ひと休み。
今、来月の会報に掲載する「散文詩」を書いています。
散文詩は、僕が活動する上での「ライフワーク」とも言えるものです。
いや、ライフワークにしたいと思っているのかな。
「Fellows」の会報誌をお届けできるようになってから、
期日を迫られながら、毎月書いています。
4年前、2~3ヶ月で100篇以上の「詩」をまとめて書いた時、
そして、それが今年「詩集」になった時、僕は、このようなことを語りました。
「少しずつ書いていればいいのに、それができないんだなぁ・・・」
「毎日、少しずつ」
これって、本当に難しい。
わかっていながらも難しい。
何にでも言えることだよね。
自分のやることを、コツコツと積み上げていける人を尊敬します。
そのような人には、人生に「邪気」がない。
僕には、いつも「一発逆転」のようなことが起こってきました。
それはいつも、たまたま偶発的に起こったことばかりだったから、
ラッキー以外、何ものでもありません。
振り返ると、僕は、子供の頃からそうだったなぁ・・・。
いつも「ラッキー」が起こることを信じていました。
そんな僕は、いつも周りをハラハラさせて来たんだろうな・・・。
それでも僕の生き方は変わらないから、
「これが自分なんだろう」
と、自分を諭すしかありません。
「苦手なことはできないこと」
先月の会報誌の「詩」でも書きましたが、
時に、苦手なことに立ち向かわなくてはならない時があります。
負けることがわかっていながらも、その姿を見せなくてはならない時がある。
ここで思うわけです。
「誰に見せる?」
それには、ふたつあります。
その姿を、
「周りに」
と、
「自分に」
の、ふたつです。
昔の「武士」は「自分に」じゃないかな。
武士としての「自尊心」や「誇り」を失わないために。
「命をかけて」
なんて言葉を、使いますが、
現代において、本当に「命をかける」人は、いないでしょう。
「命あってこそ」
と、考える方が正しい考え方。
外国人が「サムライ」に一目おいているのは、
「命をかけて」を、貫いたからでしょう。
僕には、そのようなものがあるだろうか・・・。
うん、確かにささやかなものはあります。
そして、その先をずっとずっと、考えていくと、
最後には、
「自分のために」
に、たどり着きます。
きっと、誰もそうじゃないかな。
「命あってこそ」
そして、それは、やがて訪れる「自分のために」。
そうだよ。
きっとそう。
そんなことを考えながら、今「詩」を書いています。
「コツコツ」に、憧れながら自分のために。
「ひと休み」、終わり。
さて、続きに向かいます。