フレディ・マーキュリー

今日は、心温まるお話です。

 

僕らは、アルバム「SEE YA」からロンドンと密接になりました。スタジオに入って、最初に驚いたのはスピーカーから流れてくる音が、まるっきり違うということでした。骨太で、また繊細なのです。そして、スタジオで使われている機材が、古いということでした。ヴィンテージと言えば聞こえは良いのですが、最新の機材が揃えてある日本のスタジオで録音してきた僕らにとって、カルチャーショックでした。日本のスタジオは、どこも真新しさを強調していましたが、ロンドンのスタジオはどこも古い倉庫の一室のようでした。ロンドンのレコーディングスタートは早いのです。日本では、だいたい午後1時ぐらいに集合して、朝方までやりますが、ロンドンは午前10時ぐらいから始まって、夜は、天辺(24時)には終わります。僕らは、エンジニア、ミュージシャンに日本のスタイルを要求し、朝方までスタジオに篭もりました。みんな気持ちよく付き合ってくれました。一度、朝7時くらいまで作業がつづいたことがありまして、スタジオマネージャーからこっぴどく怒られた想い出があります。

 

「うちのスタッフを殺すきですか?そんな朝まで仕事をさせていたら、まず、エンジニアの耳が死んでしまいます。」

 

その後は、早く終了するように心がけました。それでも、3時、4時になることは多かったですけどね。

 

話は戻りますが、そんなスタジオですが、あの音の鳴りはなんでしょう?僕は、家で、デモトラックを制作していました。その現象は家でも同じでした。音が違うのです。僕は、日本から機材を持って行きましたので、音が違うということはありえないのですが、聴感はとてもふくよかな音に聴こえました。湿度でしょうか?何度となくその音の違いを話題にしていましたが、行き着くところは「電圧の違いだろう」ということになりました。 日本の電圧は100Vですが、イギリスは220V~240Vです。この電圧の違いが、音を骨太に、ふくよかにさせているのではないかということでした。それでも、そうではないでしょう。日本のスタジオもイギリスに見習って、電圧を上げているスタジオは、多く存在しますが、あの音を再現することはできません。未だに解明できておりません。

 

そんなこともあり、海外録音をするミュージシャンは後を絶ちません。最近は少なくなったように見受けられますが、またいつかロンドンレコーディングをやってみたいと思っています。

 

アルバム「Guys」を制作していた時の話です。そのスタジオは1st. 2st.と、ふたつのスタジオがありました。1st.は広く、ボーカルブースは、石で囲まれており、天井も高いので、声の鳴りも良く、歌入れをするには最適の部屋でした。

僕らは、好んでその部屋を使いました。ある日のことです。スタジオに足を運んだら、「今日は、2st.を使ってくれ」と言うのです。事情があって、今日は貸せないとのことでしたで、その日は、2st.を使用することになりました。それでも、歌入れは順調に進んで行きました。途中、トイレに向かうために、1st.の前を通り過ぎたときに、そのスタジオを覗いてみたのです。誰もいません。トラブルが発生しているならば、リペアマンが居るでしょう。シーンとしています。気になった僕は、スタジオエンジニアに尋ねました。

 

「今日、1st.は、なぜ使えないの?」

 

エンジニアは言いました。

 

「今日は、朝からフレディが来てるので貸せないんだ。」

「フレディって?」

フレディ・マーキュリーだよ。」

 

フレディ・マーキュリーとは「QUEEN」のボーカリストです。1991年に亡くなっています。

 

「どういうこと?」

「死ぬ前に、書きかけの曲があったようで、時々1st.に来てるんだよ。」

 

そのスタジオは、フレディのお気に入りのスタジオだったということでした。朝からピアノの音が鳴り出したので、フレディのためにスタジオをクローズしたとのことでした。スタジオのみんなが、その場面に遭遇しており、歌声も聞こえるとのことでした。話を聞きながら、怖いとは思いませんでした。愛おしく感じたのです。スタジオは利益を優先せず、フレディのために僕らをキャンセルしたのです。僕らですか?胸が熱くなりましたね。

 

フレディ・マーキュリーは、イギリスが生んだ大天才のミュージシャンです。僕も、アルバム全てを持っています。死んで尚、音楽への情熱はつづいていたのです。その話を聞かされてから、彼の音楽がいっそう好きになりました。

 

人柄も素晴らしく、誰からも愛されていたそうです。フレディが曲を書いているところを、見たかったなぁという思いです。

フレディ、あなたの隣でレコーディングできたことは、一生忘れませんよ。

ASKA