評価

今ね、自分の手を眺めていて、ふと見つけたものがありました。右手の中指のホクロが薄くなって、ほとんど見えなくなっていました。子供の頃から、目印のようにあったホクロなのに。年を取ると、ホクロが増えて行くということに、逆行しているなぁと。わりと気に入ってたんです。どちらにせよ、身体は少しずつ変化していってます。心も同じなのでしょう。変化するということは、自然なことです。変化は、受け入れなくてはなりません。それでも、無くしてならないものがあります。気力です。元、読売ジャイアンツ4番バッター王さんから頂いた言葉です。

 

ASKA君、気力」

 

本当に、そうだなぁと。どんなピンチを迎えても、最後に残るものは、気力なんだと。王さんは、何歳の時に、この気力に気がついたのでしょう。運動選手には、必ずスランプというものがあります。僕の持論なのですが、身体はミクロの単位で、毎日変化をしています。そのミクロな変化に、身体を、または自分のフォームを合わせていくことは不可能です。前日までは、上手くいっていたのに、一日を境にして上手くいかなくなる。実は、一日ではないのです。ミクロの変化が、ある日とうとうラインを超えた日から、上手くいかなくなるという現象が、スランプと呼ばれ始める日の始まりではないかと考えるのです。

 

スランプからの脱出に「基本に戻れ」「元のフォームに戻れ」という教えがありますが、それは違うと思うのです。上手くいかせるためには、ミクロで変化し続けている身体に合ったフォームを探さなければならないと、思っています。

それを、見つけたときにゾーンに入ります。ゾーンはしばらく続きますが、自分の意識していないところで、絶えず変化は起こっています。そして、またある日、スランプに陥ります。このゾーンの状態を、少しでも長く維持するためには、日々の怠らない練習だと思っているのです。大リーグのイチローの凄さは、そこに集約されているのだと思っています。僕も、自分のゾーンを長くしたい。それは、日々言葉と向き合う。メロディを浮かべる。形にならなくても良いのです。その時に合った、またはその年齢に合った作品を紡ぎ出してゆく。

 

結果は現象です。やはりプロフェッショナルである以上、結果は気にしなくてはなりません。事実ですから。しかし、評価は人々の胸の中で様々な顔を見せます。今の僕は、評価の方が大切でしょう。評価は、ミクロに変化しながら、ある日、例えば影響力を持つ人の発言で、あるラインを超えます。それに、影響された人々を大衆と呼びます。大衆はブームに乗りやすい。ブームには必ず終わりがあります。大衆は次のブームの尻尾を追いかけます。今、僕の音楽を聴いてくれている方たちは、大衆ではない方たちです。評価をしていてくれている人たちなのだと思っています。その評価に応えるための音楽を目指しています。

 

「自分の音楽を探究する」

 

強い言葉ではありますが、評価を無視した音楽作りだけは、してはならないと思っています。少しでも長くゾーンでいたいという想いが、僕の音楽の根幹です。そこに魂を宿らせようと思っています。

 

今日も、一日どうもありがとう。

おやすむね。