朝稽古から帰りました。
今日は、朝6時過ぎに家を出て、6時半からの朝稽古でした。
以前、お話いたしました福岡での指導者の稽古会です。
流石に、今回は、左足裏にマメ(水泡)ができています。
と、いうのも、8日に、先日「玉龍旗剣道大会」で全国優勝した母校へ、
OBとして稽古をしてきたんですよね。
素晴らしい剣道をしていました。
まず最初に、
今、高校剣道界の三本の指に入る「田城」君が、僕にかかってきました。
日頃、東京では大学生を相手に稽古していますので、
そうそう打たれることはないだろうと、思っていたのですが、
立ち合い、すぐに見事な「メン」を決められました。
相手が、飛び込みメンを打ってくるときには、その間合いでの呼吸で、
わかるものなのです。
微妙に身体を沈ませて、その沈んだ姿勢からバネを活かして飛び込んできますからね。
なるほど・・・。
これが、田城君のメンか・・・。
ノーモーションでした。
沈まないのです。態勢を沈める代わりに右足と左足の歩幅を調整し、
長いリーチを活かして飛び込んできますので、
初めて対戦する相手は、打ってくるタイミングがわかりません。
その後、切れ間なく高校生がかかってきました。
流石、日本一でしたよ。
良く鍛えられた、一瞬の気も抜かない剣道をしていました。
最後は、これまで福岡第一高校を育て上げてきた総監督と立ち合いを。
その「総監督」が、ここで再三登場していたした「3号」です。
もう高校剣道界では、有名な監督ですので、名前を伏せなくてもいいかな。
「江崎」と言います。
「江崎」は、僕が高校2年の時に個人で北海道代表としてインターハイに出場した時、福岡から団体でインターハイに出場していた「南筑高校」の選手でした。
その後、友人を介し、もう長い付き合いです。
その二人が、生徒の前で剣を交える。
もう、昔のライバル心を持った剣道ではなく、
お互い楽しむ剣道をしています。
高校剣道大会、最高峰の戦い「玉龍旗」で、福岡第一を優勝に導いたのは、一重に「江崎」の指導の賜物であったと言い切れます。
国士舘大学出身、「鬼の江崎」です。
僕が東京で稽古をしている大学の学生も「江崎監督」のことは知っていました。
現在「江崎」は、大学の指導も兼任していますので、
第一高校では「総監督」となっています。
やはり同じクラスだった友人が、そこまで付き合ってくれたんですよね。
糸島の海を見渡せる小高い丘の上に眠っていました。
あんなに「やんちゃ」をしていたやつには、
もったいないほどの絶景を見下ろす丘の上のお墓・・・。
翌日は、稽古の前に、地元「大野北」で、
小学生の「チャンピオン大会」がありました。
安定の強さを見せる子、伸び盛り子。
興味深かったのは、子供達が「審判」をしていたことでした。
「1本」の判断を、公式試合さながらに子供がやってる。
しっかりした「審判」をやっていましたよ。
そして、今朝は、6時から。
3日間続けての稽古となりましたので、筋肉痛もあり、
今、これを書きながら猛烈な眠気に襲われています。
初日、「玉龍旗」優勝校となった母校の生徒の前で、僕は語りました。
このブログでもお伝えしました、
「自分の中にあった『複雑』が、浄化された話」を。
あの日、ここでそれを伝えはしましたが、その「浄化」の意味は、
みなさんには伝わっていなかったと思います。
僕は、その「玉龍旗」に出場するために札幌第一高校から、
福岡第一高校に転入しました。
しかし、監督の考え、方針により、出場できなかったんですね。
初めて「観戦」することができた「玉龍旗」。
僕の目の前で母校が日本一になりました。
その時に自分の中にあった「複雑」が浄化された。
答えは、いたってシンプルでした。
それは、僕に完全たる実力がなかったからだと。
どんなに監督の方針でも、転入先の剣道部で、
すでに固まっていたレギュラー陣だとしても、
僕に、誰をも寄せ付けない強さを持っていたなら、
監督は、迷うことなく僕を使っただろうと。
監督は迷った・・・。
つまり、突出した強さを自分が持っていなかったからだと。
目の前で全国優勝した後輩であり、生徒は本当に強かった。
あの日、僕は、監督に迷わせる程度の強さしか持っていなかったのだと、
40数年たって、やっと気がついたのです。
初めて味わった「挫折」。
その「挫折」は、一瞬で消えました。
自分の中の「複雑」が、清々しさに変わった。
後輩に感謝を伝えました。
「ありがとう」
と。