今日は、久しぶりにゆっくりしています。

年末まで、レコーディングやら撮影などが、割と高密度で入っていまして、

さて、これをどう組み立てていこうか、スタッフと思案中です。

 

来年に入れば、すぐにMVの撮影も行いたい。

また「Youtube」などで、発表したいな。

 

とうとう「年末」に突入した。

 

そんな感じの今日です。

 

 

ASKA

 

ライブ、本当に良かったですね。

啓介さんの、人を食った?人に飲まれた?

ともかく、ほんわかした、それでいてロック魂が込められたライブだったと思います。

 

チャットは、つい、書き込みたくなり、というか、参加してみたくなったんですよね。

 

実は「Fellows」の開設記念に、

2時間のチャットをみなさんとやってみようなどというアイデアもあったのです。

 

その昔、C&Aのファンクラブが立ち上がった時、

会員のみなさんと、チャットをやったのです。

 

まだまだ、ぜんぜんネットが普及していませんでしたが、

とても楽しい時間を送らせてもらいました。

 

みなさんも喜んでくれましたので。

 

その時のことを覚えていましたので、あの日の再現をしてみようと考えたのです。

 

しかし、よくよく考えてみると、あの頃とネット人口が違います。あの頃のチャットは、みなさんの質問に、僕たちが答えていくというイベントでしたが、今、それを行なっても、質問の内容も、僕が答える文章も、誰も確認できることができないくらいのスピードで、進んでいくだろうと思ったのです。

 

ですので「チャット」は、頓挫してしまいました。

 

でも、その瞬間の受け答えができるチャットは、面白いですからね。

みなさんに、良いアイデアがありましたら、どうぞ、教えてください。

 

「オフィシャルサイト Fellows」では、楽しいことを、

そして、喜んでもらえることをたくさん行いたい。

 

昨日より、村上啓介

 

「MAGICAL GUITARMAN」が「Weare」より、配信されています。

 

どうぞ「遅れて来た天才」のアルバムを、楽しまれてください。

 

ASKA

 

P.S

昨日の「カップ麺」は、ネタです。

盛りました。

 

今後も、いろいろ盛らせていただきます。

盛ってみせます。

 

シンガポールの子

あの頃、僕たちCHAGE&ASKAが、アジアツアーをやっていた時、

シンガポールの通訳は女子高生でした。

 

アイドルさんのような顔をしていましてね。

チャイニーズネームが難しかったので、僕らは、

 

「かっちゃん」

 

と、呼んだのです。

 

なぜ、そうなったのかは、あまり覚えていませんが、

確か、名前に「勝」と、いう字が入ってたんじゃないかなぁ・・・。

 

いや、確かではありません。

 

「かっちゃん」が、日本に来た時には、女子大生になっていました。

 

確か、連絡をもらって食事に行ったんだよな。

 

前回、シンフォニックコンサートで、シンガポールに行った時に、

会えるのを楽しみにしていたのですが、彼女は現れず、

少し、寂しい気持ちになったのでした。

 

去年だったかな。

 

シンガポールから「ロックダム」に、一本の電話が入ったのです。

 

CHAGE&ASKAさんから、日本ネームをつけられた子が亡くなった」

 

と・・・。

 

「かっちゃん・・・」

 

シンフォニック、シンガポール公演は2008年ですので、

もしかしたら、あの時には、すでに亡くなっていたのかもしれません。

 

シンガポール=かっちゃん

 

と、いうくらい仲良くなりましたからね。

 

その間、ちょくちょく元気かな?と、思い出していた頃には、

もうこの世にはいなかったのかと思うと、切なくなりました。

 

海外の友人というのは、また、特別です。

 

その地がテレビに映ると、必ず思い出しますからね。

 

よく言います。

 

「政治家、財界人の子息を海外生活させるのは、

 いつか、本国の重要なポストについた時に、

 その海外生活をしていた国との間で生じた摩擦を軽減させるため。」

 

何か、大きな出来事があった場合、まず、その国よりも、

その時に知り合った友人、知人を心配します。

 

