明日から、また始まります。
自宅に戻りました。
昨夜は、みなさんが書かれているとおり、ASKAバンドの一木君、そして、古ちゃん(古川昌義)のライブに飛び入りをしました。
歌うことは5日ほど前に約束をしました。急遽、「FUKUOKA」のレコーディングが決まった夜のことでした。
電話での 一木君とのやり取りでした。
「ASKAさん、僕と古ちゃんでライブをやるんですよ。」
「おっ!? いつだ?」
「レコーディング日の2日後です。」
「もちろん、行くよ。」
「一木の歌も、古ちゃんの歌も聴いてみたいなぁ。何時間やるの?」
「ふたりで2時間ほどです。」
「構成はしっかり決まってる?」
「いえ、ダラダラやります。」
「お客さんは?」
「50人マックスぐらいですかね?」
「へぇ。それなら古ちゃんはガットギター入れたばかりだし、覚えてると思うので、オレ、飛び入りして「FUKUOKA」を3人でやろうか?」
「ホントですか!? やりたいです。やりましょう!」
7日、古ちゃんの演奏は1時間ほどで終了しました。
「FUKUOKA」の完成です。
終了後、ふたりのライブの話になりました。ふたりがライブでコラボする曲の練習を始めたのです。どうやら、持ち歌を披露した後は、ふたりで井上陽水さんをやるようなのです。陽水さんなら、僕も負けません。
3人で陽水さん曲の大合唱になりました。
それぞれが、陽水さんのマネで歌うので、歌いながら笑いっぱなしなのです。
僕は、「飾りじゃないのよ涙は」が、持ち歌です。
似てると思います。自分で・・・。相当。かなり・・・。
「わはは!! ASKAさん、それやりませんか?『FUKUOKA』と、もう1曲やりましょうよ」
「いやいや、ふたりのライブだから『FUKUOKA』だけにしておくよ。」
当日、僕は4時間の秘密会議が白熱し、ライブには1時間遅れで駆けつけました。
席に着くと、古ちゃんが若いアーティストをステージに上げ、ギターの弾き方を教えていました。僕も、頷きながらそれを観ます。
「バッキングギターはね、弾くだけじゃダメなんだ。弾きながら、同時に自分がドラムになることも必要なんです。ちゃんと、例えばベース弦をドラムのように鳴らしながら、リズムをキープした上で進行していきます。そうすると、聴いてる人も気持ちがいいし、まず、歌い手が歌いやすい。ギターが上手く聴こえるか、聴こえないかは、だいたいここですね。」
なるほど・・・。考えたことがありませんでした。古ちゃんの演奏が気持ちいいのは、ここにポイントがあったようです。たいへん勉強になりました。
ふたりの若いアーティストにギターを教えた後、古ちゃんは7曲演奏しました。
ギター演奏だけの曲を3 曲。インストですね。
トミー・エマニュエルを観ているようでした。
オーストラリアが生んだ稀代のギターリストです。
興味のある方は、Youtubeを観てください。
「Tommy Emmanuel - Guitar Boogie」
そして、歌を4曲。オリジナルはもちろん、エルビス・プレスリー、そしてビートルズの「RAIN」は圧巻でした。元々、ピッチの良いボーカリストでありますので、歌が上手いのは当然なのですが、彼のシャウトを聴かされるのは初めてだったですね。驚きました。
そして、一木君。
彼は、福岡県を越えて、多くのミュージシャンが彼の元にボイストレーニングを受けにやってくるぐらい上手いですからね。ミックスボイスも3種類ぐらい使いこなします。
1曲目は、陽水さんの「ジェラシー」でした。
