました。

 

そこは、ホテルの一室でした。パーティの規模がわかりません。このドアの向こうに、どれだけの人が集まっているのだろうと考えていました。ノックをしました。ドアが開いたら、そこにポールが立っていました。

 

「ハイ!ASKA! 入んなよ。」

 

ポールの部屋でした。ポールの家族、サポートメンバーだけでした。ファミリーパーティだったのです。ポールは、僕の肩に手をかけ、メンバーひとりひとりに、僕を紹介してくれました。次に家族です。ドキドキしました。なぜか?って。

 

1989年.僕は半年間、イギリスで生活をしました。みなさんには、「何故イギリスに行ったのか?」は、いつか必ず、お伝えするという約束をしました。もう、話してもいいだろうと思いましたので、その真相は「700番 第2巻」に書きました。

 

そのイギリス、ロンドンでのできごとです。渡英2ヶ月を過ぎた頃、日本からファックスが送られてきました。内容は、

 

ASKAがロンドンに居るなら、次のアルバム制作はロンドンで行おう。」

 

という、趣旨が書いてありました。大まかなスケジュールが送られて来ました。CHAGEを始め、スタッフがやって来るのは、2ヶ月後だということが分かりました。スタジオを決めておいてくれとのことでした。僕は、ロンドンにおいて、殆ど外出はありませんでした。朝から英語のテキストを眺め、その合間に曲を作るという生活でしたので。なので、当時、僕に任された要求は試練でした。スタジオ、ホテル、プレイヤーを決めなくてはならなくなりました。まだ、英語は殆ど喋れません。まず、最初にスタジオを押さえなくてはなないと考えました。ホテルは、観光地だけあって、そこいら中にありましたので、後でも、なんとかなるだろうと思ったのです。当時は、インターネットは普及していませんでしたので、スタジオ検索などというものはなく、手探りで片っ端から調べました。ミュージシャンの知り合いでもいれば、情報を得ることができたのでしょうが、ひとりもいません。1週間ほどかかり、5つのスタジオを見つけました。スタジオには、それぞれ個性がありますので、一度見ておく必要があります。僕は、重い腰を上げ、見学に行くことになるのです。僕が、見つけられるくらいのスタジオですから、どこもロンドンでは名のとおったスタジオでした。スタジオ側も、誰にでも貸すというビジネススタイルはとっていません。自分の背景、経験、日本におけるポジションを伝えなくてはならなくなりました。これが、いちばんやっかいでした。ひとつめ、ふたつめのスタジオの景色は残っているものの、その名前は、もう覚えていません。スタジオのマネージャーとスケジュールを合わせなくてはなりませんので、5つのスタジオを見て回るのに、1週間ほど、かかりましたかね・・。

 

3つ目のスタジオでのできごとです、スタジオマネージャーとの約束は2時でした。10分程前には到着しておりましたので、ひとり、ソファに座っていました。約束の時間を30分経過しても、それらしき人物は現れません。スタッフルームから出たり入ったりしている、綺麗な女性と何度も目が合いました。1時間が過ぎて、その目は怪訝そうな目に変わりました。そして、更に1時間程経ったときでした。彼女が喋りかけて来たのです。

 

「どうされました?待ち合わせですか?」

 

そのようなニュアンスだったと思います。

 

「僕は、日本のミュージシャンですが、スタジオマネージャーと会う約束をしました。」

「え?何時に?」

「2時です。」

「聞いてませんよ。今日、スタジオマネージャーは来ません。」

「2日前に、約束をしました。」

「少し、そのまま待ってくださいね。」

 

僕は、辞書を片手にソファに座りました。間もなく彼女は戻ってきました。マネージャーに確認をとったみたいです。

 

「やっぱり、約束はしてないと言ってますよ。」

「電話で、今日1時に指定されましたよ。」

「ふーむ。」

 

彼女は、何か考えている様子でした。そして、指を鳴らしてこう伝えて来たのです。

 