もっと言えば「あの国と戦争をしてはならい」と、いう気持ちになります。

 

僕たちには、そんな人が、

「中国」「台湾」「香港」「シンガポール」そして「韓国」。

もちろん「イギリス」にも「アメリカ」にも。

 

海外に友人がいるということは素敵なことだと思います。

 

昨日、ロンドンから打ち合わせのために来日した人物がいます。

 

ワクワクする打ち合わせだったなぁ。

 

そうなんだよな。

そういうことなんだよ。

 

心の中では、何度もそのフレーズが顔を出しました。

 

今日は、会社に顔を出してくれましたので、

僕も会社に行ったのです。

 

彼とは、もう古い付き合いです。

アジアツアーなど、一緒に回りましたからね。

会話がシンガポールのことになり、

 

「ね?そう言えば、かっちゃん覚えてる?」

「もちろん」

「かっちゃん、亡くなったんだよ。」

「えっ!?何言ってるんですか。かっちゃん、元気ですよ。」

「なんで!?なんで知ってるの?」

「かっちゃん、もう10年以上前に、イギリス人と結婚して、

 イギリスに住んでますよ。」

「去年だよ。死んだって連絡があったのは」

「ほら、これ」

 

Facebookを見せられました。

 

動画を観せられたのです。

 

お家の裏庭・・・バックヤードでしょうか?

そこで、画面いっぱいに笑顔でシャボン玉を飛ばしている「かっちゃん」がいました。

 

ぜんぜん変わってない。

 

高校生の時の顔、そのままでした。

 

一気に、心の中が温かくなりましたね。

 

と、同時に、

 

「日本ネーム」「オレたちがつけた?」

「女の子」「死んだ・・・」

 

だ、誰?

「かっちゃん」ではなかった・・・。

 

「ね?かっちゃん以外、思い当たらないんだけど・・・」

「何言ってるんですか。CHAGEさんもASKAさんも、

 そこいら中で、日本名をつけて楽しんでたじゃないですか」

 

そうでした・・・。

 

そう言われたら、そんなことばっかりやってました。

 

また、日本名をつけられた子たちも、

喜んで振り向いてくれるようになっていましたので、

調子に乗ってやってました・・・。

 

で、誰?

 

亡くなったシンガポールの子?

 

「まみちゃん?」「けいこちゃん?」「カツオ?」

みかちゃん?」「ゴン?」

 

確かに、そんな感じでつけてました・・・。

ふぃーりんぐってやつでしょうか・・。

 

で、

誰よ・・・?

 

えみ?

じゅん?

 

誰?

どの子だ?

 

 

ASKA

 

カウンターを見てみました。

このまま行くと、

 

ASKAオフィシャルサイト『 Fellows』」

 

が、立ち上がる頃には、優に、

 

「7000万アクセス」

 

を、超えてます。

 

日々、新しい人たちがブックマークしてくれております。

 

書かせてもらいがいがあるよね。

みなさん、ありがとう。

 

 

ASKA

ONE

アルバム「ONE」がリリースされたのは、1997年なんだなぁ。

 

あの時、僕は「掟破り」のレコーディングをしたのです。

1枚のアルバムに3人のプロデュサーを立てるというやり方でした。

 

普通はあり得ません。

 

プロデュサーは、誰もプライドがありますので、そのアーティストと並列でクレジットされることはあっても、他のプロデューサーと共に、1枚のアルバムを手がけるなどということは、余程の理由なしにはありません。

 

ロンドンレコーディングでしたね。

 

もちろん、皆、最初は「NO」でしたが、

 

「なぜ、僕があなたを選んだか?」

「このアルバムは、いろんな意味で実験アルバムだ」

 

それを、丁寧に伝えましたところ、3人とも「OK」を出してくれたのです。

 