ジェラシ〜♪
マネはいいから・・・。
そして、中盤を過ぎた辺りで一木君から、ステージに呼ばれました。
歓声、拍手は、素直に嬉しかったですね。
今回のアルバムは、かつてないほどの苦境に立たされました。仕方ありません。
自分が撒いた種です。
楽曲の多くは、自宅にて作りあげていましたが、やはりギター、ドラム、ピアノ、ベースは生音にしたかったのです。
僕の自宅で鳴らしていた、サンプル音源では、ゴージャスになりません。
スタジオにて、生音と差し替える作業を試みたのですが、都内の何処のスタジオも、コンプライアンスの問題で、僕には貸してくれませんでした。
「自分のスタジオがあるじゃないか?」
そうです。しかし、スタジオ稼働のスケジュール管理は他社に任せてありますので、その会社のコンプライアンスに引っかかって、結局、自分のスタジオも借りられない状況を突きつけられました。
万事休すです。
その後、いろいろなことがあったわけですが、ここでは割愛します。
そんなとき、僕に対してドアを開いてくれたのが、故郷福岡でした。
スタジオは9月22日から25日までの空きしかありませんでした。
ここからが、僕のミラクルです。
ピアノのチカちゃん(澤近)は22日から25まで空いてると。
メッケンは23日から26日。
ドラムの江口は25日から福岡入りなので、23、24日は空いてると。
彼たちのスケジュールを押さえるのは、大変なことなのです。みんなが22日から25日に集結してくれることになりました。スタジオとメンバーが、予めスケジュール調整をしてくれていたような出来事でした。
そんなことをステージで語りました。お客さんは、一木君の仲間と生徒さんが殆どでした。生徒さんたちは、みなさんスタジオで我々のケアをしてくれました。
13曲目にできた「FUKUOKA」は、ピアノとガットギターだけの編成です。
「ギターでつま弾く感じの曲」と、お伝えしたように、澄み渡るサウンドになりました。
歌詞の中で「僕のニューシネマパラダイス」と、いう一節があります。
これは、映画「ニューシネマパラダイス」のことです。この映画は幼い主人公が、やがて青年になり、恋をし、そして中年になり、老人となって行く人生のドラマを描いたものです。
映画も素晴らしいのですが、挿入されたテーマ曲が心に残ります。とにかく美しい。「FUKUOKA」のイントロでは、その「ニューシネマパラダイス」を、意識したメロディを奏でてあります。イントロだけで、チカちゃんは2時間費やしました。アルバムの入り口を見事に果たしてくれるメロディだと思います。
久しぶりのステージ。ハンドマイクを持つ感触。暗がりの視界に映るお客さん。
僕は、大事に大事に「FUKUOKA」を歌いました。
歌い終わって、席に戻ろうとするとき、古ちゃんが、
「ASKAさん・・・。ASKAさん!1曲ということはないでしょう?」
「え?何?」
「もう1曲やりましょうよ。」
「やりたくても、オレ歌詞知らないよ。」
一木君と、この流れを打ち合わせしていたようです。歌詞カードが出てきました。
「あ、これなら歌える。知ってるこの曲は。」
ピアノから始まるイントロを一木君が弾き、僕は「はじまりはいつも雨」を歌いました。
温かいライブだったですね。最後はアンコールで、ふたりが「夏の終わりのハーモニー」を歌いました。
マネはいいから・・・。ふたりとも・・・。
そこは違う。もっと鼻にかけなきゃ陽水さんにはならないぞと。
玉置はどこに行った?
