スナック。
ドアの上には、丸い電球がアーチのように飾り付けしてありました。
初めて、ドアを開けたときには、ドラマのセットの中に居るようでした。
親戚が、時々通っているという店でした。
その店のお姉ちゃんですか?
はい。ど真ん中でした。
同じ年でしたが、大人びていて、目の大きな和風美人でした。
すぐに仲良くなり、大学生になっても、バイトの帰りに、時々、その店に顔を出していました。
僕は、お酒が飲めませんでしたが、今から考えると、あれお酒ですね。
「バイオレットフィズ」
それを1杯。そして、お茶漬け。
店のママさんも良くしてくれましたね。しかし、ママさんは、赤ちゃんが生まれたばかりでしたので、ある時期からは、お店に顔を出さなくなりました。
何にでも、マイブームというものがあります。
いつしか、その店にも行かなくなりました。
僕の家の近くには「御笠川」と、いう川がありまして、小学生のころは、時間がある限り、その川で、魚釣りをしていました。
いつも犬と一緒でした。「ニック」という名の大型犬です。
その川の釣り場は、土手から、更に1.5メートルほど、降りなくてはならないのです。
僕は、身体が軽かったですから、難なくひょいと。
ニックは、僕の後を、いつも追いかけていましたので、土手から一緒に飛び降りるわけです。
ひたすら遊んだ後、大型犬のニックを土手に上げるのが、とにかく大変でしたが、兄弟のように育ちましたので、あまり苦にはなりませんでした。
そんな想いでの川。
土地開発で、今では、もうあの景色はなく、まったく別の川のようです。
デビュー後も、実家に帰ると、必ず「御笠川」に行ってました。
すっかりコンクリートナイズされてしまっていたのですが、風の気持ちよさは、子供の頃とかわりません。
デビュー10年目ぐらいのときかな。
その日も、川を見に行きました。
珍しく、小学生が川で遊んでいました。すぐに、自分と重ねてしまったのですね。
子供たちに声をかけ、友達になりました。
川べりに腰を下し、この川が、昔はどうだったかなんて話をしていました。
ふいに質問をされたんです。
「兄ちゃん、言葉が違うやん。どこに住んどうと?」
「オレか、今は東京。」
「仕事は、何しようと?」
「仕事か。歌をちょっとな。」
「えっ?歌手ばしようと?」
「そんな感じかな。」
「そんなら、中森明菜知っとう?」
「おう。会ったことあるぞ。」
それからは、質問攻めでした。1時間近く話をしましたかね。
「お前たち、明日は時間あるか?」
「なんで?」
「オレの、コンサート観に来ない?」
「うそっ!? 行きたい!! でも、お母さんが、ダメって言うやろうな。」
実は、前日に、友人のふたりがライブに来れなくなり、チケットがあったのです。
「お兄ちゃん。お母さんに、電話してくれん?」:
「いや、それはお前たちの仕事だろ。説得してこいよ。」
「何て、言おうか?」
「分かった。じゃあな。川で遊んでたら、歌手のアスカという人と友達になって、コンサートに招待されたって、言ってみな。」
「お母さん、知っとうかいな?」
「だぶん、知ってると思うぞ。」:
場所、時間。そして、バックステージにとおすための流れを伝え、子供たちに、走り書きを渡しました。その紙には、
「こんにちは。飛鳥です。このふたりの友達を、楽屋までアテンドしてください。」
イベンターに渡す走り書きでした。
「これを、関係者入り口にいるお姉さんに渡すんだぞ。」
ライブ、終了後に楽屋で会ったふたりは、昨日とは違っていました。
「どうだった?楽しかったか?」
「はい。スゴかったです。」
「オマエ、何、丁寧な言葉を使ってんだよ。」
子供たちは、お母さんから預かった手紙を持っていました。内容は、秘密です。
それからも、実家に帰る度に、川へ行っていましたが、もうあの子供たちと会うことはありませんでした。
それから、6、7年後のことでしょうか。
駅前の通りを歩いていたら、昔、通っていたスナックが目につきました。
スナックのドアには黒い飾りがあったのです。ママさんは、離婚をしていましたので、
きっとママに何かがあったのだと思い、突然でしたが、玄関のチャイムを鳴らしたのです。
悲しみの真っ最中でした。不幸は、やはりママでした。
対応してくれた方は、僕の顔を見て驚いています。
「昔、よくお店にお邪魔してたんです。」
「えっ!?そうなんですか? でも、ママの子供さんから、ASKAさんと知り合いだって聞いてました。」
「子供さん?」
リビングの奥から、ニキビ面の青年が顔を出したのです。
「お久しぶりです。」
「おー!? オマエ、何? ママさんの子供だったの?」
あの時、川で知り合った子供が、すっかり青年になっていました。
突然でしたので、普段着のまま家に飛び込み、お線香を上げさせてもらいました。
ママは、最後まで、僕がお店のお客さんだったことを知らずに逝きました。
自分の子供と友達になった飛鳥と僕は、別物として受け取っていたようです。
デビューしたことや、東京で活動していることの報告をしていればよかったなと。
バイオレットフィズを飲みながら、いろんな話をすることができていたでしょうね。
ママさんは、あの時、あの手紙に、
「はじめまして。」
と、書いていました。
お互いが、お互いに気づいてなかった時にもらった手紙です。