まず、一人目は「Wham」などを手がけた「CHRIS PORTER

彼は、終始「ASKAジョージ・マイケルが被る」と言ってました。メロディを作るにおいての拘りと雰囲気がよく似てるとのことでした。僕もジョージのメロディは好きでしたので、悪い気はしませんでしたね。むしろ、光栄でした。スタジオでは常に、僕の顔色を伺っているのが印象的でした。レコーディング中、少しでも僕が怪訝な顔をすると、すぐに、

 

「別のアプローチを試してみよう」

 

と、ミュージシャンに投げかけました。恐ろしいくらい敏感でした。

 

二人目は「Swing Out Sister」のプロデューサーを長くやっている「Paul O'Duffy」

彼とは「THE RIVER」や「Castles In The Air 」を一緒に制作しましたので、僕のこともよく知っていてくれました。スタジオワークはスムーズでしたね。

 

「『ID』をシングルにすべきだ」

 

と、迷っていた僕の背中を押してくれたのがPaulでした。

 

随分迷ったのが、三人目のプロデューサーでした。

「だれ誰をやっているプロデューサー」と、いう肩書きは必要なかったのです。

 

「僕の琴線に触れた人」

 

必要なことは、これだけでした。日本であらゆるアルバムを聴きまくりました。

そして、どのアーティストのアルバムであったのかは、覚えていませんが「哀愁」を漂わせたポップスでありながら、どこか「今」というだけではない音作りをしていた「Paul Wickens」というミュージシャンに、興味を持ったのです。イギリスのミュージシャンを通じてPaulに連絡を入れました。

彼の答えは、こうでした。

 

「実力がわからないので、なんとも答えられない」

 

すぐにデモ音源を送り、彼が、僕のメロディを気に入ってくれ、一緒にやることが決まりました。スタジオに入ってから知ったのですが、彼、ポールマッカートニーのキーボーディストでした。

 

で、いつか、このブログでお話したことにつながるのです。僕は、ポール・マッカートニー日本公演の時、ポールのファミリーパーティに招かれました。

アルバム「ONE」は、その時に出会ったミュージシャンたちとのレコーディングでした。本当に偶然だったのです。三人のプロデューサーが、僕の音楽を聴き、集めたメンバーが、彼達だったのです。途中で気づきあったミュージシャン全員とハグをし合いました。全員、僕を覚えてくれていましたので。

 

そのPaul Wickensとのレコーディングは、彼のホームスタジオで行いました。

イギリスでは普通の佇まいをしている家です。その家を改造してスタジオにしてあったのです。スタジオのドアを開ける手前の左壁に、オーラを放ったような額縁が掛かっていました。本当に目を奪われてしまったのです。額縁には、コンサートチケットが、円陣を組むように並んでいました。

 

Paul McCartney World Tour」

 

という、パネルを、全世界公演のチケットが囲んでいるのです。

 

「これは?」

「ああ。それはポールがワールドツアーを終了した後、メンバー全員にくれたんだよ。」

「すごい!嬉しかったでしょう?」

「最高の宝物なんだ。」

「もし、僕がツアーをやる時は、同じことをしたいよ。」

「メンバーは、きっと大切にしてくれるからやってみな。」

 

その後、僕は、初めてのソロツアーを行なったのです。

最後には「上海」も、加わりました。

本当に、思い出のライブです。

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ASKA

スピーカー 追記

間もなく、納品されます。

 

スペシャルチューニングですので、時間がかかります。

今後、5ヶ月間に渡り、毎月100台お届けできそうです。

 

また、以前「Fellowsオフィシャルサイト」では、

このスピーカーに「キャリングケース」を、お付けすると告知しました。

 

しかし、ここに来て、また別の会社で「オフィシャルサイト」の再構築に

取りかかりましたので「Fellowsオフィシャルサイト」設立までには、

更に時間を要しているのが現状です。

 

その現状を踏まえ「Weare」から、毎月抽選で「キャリングケース」を、

お届けしようという話でまとまりました。

 

1回目に購入されましたみなさんは、

誠に申し訳ありませんが「キャリングケース」の抽選の対象にはなりませんことをお伝えさせてください。

 