このライブには、C&Aのファンの方たちも、早くからチケットをゲットされ、来られていました。
僕の登場には驚かれたことでしょう。ホントに、電話ででしたが、立ち話のような経緯で決まったことでした。
その中のひとりの方から、
「SNSに、このことを書いていいですか?」
と、丁寧に質問をされたので、
「任せるよ。」
と、答えました。
一木君は、クローズドの出来事にしたかったようですが、こういうことは同じミュージシャン同士だからできたこと。
人生ハプニング。
書かれた方は、どうぞお気になさらずに。
守ろうとしてくれた一木君に感謝。
この出来事を、みなさんに伝えようとしてくれたあなたに感謝。
ふたりともに「ありがとう」です。
音楽は素晴らしい。
そんな夜でした。
明日からは、いよいよミックスダウンが始まります。
僕はしつこいのです。
先日、完成した「FUKUOKA」ですが、どうしてもガットギターを入れたくなり、急遽、移動、そしてスタジオに飛び込みレコーディングをしました。
古ちゃん(古川昌義)が、駆けつけてくれました。
これで、完成です。
Mix Downは11日から始まります。
そして、CDにするためのマスタリングという行程です。

ホントにお上手でした。
古ちゃんは、少し前、アメリカへ語学留学をしていたのですが、日本から訪れたアーティストにスタジオに呼ばれ演奏したのです。
驚いたのは、アメリカのプロデューサーでした。
彼のプレイに魅せられたプロデューサーは、古ちゃんをスタジオミュージシャンとして招くようになります。
英語の勉強よりも、スタジオ作業の方が忙しかったようです。
今、彼は帰国して絢香ちゃんのツアーを回っております。
早速、ライブを観に行くことになりました。
僕が、日本のアーティストのライブを観に行くのは、
アンジェラ・アキちゃん以来です。
楽しんで来ようと思ってます。
注)写真で古ちゃんが抱えているのは、やはりASKAバンドのコーラス、一木君のフルアコです。
いやぁ、イイ夜でした。
ここは僕とみなさんの強い絆の場。
人間の得る情報は、まず目から入ってきます。
聞いたことは、信じる信じないの選択がありますが、視覚からの情報は、見た人の確認となるために、文字を読むということは事実としてセーブされていきます。
それだけ、文字というものには力があり、また危険な要素を多分に孕んでしまうのです。
たくさんの人たちがここを訪れてくれています。
業界人の会う人、会う人が、
「ブログ、読んでますよ。」
と、言ってくれます。
僕が「SCOOP!」の話に触れなければ、「SCOOP!」を読んだ人たちの心の中には、ここでは触れないにしろ、もやもやとした気持ちが生まれてしまうでしょう。
これまでの報道で揺れたように。
そういう思いをさせたくなかったので書きました。
「SCOOP!」は、僕が覚せい剤を吸引する場面から始まります。詳細に描写してあります。しかし、文春の中村竜太郎氏は、その動画を観てはいません。確かに、彼はそれを観たとは書いていません。後々起こるであろうトラブルを回避するための手法を取っています。
「私は観たとは書いていないじゃないか!」
しかし、読者には観たのだと錯覚させるように書いています。
これを「未必の故意」と言います。そうなることを、またはそういう心理状態にさせることを分かって、行う犯罪行為です。
なぜ、観ていないという確証があるのか。
これは、今はここでは書きません。
出版業界は狭い世界です。僕の「700番」の出版は、彼に遭遇したときに、僕の方から口頭でお伝えしました。
1巻、2巻をすでに描き上げていますので、どういう内容なのかの情報は漏れているでしょう。
知人からは「文春側は、かなりナーバスになっている」との報告がありました。
「我々が、書いたことは入念な取材を経てのものであり、間違いはないと断言する。」
文春は、記事にしたことの多くが真実ではなかったことを知っています。しかし、書いてしまった以上、それを真実として貫き通すしかないのです。
例えば、
「○○は、あんなことをやってるよ。」という情報を得たとします。しかし、
「○○は、そんなことはしないよ。」
という、話も聞かされます。
しかし、記事では「やってるよ」の方を優先します。
