We are the Fellows.【追記】ソロ活動30周年記念ベストアルバム

もう、みなさん、すでにお気づきでしたが、
今回のアンケートは「ベストアルバム リリース」のためのものでした。

そんな最中に「フライデー」でしたので、アンケートは行われていたものの、
もしかしたら、リリースが暗礁に乗り上げてしまうのでは、という状況のなか、
Fellowsのコメントが、コンプライアンスを押しのけてくれました。
本当にありがとうございました。

今回のアルバムは、みなさんの選曲によって構成されました。
全13曲です。

曲目は、こうなりました。

1. けれど空は青 ~close friend~
2. 月が近づけば少しはましだろう
3. はじまりはいつも雨
4. 晴天を誉めるなら夕暮れを待て
5. 君が愛を語れ
6. 伝わりますか
7. 東京
8. 同じ時代を
9. next door
10. Girl
11. HELLO
12. と、いう話さ
13. しゃぼん

この曲順は、アルバムを聴きやすくするために並べたものではありません。
1位から13位まで、投票結果どおりに並んでいます。

僕は、
「はらへことば」を文字って、曲タイトルの頭文字を「中間発表」で、お伝えいたしました。

「けつはせ〜きつと〜お〜ねがはとし〜」

この直後、

「ねがはとし」は、その後に続く曲を交えて、デッドヒートだったのです。
日々、入れ替わっておりました。

そして、2月28日の駆け込み投票により、最終的に中間発表時の13曲が並びました。
そのデッドヒートを演じた曲は、


14. MY Mr.LONELY HEART
15. 心に花の咲く方へ
16. FUKUOKA
17. いろんな人が歌ってきたように
18. UNI-VERSE
19. you & me
20. 僕はすっかり

でした。

もし、

15. 心に花の咲く方へ
17. いろんな人が歌ってきたように
18. UNI-VERSE

が、13曲に入っていましたら、このタイミングでベストアルバムをリリースすることはできなくなっていました。
ですので、最後まで、僕の口からは「ベストアルバム」とはお伝えできなかったのです。
バレバレでしたけどね・・・。

本当に、僕とFellowsで打ち合わせしたみたい。
僕らが、まるで共謀したような結果になりました。

この選ばれた楽曲に関しましては、一切、不正はありません。

1曲目から13曲の並びが、素晴らしいのです。
僕が、この13曲で曲順を決めていたら、このようにはなっていなかったでしょう。

本当に素晴らしいんだ。

是非、1曲目から13曲目まで、とおして聴いてみてください。

今日、オープンした受注サイトですが、
いろいろありましたので、お伝えすることが出来なかったことがあります。

実は、突然ですが、
本日より、受注が始まります。

CDショップでの予約を望まれておられる方がいらっしゃいますが、
CDショップに、このベストアルバムが並ぶのは、秋頃を予定しています。
その時には、また、一緒に喜んでいただけるものにしたいと考えています。

今回は、期間限定の受注販売です。
20日から順次発送となります。

アルバムタイトルは、

「We are the Fellows」

です。

下記サイトより、受注が始まります。

http://shop.fannect.jp/aska_best/


素晴らしい曲順をありがとう、Fellows!!!


ASKA(2018/3/12 16:00)

 

 

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九死に一生・・・

3月11日になると、いつもこの話を思い出します。

以前、僕はカルマンギアという車を所有していることを、お伝えいたしました。
流線型のフォルムが、とても気に入っていまして、一目惚れでした。

なにぶん昔の車ですので、現在は、修理しようにもしっかりと使えるパーツが無く、
外見だけをカルマンギアにし、エンジンなどは現代のフォルクスワーゲンのものに積み替えました。