元々「キャリングケース」は、「『Fellows』で、購入されたみなさんへ」という括りでした。

 

しかし、お伝えしましたように「Fellows」の設立には、まだまだ時間がかります。

そのため「キャリングケース」を保管する場所の経費がかさむことから、

 

「いっそのこと、平等に」

 

という、話が持ち上がり、200個の「キャリングケース」を、

お返ししようということになったのです。

 

「Fellows」と「Weare」で、あまり差をつけるべきではないとの意見もありました。

しかし、せっかく「Olasonic」さんから、ご好意でいただいたモノ。

 

「ならば、抽選で」

 

この経緯を、どうか、ご了承ください。

 

もったいないもんねぇ。

 

前回、このスピーカーは、あっと言う間に品切れになりました。

我々も驚いたのです。

 

スペシャルチューニングスピーカーは、仕上がり次第、

毎月納品され、販売していくことになります。

 

年内中には「Weare」より「ハイレゾ音源」を配信したしますので、

少々、お待ちください。

 

ASKA

 

追記

 

「DADAレーベル キャラクターロゴマーク

は、すべてのスピーカーに入っていますが、

「キャリングケース」には、入っておりません。

 

何にも覚えちゃいない・・・    追記

そこは、東京千代田区大手町。

東京のビジネス街ど真ん中。

 

そうです。

 

今日は、朝から健康診断でした。

 

先日、お伝えしました「医療機器」のモニターを、その病院グループが引き受けてくれることになりまして、それを抱えつつ、健康診断に行ってきました。

 

まずは、身長なのですが、おっかしいなぁ・・・。

10年前には、171cmだったのです・・・。

 

おっかしいなぁ・・・。

 

そして、体重・・・。

 

変っ!!変だってば!!!

去年の今頃は70キロだったのです!!

もっと言うと「2600グラム」の時が、あったのですから!!!

 

おっかしいでしょ!?あの体重計・・・。

 

だって、食事前には「自慢のサプリ」を、毎回、飲んでましたので。

 

えっ!?

 

も、もちろんですとも。

ちゃんと毎日歩いていましたしね。

 

今、その「自慢のサプリ」のパッケージを見たら、

「肥満のサプリ」と書いてありました。「肥満へのサプリ」でした・・・。

                      ↑

                     ウソつけ!!

 

心電図、エコー、レントゲン、MRI、聴力、視力、眼圧、

骨密度、血圧、血液検査などなど・・・。

 

えーえー、はいはい!

ぜーんぶ、何もかもやってきました。

 

そして、最後に、

みなさん、お待たせいたしました。

 

胃カメラ

 

です。

 

「はい。お口を開けてください。5分間ですよ。」

 

注射器に針のないやつで、ピュっと。

口の奥の方に液体を入れられます。

 

知ってます。これ・・・。

 

喉の感覚を麻痺させる液体です。

最初は舌の奥を上げ、液体が喉の奥に流れ込まないよう頑張っているのですが、だんだん麻痺してまいりまして、どんどん喉の奥に落ちていきます。

 

「抵抗を止めよ。」

 

と、言わんばかりに。

喉の奥、深いところまで麻痺してきているのがわかります。

 

は、早く吐き出したい・・・。

もう、十分、麻痺してマヒ・・・。

 

だって、食道なのか気管なのか、わからないところまで、

達しているのですから。

 

そして、看護師が近づいてきました。

 

「時っ間ですよー。」

 

♬パーパパ!パーパパ!パーパパ!パッパー!!♬

 

いや、いいんです、

わからなくて。

 

「やっと、液体を口から出せる」と、思いました。

 

「はい。では、飲んでいいですよー。」

 

飲んでいいんかい・・・。

 

そうでした。これ、最後には飲んでいいんでした・・・。

毎回、そう思っていたことを思い出しました。

 

それよりも、その先の麻酔で「落とされる」ことの方に、

不安を抱いていましたので。

 

今回は、まぁ、びっくりしました。

 

「腕を出してください。」

 

