釈迦と、弟子の会話でこういうのがありました。
「人の気持ちは、どんな気持ちも相手に届くのでしょうか?」
釈迦は、弟子にこう言いました。
「例えば、あなたが贈り物を送ったとしましょう。
そして、もし、受け取り主が不在のときにはどうなりますか?」
弟子は、こう答えます。
「私の贈りものは、私に戻ってきます」
そして、釈迦は言うのです。
「気持ちとは、そういうものです」
この話は、実に深い意味を持っています。
この送ったものが、「愛」であるなら、
例え、相手に届かなくても「愛」を送った自分に、人としての喜びを見いだせます。
これが「憎しみ」であったならば、送り返されてきた自分の「憎しみ」で、
更に、強い憎しみをつくります。
「愛」は「愛」を呼ぶ。
「憎しみ」は「憎しみ」を呼ぶ。
どこに呼んでいるのでしょう。
自分に呼んでいるのです。
「憎しみ」「恨み」を持つことは、
自分の人生の邪魔を、自分がしているだけ。
「愛」を持つことは、
自分の人生に喜びを与えるもの。
と、いう話でした。
すべては自分次第ですからね。
これは、「愛」と「恋」の違いにも、似た例えがありますよね。
「恋」には、いつか見返りを求める「所有欲」が生まれるが、
「愛」には、それがない。
だから、「愛」は、万人に愛される。
何だか、心が歌詞モードに入ってきました。
ASKA(2018/5/09 17:54)