山本兼士選手

先日、僕は彼の名前を伏せたのですが、皆さんの検索力を侮っていました・・・。

そう。
42歳にして「A級競艇選手」に返り咲いたのは

「山本兼士(けんじ)」君です。

彼とは、友人(クズ籠)を介して、電話でお話をしたことがあったのです。
実は、その「クズ籠」、
僕が命名した焼酎、

「氣心」

を、福岡で販売しているお酒屋さんのオーナーです。

最近、「クズ籠」という呼び名では、申し訳ないという思いもあり、
ヤツのそのガタイから、本日より、

「冷蔵庫」

と、改名しますね。

福岡でレースがあった時に、「山本兼士」君が、「氣心」を買いに行ったことから、彼と繋がりました。
その後、「隠れ家」で、そのような選手がいることを聞かされ、
その場ですぐに山本くんに電話をしたんですよね。

山本君(以下、兼ちゃん)は、僕の散文詩にある

「アトムのお茶わん」

を、送ってくれたりしました。

昨年、11月5日。
ビルボード」主催で、僕の再始動ライブが「東京国際フォーラム」で行われました。

そのライブに兼ちゃんが来てくれたんですよね。
その時、「冷蔵庫」と共に、僕の家に遊びに来てくれたことから、今に至ります。

夜、食事をしました。

兼ちゃん、その頃、40歳を過ぎ「Bクラス」に転落していたことを、「選手寿命」と、受け止めていた頃でした。

その食事の席で、二人きりになった瞬間があったのです。
僕は、兼ちゃんを安っぽい言葉で励ますつもりはなく、

「人がなぜ生きてるか」
「世界、70億の民には、70億分だけの未来があり、その未来はその個人個人が作り出した、ただの幻覚だ。
世の中を二つに分けるとするならば『自分とそれ以外』。

全ての中心は、本人。その本人が幻覚を創ればいい。~」

 

本日は、仕事の合間に、

渡辺正行」さんを連れて、学生と稽古をしてきます。

 

つづきは、

 

www.fellows.tokyo

 

ASKA