そう言われて、点滴のようなものと腕を接続された瞬間・・・。

 

気がついたら、リクライニングされたソファに寝てました。

一度、目が覚めたのですが、自宅のベッドだと思い、また、寝てしまったのです。

 

いつもの会話がなされました。

 

「僕、ここまで歩いてきました?」

「はい。しっかり歩かれてましたよ。」

 

何にも覚えちゃいない・・・。

 

毎回、こうなのです。

 

「今回こそは!」

 

と、挑むのですが、やっぱり、今日も、

 

「どこでもソファ」

 

でした・・・

 

まる

 

 

ASKA

 

みなさんも、これやってみてくださいな。

僕は「18歳未満」 の聴力でした。

 

www.youtube.com

 

Nack5 追記

ラジオ出演は「FM Nack5」の田家さんの番組です。

今月12月9日と16日、22時〜22:30までの30分間。

2週に渡って放送されます。

 

いつもそうなのですが、田家さんとの話はつきません。

 

何を、喋ってたっけ・・・。

 

最近、いろいろオファをいただくようになりました。

 

出演させていただく、お断りする。

 

この境目はよくわかりません。

 

「今かな?」

 

と、思う時に出演させていただけたらと思っています。

 

田家さんの番組では放送終了後、1ヶ月間「Podcasting」において、

インタビューの、ほぼノーカット版が放送されるとのことです。

 

 

ASKA

鍋パーティ

昨日、あの後、

 

「ジャーン!!」

 

と、女性スタッフたちが、やって参りまして、

真夜中まで「鍋パーティ」をやっていました。

 

もう、大騒ぎ・・・。

 

ギャグには、簡単に反応するので、

 

「違う!違うってばぁー!!!」

 

と、言いながら、大きく手を振るのです。

 

そう、よくやる仕草です。

 

しかし、手には「包丁」を持っていましたからね。

 

「あ、危ない!あーっぶない!!!って 

 ば!!!!!!」

 

そのシーンを、写真に収めたのですが、

どうしても、これだけは使うなと・・・。

 

「ブログに載せたら・・・わかってるよね!?

 

すごいスピードで、包丁を振りまくっている写真です。

 

高性能のカメラでも「包丁」が、ブレているのですから、

どれだけ振り回していたのか、わかっていただけると、私、確信しています。

 

竹刀を振ると、空気が避ける音がします。

「ブーン」と、音がします。

 

これは、ある程度上手くなれば、誰でもできます。

 

竹刀以外で、その音を聞いたのは、初めてでした・・・。

 

「や(ブーン)め(ブーン)てぇ(ブーンブーン)」

 

笑って振り回しているので、なお、怖い・・・。

 

気がついたら、朝でした。

また、ソファで寝てたみたいです。

 

健康診断は、まだ終わっていません。

 

恐怖指数

 

と、いう項目が、もしあるならば、

今日は、かなり上がっていると思います。

再検査、確実です。

 

間も無くの健康診断において、サビとなるのは、

 

胃カメラ

 

です。

 

と言っても、毎回覚えていないんですけどね。

 

麻酔を使うんです。

僕は、効きが良いみたいで、

 

看護師さんの言葉。

 

「今から、すこーしねむ・・・・」

 

毎回、ここまでしか覚えていません。

 

気がついた時には、ソファにもたれています。

今日と一緒じゃん・・・。

 

「どこでもソファ」

 

です。

 

 

ASKA

光GENJI

光GENJI」は、思えば、20世紀最大の「アイドル」でした。

日本中が「光GENJI」一色に染まりましたからね。

 

今世紀「21世紀」においても、もう彼らのようなアイドルは現れないでしょう。

あの爆発的な人気は、過去、世界においても「NO.1」でしたから。

 

そうです。

地球の歴史上「NO.1」と、言えるアイドルでした。

 

そんなアイドルを支えたファンの皆さんも、今では、ほぼ40歳越え。

それぞれの生活の中にいます。

彼達に「それぞれ」が、あるように。

 

