10月の発表。

音楽業界は、アーティストのための音楽業界ではなく、

音楽ビジネスのための音楽業界に成り果てています。

 

この国がいちばん勢いを持っていた時、同じように、

音楽は世の中で重宝されていました。

 

返せば、音楽がキラキラしている時に、この国は繁栄していたとも言えます。

偶然だったのかもしれませんが、少なくとも、その関係は歴史において、

証明されてしまいます。

 

今、アーティストは、良い音楽を作り出すにも、制作費の切り詰めから、

話が始まります。何故ならば音楽で収入が得られないからです。

 

最近では「聴き放題」の契約をしているアーティストが、どんどん増えています。

音楽活動を守るための選択でしょうし、それぞれ、苦渋の決断の元に判断されたことな

ので、僕は、それに関して否定はしません。

 

ただ、僕の中には、この音楽のあり方が世間の常識となっていくことに、

警鐘を鳴らしたいという気持ちがあります。

 

僕は、20年前に、このような出来事になってゆくであろうことを、

皆さんにお伝えしました。

そして、ライブをできるアーティストだけが、食べられるようになり、

チケット料金は1万円を超える時代が訪れるであろうということも。

 

もう、そうなってしまいました。

今は、2万円3万円となって行く状況が見えます。

 

アリーナでのライブは少なくなるでしょう。

贅沢な空間とは、この高価なチケットを手に入れることのできるオーディエンスとの特

別な場所となって行くでしょう。

 

そのためには、大きな箱ではなく、アーティストと近い距離の空間でなくてはならない

からです。

 

特別な人が特別なものを楽しむ。

 

僕は、ホールも好きですが、アリーナはもっと好きなんです。

何故ならば、オーディエンスが異空間を体験できるからです。

 

ライブにおいて、最大の演出はオーディエンスです。

オーディエンスは互いに演出となっています。

壮大な絵というのでしょうか。溢れるほど集まったオーディエンスを見回し、

そして、それがひとつになってゆく光景により、さらに気持ちが高まります。

 

ライブが高価な特別なものとなってしまうと、それはなくなるでしょう。

 

もちろん、どの時代においてもアリーナをやるアーティストは現れますので、

一概にそうとは言えませんが、それをやるために、自分たちが作り出した楽曲で、

収入を得ることが困難な状況は、さらに進んでいきますので、いずれ、エンターティメ

ントとしての、異空間を作り上げることにお金をかけられなくなります。

 

もう、すでに音楽は、音楽としてのポジションを失ってしまいました。

大事に作り上げたものが、大事なものではなく手軽なものになってしまったからです。

 

それを指すものが「聴き放題」です。

 

僕は、音楽をやるにおいて、非常に危険な匂いを感じています。

作り手は、聴く人と幸せ感を共有したいために制作に没頭します。

たくさんの人たちに聴いてもらいたいと思いながら頑張ります。

 

しかし、昨今、音楽では利益収入が低いため、切り詰めながら、デジタルを生かし、

なんとか音楽として生き残っていますが、生の楽器は減る一方です。

生の楽器では出せない音もありますので、サンプル音源を否定はしません。

僕も、ふんだんに使用しています。

 

ただ、経費節約のために、それができないとあらば、

それは、本当に望んだものではないと言えます。

 

これからの音楽の供給は、間違いなく配信になっていきます。

CDは、そのアーティストのものを手元に置いておきたいという、

言わば、グッズのようなものになります。もう、そうなっていますね。

 

配信は、皆さんがいちばん利用しているであろうところは40%。続いて50%と、配信元には、実に半分近くを持って行かれます。

 

そして、その残りを、権利という名のもと、どんどん削られ、

残ったものがアーティストの収入となります。

 

どこか、間違ってる。

 

音楽は、それを作ったアーティストに100%の権利がなくてはならないと思うのです。

 

そして、その上で楽曲管理をしてくれる会社などに、分配ではなく、

支払ってゆくべきもの。

 

アーティストに、しっかり収入があれば、

次にはさらに良いものを目指すことができる。

 

アーティストは、誰も、この考え方を持っていますが、契約というパッケージされた箱

の中で、活動をしなくてはなりませんので、結果「そういうもの」だという諦めで活動

をしています。

 

権利はアーティストが持たなくてはならない。

個人商店を持たなくてはならない。

 

その個人商店の集まりで、音楽業界が出来上がっていく。

 

僕は、今、これを目指しています。

 

諦めを「当たり前」と、捉えるアーティストの中には、

 

「淘汰に逆らってはならない」

 

と、いう考えを持つアーティストも存在しますが、流れるままにたどり着いたところを

「淘汰」と、呼ぶならば、革新的な出来事で流れが変わり、そしてたどり着くところも

「淘汰」です。

 

世の便利にアーティストが潰されてしまうことは、避けなくてはなりません。

 

 

ASKA