今月「8月25日」、CHAGE and ASKA 2000年韓国ライブ」のリリースが決まりました。

2000年を迎えたある日、僕ら「C&A」は、韓国政府から、突然、韓国に招待されました。

もう、この時点で「何か、あるな?」と思うのが普通ですよね。
その「何か」の、いくつかには、当然「韓国ライブ」が、過ぎっていました。

それは、「2002年ワールドカップ」を「日韓」が手を取り合って、「合同開催国」になっていたからです。

「韓国音楽業界が、扉を開こうとしてる・・・」

このような情報は流れていましたが、確信めいたものがなかったんですよね。

しかし、韓国は本気だったのです。

それに相応しい日本のミュージシャンを選定するために、
韓国政府は、約1年をかけて、いろんなミュージシャンのライブに足を運んでいました。

そして、僕らに白羽の矢が立ったのは、

1999年から2000年になる、福岡ドームで開催した「カウントダウンライブ」でした。

突然、韓国に呼ばれた僕らは、丘にそびえ立つホテルの一室に通され、

「この度、CHAGE and ASKAを『韓日親善大使』に、任命いたします。
つきましては韓国でライブを開催してください。韓日の扉を開いてください」

予想の一つにはありましたが、やはり突然のことで、戸惑ってしまったんですよね。
しかし、当時の僕らには「使命感」のようなものがありました。

「音楽でアジアを一つにしたい」

このような気持ちになっていたのは、台湾で日本の音楽を解禁させることができていたからです。

ライブを引き受けて、待っていたのは、想像を絶する「壁」でした。
「日韓」の、幕開けに賛成しながらも、韓国メディアの中には「反日感情」を向ける方もいらっしゃったからです。

「取材では、絶対に触れない」

はずの、

慰安婦問題」

を、突きつけられる場面がありました。

それまで、公人を含め、その「慰安婦問題」を、語った日本人はいなかったのです。
慌てて止めに入った韓国スタッフを、僕は制止しました。

僕の知っている「歴史観」を、ちゃんと自分の言葉で伝えたかったからです。

その取材をしたジャーナリストは、最初から、答えなど求めていなかったのです。
慰安婦問題」から逃げない日本人であるということを確かめたかったのですね。

僕が答え終わった時、その婦人団体の1人の女性が、涙しながら僕の手を握って来ました。
C&A」の韓国スタッフとなっていた人でさえ、やはり、抱えていたものがあったのです。

その質問をしたジャーナリストも、強く握手をしてくれました。

一瞬の出来事でしたが、信頼関係は強固になっていきました。
いつしか、僕らの方から、

「大丈夫です。必ず成功させてみせます」

そんな言葉を口にするようになっていました。

ライブは大成功でした。
1万人体育館、2日間。

先日も、お伝えいたしました。
両日とも75%の韓国人で、会場は埋まりました。

そのライブを観に、いや、歴史の証言者となるために、日本からもお客さんが来てくれました。

自分の「音楽活動史」でも、心に刻み込まれた光景となっています。

あの2000年の「韓国ライブ」。

僕は、世の中に、その映像をリリースしませんでした。
何度も説得されましたが、頑として断りました。

それは、誰よりも当事者であったからです。
あの「韓国ライブ」に、そして日韓の音楽業界の幕けに、
時間のない中、奔走してくださった方々に対してでした。

「あの歴史的なライブを、ビジネスにしてはならない」

と、いう考えでした。

それにより、ライブを観に来ていなかった一部のメディアに、

C&Aの韓国ライブは失敗だった。それにより会社が倒産した」

こう、広められてしましい、ワイドショーなどでも、それをそのまま「事実」として、取り上げました。

この出来事は、何度伝えても、このブログに書いても、今尚、悔しくてしょうがない。

ここ数年、日韓関係は冷え込みを見せ始めました。
竹島問題」など、政治は「国民感情」を煽る出来事ばかりです。

ただ、それには両国間の「正義」が、あります。

日本国民は、日本を支持する。
韓国国民は、韓国を支持する。

これは、当たり前のことです。

今年、6月。
先日ですね。

僕とCHAGEが50%ずつの株を持つ会社で、

CHAGE and ASKAデビュー40周年」

に、「韓国国民」と「日本国民」が、一つになって、ライブ会場が熱気に包まれた、
あの日の「韓国ライブ」を、リリースすることを決定いたしました。

「40周年記念」は、ただの口実です。
日韓関係が冷え込んできた「今」、あの頃のことを知らない世代にも、

「こんな時代があったんです」

「それを、観せる時がきた」

そう、思いました。

ところが、8月に入ると、両国が、想像にないほどのスピードを持ち、
国交を揺るがす事態を迎えてしまいました。

アジアツアーを経験して来た僕らには、信念がありました。

「どんなことが起こっても、民間だけはつながっていなくてはならない」

今回の日本が韓国にとった政策。

「ホワイト国から除外する」

これは、国が国を守るための政策でありますし、決断です。
国民は、それを受け入れなくてはならない。

ただ、ただ・・・。
それは、政治でのことなんだ。

「どんなことが起こっても、民間だけはつながっていなくてはならない」

直近の国民調査では、実に日本人の95%が、「日本政府を支持する」と、いう調査結果が発表されました。

しかし、それは政策でのこと。
国の政策でのこと。

それにより、民間が対立してはならないんだ。

先日、ある取材を受けたことをここでお話しました。
僕は、取材後、今日まで、毎日のようにライターさんとやりとりをして来ました。

「僕は、いち日本人として、風を読めないようなリリースをしてはならないと思っています」
「私も、この原稿に関しては、掲載ギリギリまで筆をとりません」

日々、リリースが行われるか、頓挫するのか、わからない状態が続きました。

そんな時、ついに両国の民間が「Twitter」で、気持ちを語り始めました。

「私は、韓国が大好き!政治は関係ない!!」
「私は日本が大好き!!日本のみんなとつながっていたい!!」
「政治は政治。私たちは私たち」

僕と、ライターさんは、共に、

「風が吹いて来た。両国民が政治の壁を越え、自分たちで繋がろうとしてる」

そう、受け取り合いました。

短くも濃い時間を経て、
本日、2000年の「韓国ライブBlu-ray/DVD」の発表ができることになりました。

あの日のライブが、失敗であったかどうか。
日韓のオーディエンスが、一つになって、その熱を会場いっぱいに膨らませている光景を、
どうぞ、あなたの目で、確認してください。

「どんなことが起こっても、民間だけはつながっていなくてはならない」

今後も、この考えが変わることはありません。

「ビジネス」と、受け取るなら、どうぞ、受け取ってくれても構いません。
しかし、そう言い切るからには、ライブ映像を観てからにしてください。

どんな時代も、僕たちは「人と人」として、つながっていたいと思っています。

CHAGE and ASKA 2000年韓国ライブ」

の、リリースは、

8月25日です。

 

www.fellows.tokyo



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