いつだったかな。

彼達の「同窓会」のようなものに、呼ばれて行ってきました。

 

ほぼ、全員揃ってましたね。

ふたりだけ、仕事が重なってしまったようでした。

 

彼達、今、活動していたとしたら、ちょうど「30周年」なんです。

 

その中のひとりは、沖縄よりもっと南方の島から、駆けつけていました。

 

みんな、大人の顔になっていましたが、

誰も、体型も変わっておらず、むしろ、今の顔の方がずっといいと思えました。

 

ローラースケートも、

 

「今、すぐは、きっとできないけど、練習すれば戻ると思います。」

 

そうですよね。

 

彼達は、ローラースケートの特訓を経て、デビューしたのですから。

自転車と同じで、身体が覚えたものは、そうそう忘れるものではありません。

 

驚いたのは、カラオケで「生声」聴いたのです。

光GENJI曲」の、オンパレードでした。

 

歌は上手くなってる、ハモる、歌詞は全部覚えてる・・・。

唖然となって聴いていました。

 

いや、何があって、これを書いているわけではないのです。

 

先ほど、僕の好きな「宇宙」を、調べていましたところ、

ふと、あの日のことを思い出したんです。

 

なぜ「宇宙」に紐づいて「光GENJI」を思い出したのかは、わかりません。

 

地球が太陽を廻る速さ・・・。

数字では言えても、感覚が追いつかない速さです。

 

この地球上で、最速の「銃弾」より、はるかにはるかに早いのですから。

 

そんな「宇宙」のスピードで、僕たちの生活を測るなら、

僕たちが一生かけて動いたことも、全く動いていないもののようにしか映りません。

 

「スーパースロー」で捉えても、画面の左から右へ移動するまでに、

何百万年かかるんだろ?

 

「時間の概念」

 

などというのは、説明のためにあるだけで、

本来「時間」なんてものは「宇宙」には、ないのかもしれませんね。

 

そう考えると、「テレポーテーション」は、成立するんだな。

 

そ言えば「光GENJI」の、ファーストアルバムが、確かありましたよ。

もちろん、アナログ盤です。

 

ちょっと、探してみます。

 

 

ASKA

 

針とスピーカー

もう、昔のことなので「今は違うよ」と、言われてしまいそうですが、

音楽を聴くことにおいて、

 

「音は、入り口と出口で決まる」

 

そう言われていました。

 

もちろん、レコードの溝に圧力をかけるアームを含めた針の重さなども大きく関係してはいるでしょうが、それは、オーディオマニアなど、特殊層が気にすることで、一般的には、プレヤーの良し悪しよりも「入り口」と「出口」。

 

つまり、

 

「針」と「スピーカー」

 

で、決まるのではないかと、今でも思っています。

 

あの頃は、一定の時間が来ると、カートリッジの先に取り付ける「針」を、

取り替えていました。

 

やはり、針を変えると、音の鳴りが変わりましたからね。

 

当時は、

 

SHURE(シュアー)」

「NAGAOKA」

 

などの針が、最もメジャーだったように思います。

 

もちろん、僕の周りでの話なので、

他のメーカーの「針」でも、良いモノあったのでしょうね。

 

長い間、プレヤーを使われなかった方は、

ぜひ「針」を取り替えてください。

 

当時は「2500円」ぐらいだったと思います。

 

いま、調べてみました。

それほど、価格に変化はありませんでした。

 

先日、僕がスタジオで聞いたプレヤーの「針」は、

 

「300万円」

 

でした・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

僕の、プレヤーは、そのまま「DADAスピーカー」に接続するだけで、

音が鳴るモノです。

アンプは要りません。

 

今後、市場は「ハイレゾ音源」に伴って、スピーカーもハイレゾスピーカーとなりますので、

また「音」にこだわる時代が到来するのかもしれません。

 

「Weare」から発売しました

 

「Olasonic DADAレーベルチューニングハイレゾ対応スピーカー」

 

は、もちろん、普通のスピーカーとしても使えますが、

 

「USBケーブルで接続したパソコン用スピーカー」

 