それを引き受けてくださいましたのは、仙台の会社だったのです。

今年の9月28日までは、車の運転は控えなくてはならないため、
今、そのカルマンギアは仙台にあります。

その会社の社長さんは、女性でして、
今現在も、メールのやり取り、電話などで連絡を取り合っています。

2011年の今日。

その社長さんは、仙台ですので、あの日の震災で、被災者となりました。
その恐怖の出来事を、リアルに語ってくれました。

第一波の津波が押し寄せたときに、無我夢中で逃げたと。
会社・・・自動車工場ですよね。

何もかも無残な状態になったのです。

しかし、命は守れた・・・。

その第一波で、生き延びることができたと思った人たちは、
皆、自宅に残ったであろう貴重品を取りに向かおうとしたそうなのです。

その時に、消防団から、

「戻ってはいけません!! 戻るな!!!」

と、怒鳴るような口調で制止されました。

しかし、それを振り切り、自宅に向かった人たちがほとんどだったと。

社長さんも、戻ろうとしたそうなのですが、やはり社長さんは女性ですから、
消防団の怒鳴る声を目の前で浴びてしまい、その迫力に足がすくんでしまったことを話してくれました。
結局、戻ることが出来なかったのですね。

そこが、命の分かれ目でした。

まもなく、一度目の津波より、更に大きな第二波が街を襲い、
その時、消防団の制止を振り切って家に戻った人たちは、帰らぬ人となってしまいました。

津波の場合「第二波」というものがあることを、消防団の方たちは知っていたのですね。

2011年の大津波により、我々日本人は「第二波」「第三波」の存在と怖さを知りました。

地震により引き起こされる「津波」があることは知ってても、
「第二波」「第三波」を、明確に知っていた人は、どれほど居たでしょう?

津波に襲われた昔の人たちは、未来の僕たちに何とか伝えようと、
「ここまで津波が押し寄せた」とマーキングをしてくれていました。

1億3000万の、この国の人口をして、
いつの間にか、昔の人の警告は警告の力を失っていました。

しっかりとした記録を残せる我々が、未来の人たちに伝えるべきこと、そして、その責任は重大です。

先日、僕が「還暦」という人生の節目により、 肉体の変化を迎えたように、
地球にも、地球のサイクルで変動は起こっています。

地球は生命体ですからね。

天災は、様々な形で姿を現します。
この星で生きている以上、それを回避することはできません。

地球の変動期のまっただ中で生きている我々は、

「その時、自分は」

を、胸に抱えておくことが必要だと思っています。

そんな僕が、とても恐れていることがあります。
しかし、恐れていても自然の驚異の前では、人間は無力です。

「そうはならない」
「だって、そうはならないから」

こう、思うことが、「自分の世界」「自分の現実」をつくって行くことになると信じて疑いません。

未来には希望を見いだしましょう。

間もなく、あの日の時間を迎えます。
僕は、東京で「黙祷」に、参加させていただきます。


ASKA(2018/3/11 12:55)

 

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明日、震災から丸7年目、そして8年目に入ります。

7年目を迎えても、福島原発は何も変わっていません。

むしろ、これから何が起こるのか、誰にも分からない状態です。

プールには燃料棒が、約1万本眠っています。
報道では「取り出し完了」と発表されましたが、一部です。
UFOキャッチャーのように、上手く掴んで運ぶしかないのですが、
この作業を、一度の間違いもなくできる作業員はいません。

「この原発事故を風化させないよう、未来に伝えていかなくてはならない」

こんな、当たり前のことを言っていてもしょうがないのです。
未来に伝える必要もなく、未来の人は、これを背負っていかなくてはならないのですから。

京都大学原子炉実験所助教の「小出裕章」さんという方がいます。
彼は、元々原発に未来を感じ、原発の研究をされていたのですが、いつか「原発の危険」を知ることになり、
今では身の危険をかえりみず、「原発反対」を、世の中に訴えつづけています。

