「古代イスラエル」がコメントにありましたので

とりとめのない詩

 

 

読み手に気づかれなかった詩は

ひっそりと自分の身体を解いてしまう

 

そして一本の線の集まりになって

風に吹かれて消えて行く

 

カレンダーが五十音のようになって

数字を並べている

 

忙しさがカレンダーの象徴であるなら

いまの僕は十分に休息を保っている

だが

どう休息していいのかわからない

 

何も書かれていない真っ白な紙があると

責任のように文字を連ねてしまう

春よ

君の訪れのように僕の言葉は蕾を膨らませるのだ

 

一夜を越えて書きあがった詩を眺めるときに思う

眠れない詩人よりも眠らない詩人でありたいと

 

真夜中に張り詰めていたギターの弦が

ひとりきりでプツリと切れる

 

という書き出しはどうだろうか

 

あれは金曜日が花束のようにやってきた日だった

 

と書くのはどうだろう

 

歌が無限であるように詩も無限なのだ

 

日本の文化の根底にはイスラエルがある

僕たちは気づかないうちにヘブライ語をたくさん喋っている

 

と考えながら書いて来たこれまでの詩にも

彼方ヘブライが混ざり合っている

 

すべては混ざり合っている

単一化されたものなどどこにもない

 

気持ちはひとつと言うが

様々な気持ちや経験が混ざり合ってひとつになっている

ひとつとは言葉が見せているだけのマジックにすぎない

けれど

ひとつになりたいと語る言葉には嘘はない

 

と書けば共鳴してくれるだろうか

それとも冷めた人間に思われるだろうか

 

そう書くことで保身しながら

言葉の景色にはいつも気を配っている

 

もうすぐ夜が明ける

この詩に気づいてくれるのは誰だ