再会。

もう3日前か。

30年ぶり近くかなぁ。最近、たどり辿って、僕のところへ、連絡をくれた先輩ミュージシャンがいました。僕らの世代では、そうだなぁ・・・知らない人はいないだろうな。バンド名は、知っていても、その中のミュージシャン名は、ファンの方以外は、あまり知られることがないのが、バンドなのですが、その人は、ひときわ有名だったな。

 

ツイストのドラム「ふとがね金太」さんでした。世良公則さん率いる「ツイスト」の人気は、当時すざましく、女性からは圧倒的指示を受けていまして、男性ファンも多かったですね。そのツイストのリーダー「ふとがね金太」さんは、福岡の北九州の出身でもありましたし、僕たち福岡のアマチュアは、勝手に同郷意識を抱いていました。デビュー後、YAMAHAの食堂で一緒になっても、緊張しっぱなしでしたね。そんな雰囲気を察してくれて、まだアマチュア色いっぱいの僕らに、金太さんの方から声をかけてくれました。

 

チャゲ&飛鳥やろ?」

「あ、はいっ!!」

「『ひとり咲き』聴いたよ。イイ曲やねぇ!!」

「ありがとうございます!!」

「これからYAMAHAを次に支えていくのは、お前たちやねぇ。」

「・・・?」

「いや、そんくらいイイ曲ちゅうことよ。」

 

それがきっかけで、ツイストとお話ができるようになりました。思えば、初めて声をかけてくれた先輩でした。間も無く、福岡で、ツイストのライブがありましたので、見に行かせてもらいました。女性の悲鳴にも似た声が、ライブ中、こだましっぱなしで、曲のイントロごと、それは山のように膨れ上がるわけです。

 

僕もツイストのアルバムを持っていましたので、ほとんどの曲は知っていました。おそらく、ツイストのデビューアルバムの曲は、全曲、今でも歌えるな。

 

ライブ終了後、楽屋に挨拶に行った時、

 

「〇〇ホテルやから、一緒にメシ食おう!」

 

なんで、あんなに迎えてくれたんだろう?後輩だから?いや、そうじゃない。

すでに同士のような気持ちでいてくれていたのかもしれません。

 

その後、僕は、「金太さん」から「金ちゃん」と、呼ぶようになり、金ちゃんが福岡へ帰ってくることがわかると、空港まで迎えに行ったりしていました。

 

まだ、僕らは現役の大学生でしたので、福岡に住んでいたのです。

実家にも来てくれて、両親にも、金ちゃんそのもので温かく接してくれました。

 

その夜は、金ちゃんの地元まで、車で送りました。北九州までは、1時間ちょっと。「事故など起こしてはならない」と、緊張いっぱいの運転だったですよ。

 

初めてディスコというものに、連れて行ってもらったのも、その夜です。

 

あの頃、ツイストは、それまでのYAMAHAとアーティストの関わりを、次々に変えて行った存在でした。楽器などもそうでしたね。

 

YAMAHAに所属していながら、YAMAHAの楽器を買うのに、社員割引はないだろ?アーティストは、もっと優遇されるべきだ。」

 

間も無く、アーティスト価格なるものが設定され、まだ、新人でお金の無かったアーティストたちにとっては、偉大な先輩でした。

 

僕たちの、千葉で行われたライブを観に来てくれたあの日のことを、よく覚えています。ライブ後、楽屋に顔を出してくれた金ちゃんの第一声は、ライブの感想ではなく、僕の歌唱法でした。

 

「あれ、どうやって声を出してる?」

 

僕が「ミックスボイス」を覚えたての頃でした。ミックスボイスとは、裏声を表声で発声する歌唱法です。おそらく日本の歌手では、僕が初めてだったと思います。「ミックスボイス」などという言葉は、当時、まだなく、

 

「欧米の歌手は、いったいどうやってああいう声を出してるんだろうな?」

 

などと、ボーカリストの間では、言われている頃でしたので。

 

僕は、勉強したわけでも、トレーニングしたわけでもなく、ツアー中、風邪をひいた時、喉を庇いながらも精一杯声を出していたリハーサル中に、突然会得した歌唱法でした。風邪をひいてるにもかかわらず、いつもより、2音くらいまで、楽々と歌えたのです。

 

「なんだ?これは?」

 