そして、「入念な取材によって証言を得ている」と、なります。
確かに、そういう情報もあったわけですから、嘘ではありません。
「ASKAが幼少の頃住んでいた北海道時代の同級生がヤクザになって、後に札幌で偶然遭遇して仲良くなったんだ。」
これが、嘘であることを文春は知っています。しかし、聞いたという事実があれば、そう書いた方が面白いのです。
以前の自分たちが書いたことに間違いが無いことを強調するために「SCOOP!」では、再度そう書きました。書いてあることのすべては、そういう具合です。
彼は、文春を退社しましたので、もう文春とは関係のない立場に居るように見えますが、フリーになった今も文春に身を置いています。社外スタッフです。
僕は犯罪を犯しました。これは一生背負って行かなければならない事実です。「犯罪者に発言は与えない」という論理を押し通しす、またはプロモーションを展開するでしょう。
自分たちを守るには、もうそれしかないのですから。
どんな人間であれ、生きる権利はあります。
その権利を、偽ジャーナリズムで潰そうとする行いに、目を背けるわけにはいきません。
昨日「700番 1巻」の表紙の第一項が上がってまいりました。
「SCOOP!」が、漫画であることを証明してみせます。
僕が、音楽をやるためには、避けてとおれないできごとなのです。
大丈夫ですよ、みなさん。
心は平安です。
不安な要素は何もありません。
ありがとね。
たくさん心配してくれて。
ぜんぜんムキになどなっていませんよ。
目の前に撒かれた小石は跨いで行きますが、道を塞ぐような石はどけねばなりません。
僕は、音楽をやることに集中しています。
集中の邪魔をされるようなら、向き合わねばなりません。
夕べ、本を読みました。
中村竜太郎、カッコ良いこと言ってますね。
長いことこの仕事をやっていると、出版業界にもたくさんのお友だちがいます。
たくさんの情報が入ってきます。
これは大して大きな戦いにはなりません。
みんさんの仰るとおり、それほど僕が正面に出て行くほどでもないでしょう。
こいう言葉があります。
小さな戦いはしょうがない。
大きな戦いを避けるため。
早めの対処が、それに当たります。
元文春の中村竜太郎の書いた「SCOOP!」を読んでる途中です。
文春、そして記者の中村は「700番」が出版されることを、非常に怖れていますね。
今、中村の出版した「SCOOP!」を、読んでる途中ですが、これ以上、読む気が起こらないぐらい嘘で固められた内容になっています。
あの時、文春が書いた嘘だらけの記事を正当化するための本のようです。
中村は、また暴力団と接点を持ったようです。
だいたい、暴力団と接点を持っても、僕の話は出てきません。
そこいらのチンピラの立てた噂話を、あそこまでの内容にする筆力は認めますが、
所詮、作り事です。
僕の情報を掴んだ瞬間の、文春内でのざわめきだった光景を描写していますが、
漫画だと思って読んで下さい。
「100人近くの取材を行った」
僕は、そんなに敵は居ない方なので、それがもし本当であれば、
「文春が聞き込みをやってるよ。」
と、伝えて来る人間がひとりくらいいるでしょう。
文春は、暴力団からネタを買ったのです。
僕は、暴力団員と知り合ってしまっただけで、付き合いはありません。
最初、警察もそのような発表をしましたが、そうではなかった事実を確認しましたので、以後、暴力団という発言は立ち消えました。
暴力団と密接な繋がりがあるのは文春なのです。
「知人から情報を得た」
暴力団関係者のことです。
文春は何をやっても無駄です。
こちらには、文春と暴力団が繋がっている証拠の記録があるのです。
僕、会社の前社長、弁護士の3人が、同じものを持っています。
この本を読んで「700番」に、継ぎ足しの文章が必要となりました。
僕の書くことは、全部本当のことです。
文春は、世間の前で、
「ごめんなさい・・・。」
を、しなくてはならなくなるでしょう。
「SCOOP!」を、読まれておくと、僕の出版する「700番」が、一層楽しく読めると思います。
とにかく「SCOOP!」は、漫画です。
穴ぼこだらけです。
さて、続きをメモりながら読みましょうかね。
何でメモってる?