僕は、ずっと小出さんの発言を聞き続けました。

それもあり、僕も「原発反対派」でしたが、この日本国を、いや、日本国運営を考えると、
正直なところ明確な答えは失ってしまいました。

この国が、あのような惨事を迎えながら、4号機が奇跡的に吹き飛ばなかったのは、ある意味、
この国の運であったと思っています。

あの時、4号機が吹き飛んでいたなら、あの時点で日本は無くなっていましたし、
北半球は人が住めなくなる大陸となっていました。

小出さんは、福島原発事故直後からチェルノブイリ原発事故を上げ、

「策を練っている時間はない。廃炉は当たり前のことで、
今すぐに原発を石棺する行動をとらなくてはならない」

と、発信しました。

石棺とはチェルノブイリが行った処置でありまして、
原発を中心に前後左右、そして、底辺。つまり、分厚い石で箱のように囲んでしまうという方法です。

福島の修理作業にはロボットなどが使われていましたが、放射能の前では、直ぐに機能しなくなり、
いわゆる「無駄な抵抗」でした。

核分裂を止めることは、今の人類の叡智を使ってもできません。

チェルノブイリは、収束したのではなく、今現在も核分裂が続いており、
それをしのぐために石棺をしています。

しかし、あの当時に石棺したものを放射能が突き抜け、更に2回目の石棺をしています。
原発を囲んだ石の向こう側に、二番目の石棺をするのです。

やがて、それも突き抜けるでしょう。
そうなると3番目の石の柵で囲む。

そして、いつか4番目・・・5番目。

日本は、やっとその方法しかないことを受け入れました。

日本は、世界で有数の地震国なんだ。

いつ、何が起こるか分からない。

軍事評論家たちが、

「戦争で、原発を攻撃されたらこの国は終わりです」

と、発言していますが、それはやらないと思います。
もし、そんなことをしたら、やがて攻撃した自国に被害が及んできますので。

僕たちが生きている間に、福島原発の収束はありません。

放射能が完全に消えてしまうまで、ただ、待っていなくてはならない。
1万年とも2万年とも言われています。

しかし、人類は幾度も絶体絶命の危機を乗り越えてきました。
予想もしなかった自然現象かもしれない、科学力かもしれない。
発表されない「地球外知的生命体」による手助けかもしれない。

僕らは、希望を捨てずに生きてゆくしかないんだな。

 


ASKA(2018/3/10 11:24)

 

 

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明治神宮

東京に住んで、約40年近くなりますが「明治神宮」へ行ったの初めてでした。

原宿の緩やかに登るメインストリートの突き当たり(原宿駅方面)に「明治神宮」があるのは、
知っていたのですが、なぜか、縁遠く、これまで訪れたことがなかったのです。

実は、昨日から北海道千歳の親友が、仕事のついでに、僕の家に泊まり、
ふたりで深夜まで深い話をしたのです。

そいつ、3月6日が、誕生日でした。
僕の誕生日から、少し遅く生まれた同級生です。

もう、長い付き合いです。
そいつが、男60歳にして、大きな岐路を迎えました。

う〜ん、崖っぷちに立たされて、爪先立ちの状態。
つま先立ったその土は、パラパラと谷底に落ちています。

「オマエなら、どうする?」
「オレか・・・。オレは、どんな時も『なんとかなる』で、やって来たからな」
「オマエは、よく、あんな事件の後に、ここまで来たよな?」
「ばかやろ。まだ、スタート地点にも来てない。それに、オマエたちに恥ずかしい人生を見せられるか!」

そんな会話をしているときでした。

そいつ、僕の福岡の友人たちとも、すっかり仲良くなっていましたので、先日切除した、
あの5倍以上に膨れ上がった盲腸の写真を持っていたのです。

あの日、このブログでは、みなさんにあまり心配をかけないよう

「後、一日遅かったら・・・」  

と、いう表現を使いましたが、実は、

「もう少し遅かったら、破裂していた」

が、医者から伝えられていた事実でした。

もし、破裂していたら人生アウトだったか、手術が上手くいったとしても、
1ヶ月の入院生活を余儀なくされていましたので。

でも、僕の人生です。
運だけで生きてきました。
ちゃんと破裂しないようになっていたのです。

事件〜AbemaTV〜亀田興毅との出会い〜籠神社での厄落とし・・・。

そう。
僕は、あの腹膜炎は「厄落とし」だったと確信していますので。

そこで、僕は尋ねました。

「そう言えば、オマエ、オレと同じ早生まれなんだし『厄払い』は、したか?」
「いや、してない」
「オマエ、還暦でこの状態は『厄』だろが。明日、一緒に明治神宮に行こう。厄払いしろ」