リハーサル後、本番までの間、その歌唱法を忘れぬよう、ずっと声を出していましたね。もちろん本番では、上手くいきました。本来、シャウトしなければ出ない音域まで、楽に声が出るわけですから、ライブ後の体力の消耗が少ないのです。

 

その夜は、その歌唱法を忘れぬよう、真夜中に何度も起きては声を出し、翌日も、その歌唱法でステージを終え、そして、今に至ります。

 

あの頃、たくさんのボーカリストたちから、

 

「どうやって声を出してるの?」

 

と、質問されましたが、偶然覚えた歌唱法でしたので、どうにも説明ができなく、

 

「女性が、キャー!って悲鳴をあげるでしょ?あの悲鳴で歌う感じ。」

 

こう説明することしかできませんでした。

 

その後、数年経って、数人がその歌唱法をやり始めました。それがミックスボイスと呼ばれ、欧米のアーティストがやっている歌唱法だと知りました。

 

「どうやって声を出してる?」

 

こう質問してくれた最初のミュージシャンが金ちゃんなのでした。

 

その後、ツイストは、YAMAHAから独立し、個人事務所を設立しました。

僕らがYAMAHAから離れ「REAL CAST」という、個人事務所を設立した、その勇気とも取れる行動は、ツイストが影響していました。

 

その後も、金ちゃんは、野球に声をかけてくれたりしていましたが、いつの間にか連絡を交わすことも少なくなり、連絡先もわからなくなってしまっていました。

 

僕の事件後、最近、

 

「金ちゃんが、ASKAは元気だろうか?連絡を取りたい。」

 

と、言ってくれているのを知り、先日、30年ぶりにお話することができました。

そして、3日前に訪ねてきてくれたのです。

 

僕は、玄関で、

 

「ご心配おかけいたしました!」

「いーや、いや、元気そうでよかったぁ!」

 

それから2時間くらい、いろんな話をしたかなぁ。僕が、今考えていることに、深く同調してくれ、やれる人がやれるときに、やるべきだと。

 

その最中に、福岡のシンガーであり、市議会議員さんでもある、先輩ミュージシャン「岩切みきよし」さんが、訪ねて来てくれ、三人で、金ちゃんの先輩が経営している博多料理の店に流れました。

 

先ほど、金ちゃんからいただいた、金ちゃんのアルバム2枚を聴き終えたところです。

 

「オレは、ASKAのような、データでの音づくりはやらないから。どっちかというと、せーの!の1発録りだから。」

 

本当に、そう感じましたね。声は、何も変わっていない。金ちゃんは、ツイストではドラムでしたが、元々、高校生の時から、シンガーソングライターで、名前を売っている人でしたので、歌は本物です。年齢を重ね、音楽を楽しむ音作りを目指されているのが、しっかりと伝わって来ました。ツイストのファーストアルバムの中に「夜明けの恋」と、いう曲がありました。アマチュアの時に、よく歌っていました。とてもポップスしていまして、歌を歌っている者が、心地いいんですよね。この曲「ふとがね金太 作詞作曲」なのです。作曲をする上で、欠かせないのは「ツボ」です。作り慣れている人の曲には、これが必ずあります。

金ちゃんは、もう当時から、この「ツボ」を知っていたのですね。僕が、これを、そう感じることができるようになったのは、デビュー後、ずいぶん経ってのことでしたから。

 

あの当時と、何にも変わらない先輩でした。金ちゃんでした。人として、とても尊敬しています。事件がなければ、こういう再会はなかったんだろうなぁ。

 

あの時、ディスコでは、僕は北九州の友人らを大勢誘ってしまい、金ちゃんに奢らせてしまいましたので、今回は、お返しにと思っていましたが、店を出るときには、もう、金ちゃんが会計を済ませていました。また、先輩されてしまいました。

 

このように、最近、ぐっと近くなったミュージシャンが多いのです。

みんなに、心配かけちゃったんだよな・・・。

 

今僕は、僕にできることは、なんでもやらせていただきたいと、

心から思っています。

 

今年も、後3ヶ月。

 

3つのステージに、飛び入りで歌わせていただくかもしれません。

ちゃんと、その後の報告をさせていただきますね。

 

もう、4時か・・・。

眠れなくなったぞ。

 

目の前で回ってる「浮く地球儀」。

これ、一日何回、回ってるんだろな・・。

 

 

ASKA