さあ、なんでしょう。
桃太郎は、鬼ヶ島に、キジと犬と猿を連れて鬼退治に行きました。
完勝だったですよね。
鬼は、退治しなくてはなりません。
お見事!
ホント、そうですね。
写真は1レースと2レースめが混じってしまったようです。
でも、あんな感じでした。
今、親友の会社で笑いながらみなさんのコメントを読んでいました。
僕が住んでいた43年前、千歳というこの街は、
夜になると自衛隊さんが溢れていましたが、現在ではすれ違う人たちをすべてモニタリングできそうなほどしか歩いていません。
今日は、中山峠名物の「揚げいも」を、やっと食べることができました。
以前、テレビで紹介されたのを見かけたときに、どうしても食べてみたかったんです。
まるで、ホカホカのお菓子のようでした。
札幌で知らない人はいないそうです。


昼過ぎは、ニセコを通りましたが、オーストラリア人の街と化しておりまして、
道沿いに立ち並んでいる家並みの表情が違うのです。
街の至るところには、かぼちゃが置かれていました。
ハロウィンを街中で表現しているのですね。

帰りには支笏湖に寄り、千歳へ戻って参りました。
「クマに注意!」
の、立て看板が懐かしかったですね。
さて、今からホッケを食べに行ってきます。
メンタリズム
9月30日。朝から北海道に来ています。
昨日は、仕事関係者等と会い、夜は同窓会。そして今日は友人たちと「ばんえい競馬場」に行って来ました。競馬デビューでした。
競馬のことは、まったく分かりません。ばんえい競馬は、通常の競馬とは異なり、競走馬が重りを引きながら直線コースを走るのです。
途中、盛り上がった山があり、馬は登り切るために山の前で一度停止しします。
ジョッキーは大きく手綱を引き、馬をのけぞらせた後、手綱を一瞬緩めます。
その反動を利用して馬は山を一気に越え、そのままゴールに向かうのです。
最近、僕はメンタリストのDAIGO君にハマっています。
僕は心を読まれない自信がありますので、DAIGO君と勝負したいものです(テレビ出演ではなく)。
スプーンも楽に曲げられるようになりました。
DAIGO君には勉強させていただいております。
そんな僕は、レースの前に予想新聞を買うこともせず、レース前の馬の心理状態を読み取り、メンタリズムで浮かんだ「6」を、1点買いしました。
1000円です。
昨晩は、そのメンタリズムで3つ並べた灰皿の下に隠したコインを、ことごとく当てました。
「あなたは右利きですか?先ほど僕は、いちばん左側に置いてもイイですよ(すでに誘導に入っています)と、言いましたよね?こう言われると、裏をかいて左に置きたくなるのが人間心理です。と、言った瞬間に瞳孔が揺れましたね。と、いうことは左ではないということです。」
と、言って左の灰皿を持ち上げます。正解です。
「残りのふたつ。あなたの性格上真ん中には置かないでしょう。あ、今、座り直しましたね。人間はホッとすると身体に反応が出ます。あなたは正直な人ですね。と、言った瞬間、口を結び直しましたね。つまり正解は真ん中です。」
真ん中にコインはありました。このようなことを7回ほど続け、外れたのは1回だけでした。言葉のトーンも仕草もDAIGO君のマネです。成りきってやりました。
同級生の驚きが気持ち良かったですねぇ。スプーン曲げも披露しました。
もう僕は、メンタリストです。
そして、今日を迎えています。絶好調です。
頭の中に浮かんだ数字「6」は揺るぎないものとなりました。
昨夜、それを経験した友人たちは僕を信じ「6」を絡めながら、馬連複(馬を2つ買い、どちらが先に来よても良い。2番、1番になったとしても当たり)を、買いました。
各馬、一斉にゲートにつきます。
スタートの合図で扉が開き、横一列で馬が走り出しました。
6番はスタートも良く、先頭グループに入っています。
「イイ!! イイぞー!! 行けぇ!!!!」
こんな感じです。

昨夜の、僕のメタリズムは続いていました。
友人たちは大喜びです。
「オレ、Mac買おう!!」
「オレは、車!!」
「オレ、嫁に内緒にするぞー!!」
「ははは!! 君たちったら(余裕の大笑い)!!」
ところが・・・。
ところがなのです。
山の中腹で馬が・・・。6番が・・・。
止まってしまったのレス・・・。
一生懸命に登ろうとするのですが、重りに引きずられて下に滑って行きました・・・。
