MUSK.
昨夜は、僕を入れて、スタッフ6人とワイワイガヤガヤやりました。
19時ぐらいから、始まりましたかね。
話は、定番の「テーマ無し」・・・。
そして、いつもように飛び出す、
「人生でいちばん笑った話」
それは、ロンドンでMVを撮影していた時に起こった出来事。
1番、2番は、その時のことでしてね。
もう、これを塗り替えることはないと言い切れる不動のふたつです。
それを初めて聞く、新人マネージャーのFUJIも、
涙を流しながら笑いっぱなしです。
僕は「笑い死に」って、本当にあると思うんです。
あの日、僕は、本当に死んでしまうと思いましたからね。
とにかく大声で笑うのですから、息を吐きっぱなしなのです。
息を吸うことができません。
苦しくて苦しくて、でも、笑い続けるのです。
「マズイ!く、苦しいーーーー!!マジ、こ、これは危ない!!!」
撮影スタッフ、総勢20名がのたうち回りましたので。
この話は、いつか、機会がありましたら。
そんな話をしている最中に、知人のフランス人が遊びに来ました。
約、1年ぶりぐらいの再会でした。
すでに、僕のところでは、お笑いバトル、
そして、ふるさと福岡の大災害などを、皆、無言になって観ていたり・・・。
簡単な言葉ですが、
ひとつの空気を分け合っていたところのに、やって来たお客さんでした。
日本語ができない彼の「お手伝い」をした時からの付き合いです。
「お手伝いした」など、たいそうなことではなかったのですが、彼は、そう思ってくれていまして、その後、時あるごとに連絡をくれてました。
そして、昨夜、久しぶりの再会となったわけです。
とてもシャイな人物で、すでに出来上がった空気の中で、なんとか、心地よい居場所を得ようとしていたのを、スタッフたちが気づいたのですね。
言葉を喋れる者も、喋れない者も、みんなで彼を迎え入れましたので、
30分ほどすると、やっといつもの彼らしくなりました。
ブルネイ、マレーシアに会社を持つ社長さんです。
香水の会社です。
それは、もちろん知っていたのですが、
ロンドンで1年半生活をしていたことのある、メイクの「四国山持ち5万円リンコ」が、さすが仕事柄「香水の種類は何か?」と、訪ねたことから、一気に話が広がりました。
そう言えば、そんな会話はしたことはありませんでした。
彼は「MUSK(ムスク)だ」と答えたのです。
僕のデビュー当時のことを、そして、それを覚えていてくれてる方が、おられるかどうかはわかりませんが、僕が、最もハマって使用していたのが「MUSK」でした。
「UNISEX」(男女兼用)物です。
デビュー後、初めての海外旅行。ハワイで見つけました。
当時、インターネットなどありませんでしたので、日本で、それを手に入れるのは至難だったのです。
いろんな会社から「MUSK」は発売されていますが、
僕の使っていた、あの「MUSK」は、もう製造されていないだろうな。
最後のひとつを使わずに残してありましたが、当時、僕が「MUSK」を使っていたことを知っていた昔の仲間(元社員)が、「部屋からこれが出て来た」と、10年前にくれたものがありましたので、現在、僕の元には、その「MUSK」が、ふたつあります。
香りと記憶は直結しますね。
最近になって、時々、それを使っていたりしていました。
その、フランス人の友人から、初めて「MUSK」の説明をされたのです。
「MUSK」には3種類ありまして、「動物から」「魚から」「植物から」抽出したものがあると。
どうですか?みなさん。
最初のふたつは、なんとなくパスですよね…。
大好きな香りです。
僕の元にある「MUSK」。
何からの抽出か・・・。
生涯、調べることはないと思います。
だって・・・。ね?
もし「魚の香り」であったとしたならば・・・ちょっと・・・。ね?
福岡の災害。
あの「三連水車」。亡くなった母の故郷です。
幼い頃、あの「三連水車」のある川で、よく遊んでいたのです。
自然の猛威の前では、人間は無力です。
その「さ中」で、「救助」を仕事とされる方々。
人の命を人が救うというシナリオのない場面に、またまた直面しています。
一瞬にして奪われる生活。
今は、猛威が静まるのを待つことしかできません。
東北の震災後、本当に色々なことを考えさせられました。
「異常気象」
本当にそうでしょうか?
この言葉が使われている間は「今」を、受け止めることができていないのだと思います。
これは「異常気象」では、ありません。
地球の変動にあたり、通過している過程であって、これは「異常」ではありません。
20数年前、これに「気がついた」とは言いませんが、これを感じた僕は、
これを「避ける」ではなく「生き延びる」ということに考えをシフトしました。
これを、ある人に伝え、その人の行動力により、
その「生き延びる」は、すでに全世界に広がり、今では、すべての国が、これに取り組んでいます。
当時、これを語っていた頃は、その「ある人」以外、誰も耳を傾けてくれませんでしたが、今では、それを「知らない」「見たことがない」人は、おそらくいないでしょう。
災害の後には「被災者」と呼ばれる人たちが生まれます。
いつ、どこで、何が起きるかは、誰もわかりません。
しかし、ひとつだけわかっていることがあります。
人は「人は繋がっている」という気持ち、そして行動を起こすということです。
その時に「行動を起こす」ではなく、
普通の生活で、すでにそれがなされている。
自分の周りに、それがありました。
今、「僕」から「僕たち」に変化を遂げる入り口に立とうとしています。
これが、ひとつの形を迎えたとき、こういう人が出てくるでしょう。
「最終的に、自分の満足だろう?」
そして、僕は、こう思うでしょう。
「そうかもしれない。」
でも、そう思ってしまうのは、まだまだ先のこと。
今は、思いに向かって動くだけの時なんです。
「人は繋がっている」
この考えを論破しようとする人は現れないでしょう。
だって「今を一緒に生きてる」のですから。