明治神宮が、あんなに大きなところだとは思いませんでした。
東京のど真ん中。
若者のファッションを生み出す「原宿」ですからね。

そんな場所に、あれほどの神社があるんですね。

車を降りたら、すぐにドデカい鳥居が、そびえ立っていました。
その端っこを、深々とお辞儀をして鳥居をくぐりました。

真ん中は、神様が歩かれるところですので、参拝者は境内まで、道の端を歩かなくてはなりません。

少し歩くと、

「五箇条のご誓文」

が、ありました。



そして「ご祈祷」をするところにたどり着き、今日の僕は「付き添い」として、参加しました。




威圧されそうな、そして風格のある扉の向こう側には、
さすが明治神宮とも言える広大な祈祷の間がありました。

僕は、祈祷の間、外で待っているつもりでしたが、「お連れの方もどうぞ」と、中へ入れてもらいました。

神主さんの「はらへことば」の後、笛がなり、巫女が舞い・・・。
先日、僕が受けた「祈祷」の再現を、付き添いとして見せてもらいました。

そして、神殿へ。



二礼 二拍手 一礼。

そいつが、何を願い、感謝を伝えたのかは知りません。
僕も、もちろん、やってきました。

「ありがとな。何か、吹っ切れたというか、昨日までのすべてが洗われて、新しく生まれ変わった気になった」

そうなんですよね。
以前は、「二礼 二拍手 一礼」で、手を合わせても、形だけだったように思います。

しかし、今は違う。

手を合わせてお願いをすることが、自分の意識で自分のためにやっている。
そして、心から感謝を伝えることができるようになった。

来月は、また、別の友人と、ある神社に行くことになっています。
この歳を、ちゃんと無事に越えることのできるよう、これも「縁」なのでしょう。

四月をして、四度目の神社参拝なのですから。
こんなこと、人生に於いて初めてのことです。

先ほど、そいつ、
僕の部屋のドアを、清々しい顔で、そして笑顔で閉めて空港へ向かいました。

僕は、仲間が居たから、ここまで生きて来れたのです。
みなさんが居たから、ここまで音楽をつづけて来れたのです。

「還暦」

感謝で、その扉を開けることができました。

ありがとう。

ASKA

P.S.
そうそう。
昨日、その親友を連れて食事に行った時、
隣の席に、大毅がいました。

亀田大毅です。
興毅の弟です。

今年の元旦の、僕のブログを読んでくれておりました。
「大毅」について書きましたので。

「よし!今度、カラオケに行こう!!」

と、約束。

興毅と同じ、

「何と、礼儀正しい男なのだろう」

また、いつか、みなさんと一緒に海外にでも行って、
一緒にカラオケでもやりたいですね?

うん、
そんな日が来そうな気がするな。

 

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コメントの中に「サイゾー」というのがありましたので、見てきました。

出所が「サイゾー」ですので、どこまで本当なのか分かりませんが、

引っかかる文面がありました。

「実は2016年にASKAさんが覚せい剤使用の容疑で逮捕されながら嫌疑不十分で不起訴処分となったとき、処分が出る前に犯罪者扱いしていた一部のメディアには、人権派の弁護士が猛抗議してきていて、かなり面倒な話になっていたんです。逮捕された事実に沿って伝えていただけなら問題なかったんですが、ASKAさんの権利を無視するような感じとか、異常者みたいに扱った部分とかがあって、当然、平謝りするしかなかったんです。そんなことがあったから今回、ASKAさんのゴシップに関しては触れないということになったんです
サイゾーより引用)

