1000回目のライブが、ふるさと福岡だったのを彷彿させます。

みなさん、

 

「ブログ1周年おめでとう」

 

と、言ってくださってます。

 

以前、お話させていただきましたが、僕には、

 

「人の言うことを聞きすぎる」

 

と、いう欠点があります。

 

「ワガママ」「強情」「猪突猛進」

 

と、思われがちなのですが、

本当は「そうなれたらいいのにな」と、いう気持ちがあります。

 

確かに「強情」な部分があるのは、認めていますが、

それは、自分の勘による景色がはっきりと見えている時です。

振り返ると、そうであった時に、他人の意見を受け入れてしまい、

失敗となることが多くありましたので、今では、景色が見えている時には、

引かなくなりました。

 

新しいことに、または、例えば、商品でいうなら、新商品を大衆に流通させる時、

それを多数決で決めると、だいたい失敗します。

 

なぜならば、大半の人は「常識」「安全」そして、良い意味でも悪い意味でも、

「普通の人」だからです。普通の人は、社会において、最も必要な人間ではありますが、とかく大きなことに際しての決定には向きません。

 

なぜ、音楽において幅広い知識を持った「サリエリ」が「モーツァルト」に、勝てなかったか。ここに、答えは集約されているのだと思います。

 

こんな話があります。

 

ある分野において、世界的な地位を確立していた企業。

ある日、会議がありました。

すでに、安泰を手中にしていましたので、その会議では、

 

「我が社は、ブレることなく、今後もこれまでと同じように頑張って行こう」

 

と、なったわけです。その会社の内情を知らない人からは「さすが、素晴らしい」と、奉られるでしょう。「内情を知らない人」と、いうのは、つまり世間の人と、置き換えることができます。

 

しかし、その会議において、ただひとり、それに異論を唱える人がいました。その会社の色ではない色を持ち出したのです。

 

誤解のないよう補足させていただきますが、その人は、会社の基盤の上に乗っ取った上で、違う色を主張したのです。

 

その人以外、全員は、

 

「我が社がやることではない。色が違う。」

 

と、跳ね除けました。

 

「斬新」「革新」の1番の敵は「安心」の解釈なんです。

「安心」は、「真ん中」「不動」と、捉えられがちですが、

「安心」とは、実にジプシーであり、常に「成功の真ん中」に、居たがります。

また「成功」も、通過点でしかないため、

「安心」という危険からは、常に距離を置かなくてはならないものだと思っています。

 

その会社の会長は、その「違う色」を主張した人だけ残し、残りの全員を解雇しました。社の未来、発展に貢献しない「普通の人」に見えたのでしょう。

 

今、その会社は、その「違う色」で、大成功を収め、時代の流れに乗ることができました。従来の主軸であった、その会社の製品は、ITの出現により、今や、それを手にするユーザーは「拘りの人」という、一部の人たちだけとなりました。

 

いっとき、「勝ち組」「負け組」なんて、言葉が流行りましたが、新しい波は、常に押し寄せます。「負け組」こそ、いちばんの「勝ち組要員」なのですから。

 

時代で変わってゆく「常識」が、どれだけ八方美人なのかを知っておく必要があると思うのです。

 

「常識」なんて、「新しい発想」の前では、赤子のようなものです。

 

本日、ブログを始めて1年を迎えます。

そして、その一年目の今日、5000万アクセスがやってきました。

まるで、用意されていたかのような出来事です。

 

みなさん、ありがとう。

 

ASKA

 

 

2017/07/18 04:39現在

 

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