こんな時間になっちゃった・・。寝直します。

先ほど、ふと目が覚めて、みなさんのコメントを読んでいました。

 

「有名人だから、調べられる。」

 

これは、ちょっと違います。「アガスティアの葉」を持ちかけてくれた知人も有名人で、僕も同じようなことを、知人に言ったのです。その知人は、行く前日に僕のところに電話をかけてくれました。どこか、引っかかるから僕に相談の電話をかけてきたのです。知人はコーディネーターと話したときに、自分の身分を明かさなかったと言います。コーディネーターは、知人がそこを訪れた時に、驚いたのだそうです。もちろん、インド人は、その知人のことを知りません。

その夜です。電話がありました。

 

ASKAさん、アガスティアは本当だわ。」

「どうだった?」

「私の両親の名前は、日本人でも珍しくて、これまでプロフィールでも一切証してきていないので、調べられることはできないの。アガスティアで私が役者だと分かった瞬間に、写真とかお願いされちゃった。」

「コーディネーターが、伝えたんじゃない?」

「その人は、直ぐに私だと分かったけど、相手(ヒーラー)には何も喋らなかったから。その人(ヒーラー)が、奥の部屋に入るまで、ずっと一緒に居たんだよ。だから、何も伝えてないのは、私が知ってる。」

「そうか。オレの話はした?」

「いえ。行くという返事はもらってないから、何も話してない。でも、行くことになった時のために、予約だけはして来たよ。キャンセルは、当日でも構わないって言われたので。」

 

僕は、飛び込みで行ったのです。コーディネーターが僕だと気づいたのは、僕が音楽をやっているという話が出てきたときです。名前が出てきたときに、迷ったことがありました。

 

「あなたの名前の最初の文字は『A』ですか?」

 

と、言われたときです。『A』でも合っています。僕は、その時『No』と答えました。次の葉に行きました。もし、『ASKA』で、出ていた場合は、僕はその葉を逃したことになります。

 

「『M』ですか?」

「Yes。」

 

しかし、その後の質問で、その葉は僕のものではありませんでした。僕は、迷っていました。どちらの名前で反応してよいものなのか・・。そして、こういう質問が出てきたのです。

 

「あなたは名前をふたつ持っていますか?」

「Yes。」

「ひとつは『M』ですか?」

「Yes。」

「もうひとつは『A』ですか?」

「Yes。」

ASKAですか?」

「Yes。」

 

そして、本名が告げられたのです。そのまま、父や、母。家族の名前が出てきました。

 

なので、事前に調べるという行為、時間は与えていません。「64歳に、あることがある」というのは、『死』では、ありません。それに向かって一生懸命生きれば、そういうことがおきるのかもしれません。僕の中では「あの事かもしれないな」と、いうものがあります。僕の心の中にある大きな目標です。それが、達成されるのでしょうか?今、ここで書きながら、もう一度願ってみようという気持ちになりました。これを思い出すためのブログだったのでしょうか?事件は、僕に課せられた試練だったのでしょうか?いずれにせよ、後、約5年半後のことです。夜中に起きて、みなさんのコメントを読んだことで、その気持ちを思い出しました。

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本当なのか、トリックなのか、未だに分かりません。

ASKA