頭の中で、ショパンの「別れの曲」が流れます。
馬は何度もトライを見せるのですが、どうしても登れません。
「6番なんて居たっけ?」
と、言わんばかりに、全ての馬はゴールしました・・・。
6・・・ば・・・ん・・・。
その光景です。

最下位でした・・・。
あはははははは・・・。
「何だよ! 偽メンタリストぉ!!!」
帰りの車の中ではひんやりとニューアルバムが流れていました。
アルバム、友人たちにはどうでもよかったようです。
このアルバム、どうなるのでしょうか・・・。
明日は、じゃがいもを食べに連れて行ってくれるそうです。
アルバムは、部屋に置いて行きます・・・。
人生、こんなものです。
今まで、やり取りをしていました。
アルバムは13曲になります。
ただ、年内にリリースできるのかは分からなくなりました。
これからジャケット撮影など、スケジュールは目白押しです。
メジャーを含み、インディーズからもたくさん声をかけて頂きました。
みなさん、この状況を受け入れてくださいまして、本当にありがとうございました。
おやすみます。
さて、
今日は、一応最終レコーディングの予定です。
曲目は、
「FUKUOKA」
です。
いろいろありまして、福岡でレコーディングしているんです。
東京から、ミュージシャンが駆けつけてくれました。
この曲で13曲なのですが、13曲入りになるのかどうかは分かりません。
と、いうのも、CDに入り切れるかどうかが分からないのです。
今日の楽曲の尺(長さ)が左右させます。
無理にラインナップさせることは可能なのですが、それでは音のクオリティを下げなくてはならなくなります。
それは避けたい。
歌詞に、
いまは昔 昔はいま 誰でもない自分さ
生きるように生きてきた めくれば文字が現れるように
こんにちは さようなら おはよう おやすみなさい
繰り返しながら僕はここに居る
sweet and good memories
と、いう一節があります。
気に入ってます。
レコーディングは、今日を越え、明け方にはすべて終わるでしょう。
後は、ミックス、マスタリングという作業になります。
メジャーのレコード会社で、手を上げてくれているところが
数社ありますが、
まだ、決定していません。
僕は、インディーズを望んでいます。
これを読んでいるインディーズレーベルがありましたら、どうぞ、声をかけてください。話をテーブルに乗せましょう。
今日も福岡は晴れています。
僕の故郷です。
おはよう。
今日は、歌入れです。
今日、歌う歌は3度目なんです。曲名は、
「リハーサル」
ライブ会場の空気感を思い浮かべながら、リハーサルをしている時の歌です。
アルバムを通して聴くと、この歌は、まだ別の歌い方があるのではないかと思うようになり、再々トライです。
そんななか、ギターで柔らかくつま弾く感じの曲が生まれました。
アルバムには必要な曲のような気もしていますので、何とか歌詞を完成させ、歌入れに突入したいと考えています。
そうなると、並べた楽曲のなかで1曲外さなくてはならない曲がでてきます。
今、揃っている曲はとても気に入っていますが、
入れ替えをして12曲入りになるのか、それとも、更に加えて13曲になるのか、
非常に難しいところです。
今日の作業が終わりました。
みなさん、もうお分かりのように、マスコミは、僕に対しての一部の否定的な書き込みを取り上げます。また、ブログの中での個人同士のやり取り、そして心の揺れを、待ってましたとばかり記事にします。これが、ゴシップメディアのやり方です。
先のエントリーですが、どこをどう読めば「警察への怒り」になるのでしょうか。
そうしたいだけなのです。
彼らには、見てのとおり悪意しかありません。
ここのコミュニティの平穏さには興味はありません。
荒れるのを喜んでいます。
しかし、僕は、そのアホなマスメディアに期待しているところがあります。
それは、形になった時に分かるはずです。
しばらく、別の仕事をやっていますが、今月の終わりから最終段階のレコーディングに突入いたします。
また、いつかお伝えしますが、このレコーディングにもミラクルが起こりました。
しかし、最後まで気は抜けませんね。
持つべきものは仲間です。
持つべきものは理解者です。
みなさんです。
ありがとう。
有意義だったとは?
