現実
「そろそろね 気づいてもいいだろう すべては自分だってことを」
僕は「いろんな人が歌ってきたように」の中で、こう歌いました。
「古の人は知っていたんだ 心の宇宙を知っていたんだ」
「UNI-VERSE」の中では、こう歌いました。
僕は、今、20年前に立てた構想のドアを開けようとしています。
このドアが開くのは、ほぼ現実になりましたが、このドアの向こうで、
僕が、どうなっていくのかはわかりません。
やはり、それは未来だからです。
未来は、誰にもわかりません。
ただ、僕は歌っていたんです。
上のふたつの歌で。
「すべては自分」なんです。
僕の見ている、この現実。
この現実は、僕だけのものであり、きっと、みなさんと同じものではないことを知っています。
しかし、すべてが僕の世界であるならば、みなさんもしかり。
僕の現実なわけです。
みなさん、ひとりひとりの現実があります。
「世界中の誰もが幸せになるわけがない。不幸者がいなければ、幸せ者は存在しないじゃないか。」
確かに、そうなりますね。
少し前に、
「引き寄せの法則」
と、いうものが流行りました。
世界の一部だけの人が、これを使っているのだと。
それらの人たちは、みな、成功していて、幸せを手にしている。
「起こりうる悪いことは一切考えない。良いことしか考えない。なぜならば、良いことしか考えていない世界に、悪いことは存在しないのだから。」
と、いう法則です。
自分を騙すのではなく、心からそう思い、そうなること(良いこと)しか、
考えなければいい。あとは「無」であると。
「意識」と、いうやつですよね。
この「意識」。
これは、生まれて形成されたものではなく、生まれる前から、存在していたものです。
ここ10年くらいですかね。そう考えるようになりました。
ならば「死」を、迎えた後も、つづいていくもの。
それが「意識」だと。
肉体を手に入れ、手放すことは、この世の、この次元のルールなのだと思うようになりました。「死後の世界」と、いう表現こそが、この世の表現であり、そんなものは当たり前のことで、この宇宙がある限り、決して消えることのないのが「意識」だと思うわけです。
結局、目の前に映る現実は「意識」が、見せている「幻覚」のようなものではないかと、いう境地に立って生まれたのが、上の2曲でした。
ひとりひとりが見ている「現実」。
この地上で生を受けている、生命の分だけ現実があると思うのです。
一時期、僕はこれを忘れていた時間がありました。
ちょっと、最近、あることがありまして、
「やはり、そうだったか・・・。」
と、ひとり起承転結。
ならば、ブームのように去ってしまった、
「引き寄せの法則」
これは、本当だと思うのです。
「願いは叶う」
これが「願い」のうちは、そうならない。
「そうなるのだ」
この「意識」しかなければ、その現実が繰り広げられます。
「心のどこかに隙があったからだ」
悪いことが起きた時に使われる言葉です。
そう。隙があったのでしょう。そのようなことが一瞬でも過ぎったのでしょう。
「最悪のケースを考えて行動する」
とても、大事なことのようですが、それを考えている時点で、それは起こるということです。
今、ドアを開けようとしています。
「そうなるはずだ」「そうならないわけがない」
これでは、もう、すでにそうなる(悪いことが起きる)かもしれないことを、予想しています。
だって、そう(上手くいく)なんだから。
自分が見せている現実。幻覚。
もう、一度、歌わなきゃ。
「すべては自分だってこと」
そこ(上手くいく)にアクセスしていれば、それしかないのですから。
「意識」
宇宙に漂っているエネルギー。
そこにアクセスしているだけ。
そして、現実が現れる。
「すべては自分だってこと」
この考えに間違いはありません。
だって「すべては自分」だからです。
これを上手く説明できる人はいないでしょうね。
人間ですから。
人間の間は、説明はできない。
だから、みんな人間をやっているわけです。
さて、スッキリしたぞ。
人間であることに喜びを持ててる。
「現実」は、起こるものではなく「創り出すもの」。
こう考えると、ドアを開く手に力は入りません。
それしか、ないのですから。
おーい!!おやすむぞー!!