と、位置づけされた方が良いでしょうね。

 

「この価格で、こんなに良い音が出るのか!?」

 

と、思っていただけると信じています。

 

プレヤーを考えられておれる方は、

どうぞ、普通の価格のもので良いですよ。

 

僕は、ターンテーブルの台座の素材、色、デザインなどにこだわりすぎましたので、

お手頃な価格の「DADAレーベルプレヤー」が、実現いたしませんでした。

 

今後、スマホは、すべて「ハイレゾ対応」になるようですね。

イヤホンでは、あまりハイレゾの良さは体験できないと思います。

 

スピーカーから飛び出した音が、空気の振動経て、耳に入って来る音・・・。

 

その音でハイレゾを楽しまれるのが、いちばん好ましいと感じました。

 

 

ASKA

 

ごめんね、宣伝みたいになっちゃって・・・。

レコードプレヤーがやって参りました。

 

強情にも捨てずにキープしていたレコードが聴けるようになる時代が来るとは・・・。

 

先日、資料用のレコードは会社に運びましたが、

もちろん手元に残してあったレコードがあります。

 

「チリチリ」とか「プツっ」だとか、かすかに聴こえるレコードがあります。

 

本来なら、ホコリや小さなキズによるノイズですので、

残念がらなくてはならないのでしょうが、なぜか、愛しい・・。

 

「懐かしい歌をレコードで 聴いてみたくなった」

 

こんな心境で、朝からずっと部屋に鳴り響いています。

 

ごめんね。

宣伝みたいになっちゃって。

 

僕の部屋でレコードが鳴っているという報告です。

 

そんだけぇーーー!!!

 

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ASKA

 

「健康診断はしてはならない」  追記

コメントにもありましたが、確かにそのような本を出されているお医者さんもいますよね。

 

それは、健診で受ける「CTスキャン」「ペット」などから放たれる放射線によって、

逆に、癌細胞を作ってしまうという理論です。

 

以前、僕が紹介して、すぐに削除した毛髪サプリと同じだと思うのです。

 

「副作用の危険」は、薬事法によって説明しておかなくてはならないのです。

 

一般薬の風邪薬にも書いてあります。

 

自社の風邪薬を販売したいために、他社の風邪薬の粗探しをし、

少しでも、そのような副作用と言えるものを発見すると、声を上げます。

 

これは、一種の自社製品のプロモーションのためです。

 

副作用のない「薬」「サプリ」など、ありません。

 

医療機器による放射線による発癌というのも、確かにあるでしょう。

 

それよりも、それによって癌が発見されることの方が、

どれだけ多いのかの方が大事だと思うのです。

 

特に「ペット」などそうですよね。

確か、ロシア製の医療機器だったと思います。

 

患者は「ペット」を受ける直前に「ブドウ糖」を飲みます。

癌細胞は「ブドウ糖」が、大好物ですので、その飲んで身体に回った「ブドウ糖」に向かって集まります。

 

その癌の習性を利用して開発されたのが「ペット」です。

 

開発された当時は、これまでにない「最高の医療機器」という触れ込みでしたが、

例えば癌細胞も人間と同じで、敏感な奴と鈍感な奴がいますので、

たまたま昼寝をしているときに「ブドウ糖」が身体に回っても、

気がつかない奴がいます。

 

それで、最近では、癌を発見する「最高の医療機器」とは、

言われなくなってしまいました。

 

常に、その時に「最高のモノ」というのが現れますが、

万能ではありません。どこかにセキュリティホールは必ずあります。

 

なので、癌治療において、完全なものはできないと思っています。

 

ただ、完全に近いモノは、作り出せると思っていますので、

医学の進歩に期待するばかりです。

 

「免疫力を上げる」

 

これが、いちばんなのでしょうね。

自分の体内宇宙の乱れを、自分で整える。

「免疫力」だと思います。

 

その「免疫力」を、飛躍的に上げるのは、

今のところ「キノコ類」だと、言われています。

 