昨日は、みなさんお察しのとおり、九州の病院に行ってきました。当初から、一貫してお伝えしてきたように、僕には薬物障害が一切ありません。しかし、一度、医療保護入院になってしまうと、その後は任意入院に切り替わり、退院後は通院となってしまいます。これは医療上のルールなので従うほかありません。
「では、月に一度先生のお顔を見に来ますね。」
という、約束でそれはなされています。
先日は、免許の切り替えが大変でした。入院中に免許が失効してしまいましたので、病院の診断書を持って警察署に行ったのです。待合室に居ると、大きな声で名前を呼ばれました。別室にとおされました。ふたりの警察官が座っています。
「こちらにお掛け下さい。」
僕は、頼りないパイプ椅子に座りました。警察官が、じっと目を見つめてきました。
「えーと、入院されていましたよね?」
「はい。」
「ご存知のとおり、昨今あなたのような病気の方が引き起こす交通事故が多いのです。」
「と、言いますと?」
「精神病の方が運転する車が、歩行者の列に飛び込んで行くという事故です。」
「僕は、理由があって入院しました。精神病ではありません。」
「しかし、診断書は精神病院からですからね。」
「・・・。」
「申しわけありませんが、この度は免許の発行はできません。」
そこにやってきた別の警察官が、小声で何かを伝えました。
「○○」
座っていた警察官は、それに反応し、再度口を開けました。
「やはり、免許は発行できません。」
警察官同士が分かる隠語を使ったのです。おそらく、僕が薬物事件を起こしている事実を伝えたのでしょう。
「今、報告があったように僕は薬物事件を起こしました。」
「・・・。」
「しかし、後遺症などというものはなく、極めて正常です。」
「でも、症状は突発的に起こりますからね。」
「そういうものは一切ありません。執行猶予が明けるまで、車には乗りません。様々なところで身分を証明するものが必要になります。免許証は発行して下さい。お願いします。」
警察官同士が目を合わせます。
「普段の生活の中で、気が遠くなったり、めまいを起こすことはありませんか?」
「ありません。」
「困りましたねぇ・・・。」
「何も困ることはありません。僕は正常です。それだけです。発行して下さい。」
「それでは、病院に連絡をして確かめてもよろしいですか?」
「ええ。ぜひ確かめて下さい。」
それから、数分間待たされました。このとき、内心、確率は50%でしたが、僕の入院生活での態度はパーフェクトだったという自信がありましたので、望みを繋ぎました。
そして、警察官は戻ってきました。
「今、病院に連絡をしまして、医院長とお話させて頂きました。運転には、何ら問題はないとのことでしたので、免許の発行をさせて頂きます。」
この先が思いやられました。ことあるごとにこういう目に遭うことになるのだと。先日は、パスポートの申請が下りませんでした。1年間は、海外に行けないとのことでした。海外旅行は、期日指定、宿泊先の報告義務、渡航理由など、がんじがらめなのです。事件を起こすということは、こういうことなのですね。
何より、精神病であるということは大きな足かせになりました。精神病は、線引きがあまりにも曖昧で、そう思った、そう見えたということだけで、病気の方へ入れられてしまいます。場違いなジョークひとつで異常だと思われてしまいます。これは差別以外何ものでもありません。
九州の病院の医院長の前で、そんなことを思い出していました。
「どうですか?調子は。」
「入院の頃と何も変わっていません。」
「そのようですね。お薬は飲んでいますか?」
「一切、飲んでいません。」