確かに、テレビも含め、フライデーの件を扱ったところは、

ほとんどありませんでした。

みなさんは、

「フィギュアースケートの羽生君の活躍で、世の中の興味がそちらに向いてよかった」

そう思われた方たちがおられましたが、そうではないと思っています。

まず、

人権派の弁護士が猛抗議してきていて、かなり面倒な話になっていたんです。」

そんな話は初めて聞きました。
当人の僕の元には「人権派の弁護士」の擁護たる文言は、一切届いておりません。

「当然、平謝りするしかなかったんです。」

あの日、異常な行動を取ったメディアにより、車が大破されました。
フロントガラスは割れ、サイドミラーは壊れ落ち、車のボディは凹み、無数の長い傷があちらこちらに伸び、その修理費は260万円以上かかりましたが、200人近い報道陣の会社からは、未だ、1社たりとも謝罪はありません。

そして、ここが重要です。

「今回、ASKAさんのゴシップに関しては触れないということになったんです」

さて、ねつ造ゴシップ大好きメディアに報道協定などありません。
もし、それが本当であるとするならば、それに触れないよう、お願いしたところがあるということです。

触れないよう、お願いしたところはどこでしょう?


BPO」というのがあります。

「放送倫理・番組向上機能」または「番組検証委員会」です。

その「BPO」で、タクシー内プライベート画像が通過してしまいました。

BPOが、認めた行為じゃないか?」
「正当な行為だ」

と、いうことでしょう。

あの日「BPO」が、その画像を通過させたことは、

テレビ局を守るためであったと認識しています。

すべてのテレビ局が、その許されざる行為を犯しましたので。

結局、すべてのテレビ局が罰則の対象となってしまいます。

それを嫌っての判断を「BPO」はしたのだと思います。
すべてのテレビ局を守ったのでしょう。

確かに、すべてのテレビ局が制裁を受けることになると、

この国のメディアの動きは取れなくなります。

BPO」の判断は、予想通りでしたし、

それに対して、不満を述べるつもりはありません。

メディアを機能させるためですから・・・。

「今回のゴシップについては『借りがあるので』と自制したところがあるんです」
サイゾーより引用)

何が、ゴシップなのでしょう?

「借り?」

貸した覚えはありません。
現に、裁判を起こしているのですから。

みなさんに協力して頂き、そしてそれより得たデータからは、
社会問題に発展する証拠がありました。

その辺りは、一般ブログではなく有料コンテンツとなったときに、

触れて行きたいと思っています。

朝から、重い話となりましたが、一見重いだけで、
僕は、アッケラカンとしています。

ん?

アッケラカンの語源はなんだろう?



ASKA

 

 

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Hi-Lo pick

ある日、ライブのリハーサルの時でした。

これだけ音響機器が進んでますので、わずかな音にもミュージシャンは拘りをもっていますし、
耳も良くなってる。

と、いうことはオーディエンスの耳も肥えているはずだと。

ギターには、オーソドックスな 6弦ギターと、更に音を拡げる12弦ギターがあります。
楽曲を表現する上で、それは使い分けられますが、一般的には6弦ギターがほとんどです。

鳴らせば12弦ギターの方が美しく聴こえますが、どうしても弦を張り替える手間、そしてチューニングの煩わしさから6弦ギターを持つミュージシャンが多いのです。

ふと、思い付きました。

「ピックを2枚重ねにしてみたらどうだろう?」

あの薄いピックでも、2枚が弦に当たる時に、タイムラグが起り12弦ギターの響に近くなるのでは?

それをリハーサルでやってみたのです。

ASKAさん、今日、ギターの鳴りがいいですねぇ!!」
「分かる?」
「音が、広がってますよね?」

最初に気が付いたのは、ASKAバンドのギター、古川(ふるちゃん)でした。

「ほら?これ。ピックを2枚重ねで弾いてるんだよ」
「これ、ギターの歴史が変わりますよ。それ、早くパテント(特許)を取って、製品化しましょうよ」

ある会社に、それを持ち掛けましたところ、

「非常に興味はあるが、薄いピックを2枚重ねて作る手法が思いつかない」

とのことでした。

これは、大きな会社でなくては、実現化するのは難しいだろうと思ったのです。

そこで、僕が選んだ会社は「音」を追求することに貪欲な「ステレオサウンド」さんでした。
楽器メーカーがピックを作るより、オーディオメーカーがこれに目をつけることの方が面白いと思ったのです。

