そのとおりですね。
信じてくれる人は、信じてくれる。
信じてくれない人は、信じてくれない。
信じない人は、信じない方が面白いので、信じないだけの気がします。
スポーツ新聞の、
「パソコンから、手が出た」
ギャグとしては、もうちょいですね。
僕なら、
「パソコンから、ハクション大魔王が出てきた」
と、書きたいところです。
「手が出てきた」にしても、それを信じる方が面白いのです。
これが、イジメの構造であり、社会が抱えている病気なのでしょう。
ネットで批判している人たちを批判するつもりはありません。
僕の犯した過ち。
これが、頭の中に記録されてしまったからには、すべてその方向から見てしまう、判断してしまうのは当然です。
これは、
もう、仕方のないこと。
そんな、彼たちも、いつか振り向いてくれるときが来ると思うんです。
そのときには、力になってくれるはずだと。
元々、発信力のある人たちですからね。
警察と僕の間で、合言葉のようなものがありました。
「真実はひとつ」
本当に、これしかありません。
なぜ、僕が不起訴になったか。
真実はひとつだったからです。
「嫌疑不十分」とは、見事な落としどころでしたね。
誰にもプライドがあります。
その誰かのプライドを傷つけるための本ではありません。
疑いを晴らすための本でありません。
あったことを、あったままに伝える本です。
音楽をするために。