「睡眠薬もですか?」
「ええ。何も飲んでいません。」
「盗聴はどうですか?続いてますか?」
「ブログで、犯人に盗聴を止めることを投げかけた二日後から、パソコンへの不正アクセスはゼロになりました。」
「それは、良かったですねぇ。(盗聴は)長かったですからね。」
「はい。以前は1秒間に40個から60個の不正アクセスがありましたが、現在はひとつもありません。犯人たちが手を引きました。」
「ブログをやって良かったですねぇ。」
医院長と同席していた若い医師は、盗聴盗撮の証拠を見ていましたので、とても心配してくれていました。それから、10分間ほど話をし、
「いいでしょう。薬物依存も後遺症も何もありません。正直、驚いています。」
「何をですか?最初から、そういうものはありませんよ。」:
「もちろん分かっております。ただ、睡眠薬などを、こんなにきっぱり止められる人は珍しいんですよ。そう言えば、病院に居られるときから、ご自分で量を減らされていましたからね。」
「はい。今は自然体で眠れています。」
僕は、当初から覚せい剤の後遺症はありませんでしたが、睡眠薬を飲んでいました。唯一、薬物依存に値するならば、それは睡眠薬でした。覚せい剤の後遺症というものは、多くの患者に見られますので、症状がないと言っても、一応処方されていたのです。僕は、それを飲みませんでした。
「では、今回より薬も出しませんね。良く頑張りましたね。」
晴れて、後遺症、依存という病名から解き放たれました。
昨日の夜は、弁護士らとお祝いをしました。福岡の中央区にある料亭でした。弁護士らは、毎日ブログをチェックしてくれております。みなさんのIDも全部覚えてしまったと言っておりました。Youtubeのリンクを張ったことについては、何ら問題はないようでしたが、問題を問題として定義する人が居るようなら、そこから話が拡大、拡散して行くことが懸念されるので、大事を取って削除しようということになりました。削除はしませんが、エントリーの内容を変えようかと思っています。書き換えです。あんなにオモシロイ動画なのです。たくさんの方達に観てもらいたい。
食事の後は、弁護士ら行きつけのお店に行きました。その店は、Youtubeを観ながら飲む店なのです。ちあきなおみさんと僕の「伝わりますか」を聴き?観?比べながら楽しい夜になりました。Youtubeを観ているときに思い出したのですが、あのChicagoがSAY YESとYAH YAH YAHをカバーしているのです。みなさんは、僕がデビッド・フォスターに影響されたことはご存知だと思います。僕は、そのデビッド・フォスターがプロデュースをしたChicagoをこよなく愛しました。Chicagoにも陶酔しておりました。そのChicagoが、僕の曲をカバーしてくれました。冥利に尽きます。話の流れから、ニューヨークに滞在していたとき、僕の部屋にチャカ・カーンが「野いちごが揺れるように」のデモテープを、突然持って来た時のことなどを思い出しました。会話は尽きませんでした。
ともあれ、一切の後遺症、薬物依存がないことが証明された夜のことでした。週刊誌、メディアは僕が病気であることの方がオモシロイのです。どうか、惑わされないで下さい。僕は至って正常です。
それから、書き込みに気になる文字がありました。「カツノ」という文字でした。「カツノ」というのは、京都の元舞妓「佳つ乃」さんくらいしか思い当たりません。ネットで調べてみて驚きました。そんな話になっていたのですね。
僕は「佳つ乃」さんとは、面識がありません。週刊誌のねつ造です。
綺麗な方です。お会いしてみたいものです。
ありがとうございました・