まったく別の畑ですからね。

すぐに開発に乗り出そうということになりました。

ここからが、大変だったのです。

通常のピックの厚さは、約1ミリです。
ただ2枚重ねにしてもダメなのです。
もちろん、1回のストローク(弾くこと)で2回弦に当たるわけですので、当然響きは変わります。

きっと、ここまでは、多くのミュージシャンなら経験済なはずです。

ただ、ストロークは垂直ではありません。
プレーヤーによって、それは様々ですが、僅かに斜から入ってきます。

2枚のピックのタイムラグを最大限に生かすには、
2度弦に当たるよう2枚のピックをズラす必要がありました。

最大限に効果的な角度。

 

ここを選ぶにも時間が掛かりましたが、更に、先端に幅を作らなくては・・・。

2回鳴るのを特長とするならば、先端の縦の幅はできるだけあった方がいい。
そこで僕らが選んだ会社が、

超微細精密切削加工メーカー「入曽精密」さんでした。

弦に当たる部分を、更に薄くなるよう設計してくれたのです。
通常より薄く作られた2枚のピック。
その先端を更に薄く削り上げ、タイムラグを起す。

2枚のピックは、接着剤で張ったような物はダメ。
直ぐにバラけてしまいます。

「ビスで固定させましょう」

その発想はありませんでした。
あんな薄いピックを、どうやってビスで固定するのでしょう?

「超薄型ビスを開発しましょう」

日本の精密技術は世界一ですからね。

 

「ピックの概念が変りますよ」

このプロジェクトを立ち上げて、開発成功まで半年以上費やしました。

最初のピックは「チタニウム」で製造いたしました。
よくピックが見当たらない時に、10円玉で音を鳴らしたりしていました。
「キラリ」と鳴るのです。

ただ、やはり、ピックのしなりは必要でしたので、通常のポリアセテートピックに変更したのです。

最初の「チタニウムピック」を、購入された方。
今ではレア物ですので、無くさないようにしてくださいね。

パワーは「チタニウムピック」に軍配が上がりますので。

僕は、自分が発案者であることを、ほとんど語って来ませんでした。
鳴り音が、上下に広がることから、僕はこれを、

「Hi-Lo pick」

と、名付けました。

ここに来て、やっと、ギタリストの間で「Hi-Lo Pick」の存在が語られ始められましたので、そろそろ紹介をしても良いかなと。

ボーカリストの発案では、それほど広がらないと思いましたので、極力自分の名前は伏せました。
6弦ギターで、擬似12弦ギターとなる

「Hi-Lo pick」

一枚、一枚が、全て手作業で作られていますので、値段は普通のピックの10倍以上します。
1枚、1600円くらいだったかな・・・。

しかし、ギタリストなら、一人一枚手にしても良いピックだと思います。
とにかく、音が広がりますので。

弾き方により、どんな音に変化していくのか未知のピックです。

みなさんは、すでにお聴きになっているのですよ。
「Rocket ツアー」の時に、僕が「SCRAMBLE」のイントロで、思い切り鳴らした音。

いつもの音と違う!?

と、思われた方がいらっしゃったと思います。
あの音が「Hi-Lo pick」の音なのです。


2枚重ねギター・ピック【Hi-Lo Pick】ギタリスト古川昌義氏 実演
https://www.youtube.com/watch?v=rXX40poHbsU


【REVIEW】世界初!2枚重ね Hi-Lo Pick サウンドチェック/Ovation iDea
https://www.youtube.com/watch?time_continue=49&v=XfjZrELGuhQ


2枚重ねのギターピック(Hi-Lo Pick)とノーマルピックの弾き比べ
https://www.youtube.com/watch?v=_-NZAnFbT3M


どうです?
ぜんぜん、音の鳴りが違うでしょう?

世界中のミュージシャンに広がればと、思っています。



ASKA

 

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