「ロンドン市内には○○イーストスタジオと、○○ウエストスタジオがあるけど、間違ってない?ここは○○イーストスタジオだよ。」

 

どう答えたのか覚えていませんが、2時間近くも待っていた、外国人が可哀想に思えたのでしょう。目の前で、どこかに電話をかけました。○○ウエストスタジオに確認してくれたのです。

 

「間違ってましたよ。ウエストサイドスタジオのマネージャーが、あなたを待っていますよ。」

 

とんだ勘違いでした。イーストスタジオで記憶してしまった上に、そのスタジオが、事実存在していたことが、そういう状況を招いてしまったのです。

ロンドンは、タクシーに乗るとき、行き先の住所だけを伝えます。日本のように、○○デパートまでとは、伝えません。そして、ブラックキャブは長距離を嫌います。30分かかる距離では、断られることも珍しくないのです。近いほど、歓迎されます。お客を下ろしてから、戻って来るまでのガソリン代のことを考えます。

 

彼女は、タクシーを手配してくれ、住所書くと、スタジオへの地図まで書いてくれました。彼女の顔は強く記憶に残りました。

 

それから、間もなくポールのライブがロンドンのウェンブリーアリーナで行われることを知りました。詳しくは書けませんが、ポールのマネージャーとステージサイドで会うことになったのです。僕と、同行したのは、日本のテレビ局の人間でした。マネージャーを待っているときです。彼女が目の前を通過して行ったのです。先日、スタジオで優しくしてくれた彼女です。僕は、咄嗟に声をかけました。

 

「ハーイ!」

 

残念ながら、声は届かず、彼女は走り去っていったのですが、

 

ASKA、知ってるの?」

「先日、会ったばかりなんだ。」

「ポールの娘さん、知ってるんだ?」

「はい?彼女、ポールの娘さんなの?」

「そうだよ。」

「・・。」

 

そんな出会いがあり、今、目の前で、ポールが奥さんのリンダを紹介してくれてます。

 

「ハイ!リンダ。今日のライブ素敵だったよ。」

「私は、弾いてる振りをしてるだけだから。」

「あはは。でも、オッケー!」 

そして、彼女が目の前に現れました。

 

「彼は、日本のミュージシャンで、ASKAと言うんだ。」

「あら、初めまして。」

「初めましてじゃないんだなぁ。ねぇ、ロンドンのスタジオで働いてたでしょう?」

「うん。ずいぶん前にね。」

「ね、その時、日本のミュージシャンが、イーストスタジオとウエストスタジオを間違えてたことがあったでしょう?タクシーも手配してくれた。」

「あー!あった、あった。覚えてる!。」

「僕だよ!あの時はありがとう!」

 

僕たちは、ハグし合いました。

 

「オマエたち、知り合いなの?」

 

ポールが、ビックリしています。その後、バンドメンバー全員と繋がる体験をするのですが、長くなりますので。

 

僕が、ここで伝えたいのはこのことです。

僕は、ポールに呼ばれ、メンバーの居るソファーのいちばん左端に座りました。

ポールを囲むような並びになりました。ポールは上機嫌で、いろいろ喋っていましたが、話の節々で、僕の顔を見るのです。最初は、気にしてなかったのですが、必ず、僕を見ます。途中で気がついたのです。それがポールの気遣いだと。

 

「彼は、今日の僕のゲストだからね。」

 

と、いう、気遣いだったのです。話の中に僕が入れるよう。ひとりにならないよう、メンバーに対して行っていた、僕への気遣いだったのです。お陰で、メンバーとも知り合いになれました。そのメンバー全員と、数年後にスタジオで仕事をすることになるのです。それも偶然にです。ここで、その話をしたいのですが、本当に長くなりますので。

 

僕が、伝えたいのは、ポールの人柄です。あの気遣いです。本当に偉大な人は、どんどん普通の人になって行くのだと思わされました。今も、心がけています。普通の気遣いのできるポール・マッカートニーを、僕は心から尊敬しています。

ASKA