生まれつき障害を抱えてる人は?

きっと、こんな質問があると思っていました。

僕も、同じようなことを考えていました。

 

以前、

ダライ・ラマ」の説法を聞きに行ったことがあります。

 

その時でした。会場から、一人の女性が、

 

「とても幸せな一家が、行きずりの殺人に遭うことがあります。それでも、相手を許せというのでしょうか? それでも、すべてに意味があるというのでしょうか?」

 

この質問に対し、「ダライ・ラマ」は、少しの躊躇もありませんでした。

 

「この世は、この世だけで全てが運ばれているわけではありません。生きとし生けるものには、過去生というものがあります。どんな苦しい、どんな悲惨な、またはどんな姿に生まれたとしても、すべては過去、今生、来世につながっています。今生の出来事には来世を司る意味があります。また、それは、その人だけにではなく、その周りの人に与えられたカルマだということです。その人の存在は、周りの人を幸せにしたり、苦しめたり、神の心、邪悪の心をもたらせ、それを全て受け入れながら、ひとりの人間が生きて行く意味となります。今生で全てを語ってはいけません。過去生は現生、現生は来世のための修行です。そして、来世は、また次の来世。罪を犯すものには罪を犯す意味があります。いかなる時でも慈悲の心だけは無くしてはなりません。全てを許す。全てを受け入れる。人が人を罰してはならないということです。」

 

会場には、多くの僧侶が訪れておりましたが、

神の言葉を「ダライ・ラマ」を通して聞いている。

 

そんな光景でした。

 

なので、過去生のカルマを受けて今があるというこことだけではなく、

この現生から始まることもあり、それを耐え生き抜くことで来世が変わるのだと、

僕は解釈をしました。

 

それでも、現生での記憶を無くした来世は、来世だけのもの。

やはり、ここでも、

 

「今を強く生きる」

 

これしかないのだと思います。

 

ASKA