歌える喜び。

身体中で浴びました。

 

最前列の男よ、泣いてくれるなよ。

たまらない気持ちになったじゃないか。

 

本当に素晴らしい時間。

みなさん、付き合ってくれてありがとう。

 

あのパフォーマンス後、

ネットでご覧いただいていた、みなさんにも、

聴いて、観てもらいたい作品がありました。

いつぞや、どこかの番組で、不覚にも流されてしまった

東京オリンピックテーマ曲」

の、完成版でした。

 

僕が作った僕だけの東京オリンピックテーマ曲」です。

 

僕が、テーマ曲に選ばれることはありません。

しかし、その曲は2020年東京オリンピックテーマ曲」に決定されるであろう、

どの曲にも、負けない自信があります。

 

制作に2年間もの、月日をかけたのですから。

 

その昔「モスクワオリンピック」がありました。

アスリート達には、夢の祭典です。

 

しかし、その「モスクワオリオンピック」には、

日本は、政治的な理由で、参加をしませんでした。

 

「オリンピック」こそ、国家間の摩擦を乗り越え、

民間が柱となって行われる祭典です。

 

どれだけの日本選手達が、血と汗を流し、オリンピックを目指していたことか・・・。

あの時の、選手達の涙・・・。

 

「また次に」では、済まされません。

その時に、いちばん力を発揮できる年齢の人たちだからです。

 

こういう話がありました。

ボート競技の選手でした。

 

彼は、諦めるに諦めず「ひとりのオリンピック」をしたのです。

 

そこは、湖畔でした。

彼は、膝下にラジオを置き、全神経を、ラジオに集中させました。

ラジオから聞こえるスタートの合図を待っていたのです。

そして、スタートの合図とともに、ひとり湖畔で、一心不乱にボートを漕ぎました。

 

彼の名は「津田真男」と、言います。

それは、山際淳司さんの「たったひとりのオリンピック」というタイトルで、

書籍化されています。

 

その話は、今回、

僕がオリンピックテーマ曲を作るに至った原動力になりました。

 

「たったひとりのオリンピックテーマ曲」です。

 

ネットで、ご覧いただいた、みんさんには、お見せできない理由があったのです。

その曲に、僕のつたない動画編集ですが、

戦うアスリート達のシーンを乗っけたからです。

 

その動画や、写真には「著作権」が、ありまして、

それらは買い取りましたが、配布しない、販売しないという約束で、

購入いたしました。

 

なので、そこに来られたみなさんには、聴いて、そして観ていただくことはできたので

すが、それらをコピーされ、ネット上に公開されてしまっては、

規約違反になってしまいます。

 

なので、それができませんでした。

 

僕の中では、

 

「あれが、テーマ曲にならないわけがない」

 

と、いう完全たる自信を持った作品となっています。

みなさんには、いつか聴いてもらいたい。

 

あの生中継の後、会場に来てくれていた「雅夢」の、三浦和人と会う約束をしましたの

で、慌てて、ホテルをチェックアウトをし、昨日のうちに自宅に戻って参りました。

 

大石吾朗さん、クリキンのマー坊(田中昌之)、三浦和人村上啓介さんらが、駆けつ

けてくれました。

 

また、いつか、あのようなことをやりたいですね。

 

「たったひとりのオリンピック曲」

 

いつか、ぜひ、聴いてください。

今、横のソファで、共に制作を手がけた熊本のミュージシャン、

「矢賀部竜成」が、寝ています。

彼は、あの「宇宙航空研究開発機構

通称「JAXA」のイメージ曲を手がけた人です。

彼は「C&A」の、コンサートオープニング映画のサウンドトラックも作ってくれまし

た。

もう、30年の付き合いになります。

 

僕も、そろそろ、おやすみますね。

 

素敵な1日を、どうもありがとう。

 

ASKA