ただ、これも「今のところ」なのでしょう。

 

ま、そんなことで、僕は「健康診断」を、受けてきますよ。

それなりに「放射線」も、浴びてきます。

 

解明などできない「体内宇宙」。

 

永遠に続けられるのが研究です。

 

分子の小さい「綺麗な水」を飲む。

これは、大切なようですね。

 

ASKA

 

そうですね。

MRI」は、放射線ではありませんでした、

「磁石と電波」によって発生した信号により、断面画像を作るのですね。

勉強になりました。

 

ただ、やはり「MRI」の危険も述べられていますね。

結局、これも「副作用」のようなものが列記されているわけです。

70億の民の中には、そういうこともあるでしょう。

 

表には、必ず裏があります。

裏と決めつけているものにも、必ず表があります。

 

宇宙のお約束事です。

 

「『MRI』は、放射線ではない。」

 

教えてくれて、ありがとう。

 

 

 

ふ〜・・・。

今月初旬頃から、歯茎が痛み出しましてね。

時々、疲労が溜まると、そのようなことはあったのです。

 

左下3番。

 

上と下の歯が触れると痛みが走りましたので、

病院に向かったのです。

 

レントゲンを撮ると、確かに、素人目でも判断できるくらい、

色の境界線ができておりまして、

 

歯医者さんが、銀の細い棒で、

 

「ここですか?(チョン!)」

「ぅいったーい!!」

「ははぁ!?これだ(チョン!)」

「わぅいったーいってばっ!!

 

わ、わざと・・・?

 

「これ、以前被せた歯の歯根周りの治療をしなくてはなり

 ませんので、ゆっくり時間の取れる時にやりましょう。」

 

で、今日だったわけです。

 

その間、抗生物質で散らしましたので、今日は、もう痛みも消えてはいたのですが、

また、疲れの出た時に痛みが出るだろうと思い、行って来ました。

 

治療終了後、タクシーに乗りまして、◯610円支払いました。

 

この最後の10円を、財布に人差し指を突っ込んでゴソゴソやっていた時に、

落としたのでしょう・・・。

 

そう。

 

か、カギ・・・。

 

家の前で、しばらく呆然としていました。

は、入れない・・・。

 

すぐにタクシーの中だと気付きました。

我々の職業は、必ず「領収書」を、もらいますので、

こんなケースの時には助かります。

 

すぐにドライバーと連絡がつきました。

 

「もう、かなり走っちゃてるんですよねぇ。」

「どの辺りですか?」

「〇〇辺りです。」

「かなりでは、ないじゃないですか?」

「交番に届けますので、そちらに行っくれませんか?」

「いや、今、家に入れないので、いま、今、困ってるんです。」

「って、言われてもねぇ・・・。」

「わかりました。料金をお支払いしますので、戻って来てください。」

「あっ!?いっすよー!!!」

 

すぐ、来ました・・・。

やはり、この手の客は、面倒がられるんですね。

 

ってな、夕方を迎え、

また、19時半の待ち合わせのために、外出。

 

そして、今、帰ってまいりました。

先日の「逆指名インタビュー」の番組スタッフさんとの、お食事会でした。

 

何が盛り上がったか?って。

格闘技の話題でした。

 

僕には誰にも言えなかったことがあるのです。

それを、公開して来ました。

 

衝撃の事実を・・・。

 

皆さんには、10年後ぐらいに、お話しても良いかなと思っています。

 

そう。

あれは確か・・・40歳の時・・・。

 

で、やめときます。

 

そうそう。

AbemaTVのスタッフの女性。

僕が25歳ぐらいの時に、お会いしていたのです。

 

大阪、アメリカ村で・・・。

 

など、ぶっちゃけ裏話大会でした。

これ、撮影していたら、むちゃくちゃ面白い番組になってましたよ。

 

てな、1日でした。

さて、歩かなきゃ。

 

なぜ?

 

健診です。健康診断。

 

なぜ、体重を落としておかなきゃという気になってしまうのだろうか・・・。

 

ASKA