先日の試合を「YouTube」に、アップしてくれたんですね。
コメントも読ませていただきました。
剣道経験者から、僕の、
「所作」
「残心」
に、ついて書かれてありました。
「所作」につきましては、3戦目の足首を痛めてしまったことからだと思います。
自分で見ていても、「凛」としては見えませんでした。
たくさんの方が観戦されていましたので、
皆さんにご心配をおかけしないよう、頑張ったつもりでしたが、
やはり、右足を庇いながらの所作は、試合を決めた後、開始線に戻り、蹲踞(そんきょ)するまで、
綺麗な姿とは言えませんね。
「アドレナリン」というものは、すごいもので、試合中は、痛みがほぼ消えます。
勝ちが決まった瞬間に、ホっとしたんでしょうね。
突然、痛みに襲われ、開始線に戻るところからは、剣士の姿を無くしています。
そして、痛みにより、僕は「タイム」をかけました。
それは、認められる行為です。
そして、「タイム」が認められた後、相手は、蹲踞しました。
僕は、蹲踞を途中で止め、後ろに下がりました。
それを観ていた方からは、相手の所作の方が武士道に添った仕草と映ったことでしょう。
しかし、あのような場合は、立ったまま、竹刀を収めるルールとなっています。
昔は「蹲踞」してから、開始線を離れました。
ルールが変わったんですね。
僕は、瞬時に、それを思い出しましたので、蹲踞しそうになった体制を元に戻しました。
蹲踞した相手の剣士も、「リバ剣士」であったことが、あの光景からわかりましたね。
また、
試合中倒れた相手には、審判が「止め!」を発するまで、1本打っていいんですよね。
僕は、しばらく打たず、剣先を向け、1本にはならない判断をして1本「メン」を打ちましたが、
最近、学生の試合でも、相手に手を差し出す姿が見られますので、
もしかしたら、今では、打ってはならないルールに変わっているのかもしれませんが、
審判が反則を取らなかったということはルール改正ではなく、傾向なのかもしれません。
相手の方が「五段」とは存じあげませんでした。
確かに、反省すべき点でしたね。
また、「残心」に関しましては、「残心」がなくては1本にはなりません。
3本の旗が上がったということは、「気」に「残心」が込められていたのだと思っています。
これは、剣士のスタイルです。
旗が上がった後、これ見よがしに、相手に剣を向けることは、僕はしません。
「どうだ!参ったか!!」
これは、返って失礼ですからね。
また、コメントには「反則」という言葉がありました。
実は、福岡の剣道仲間からも、
「なぜ、反則を取られたのか?」
と、いう質問がきました。
実は、丁寧に編集をしていただいた方に、まず感謝を述べておきますね。
時間のかかる作業だったでしょう。
実は、その編集には映っていなかったのですが、
あの反則は僕にではなく、相手剣士の反則でした。
「つばぜり合い」において、僕は、常に攻撃を試みました。
「引き技」です。
相手剣士は、その僕の「引き技」を警戒し、
僕に「引き技」を打たせてくれなかったのです。
僕が、何度も相手を押すシーンがありますが、あれは、相手が僕から離れようとしなかったからです。
2戦目以外では、そうのようなシーンはなかったでしょう?
離れずとも、攻撃の機会を伺ってのことならば問題ありません。
ボクシングでいうところの「クリンチ逃れ」ですね。
接近戦で、相手に打たれないよう相手にもたれかかって、その攻撃をデフェンスする手法です。
それがレフェリーの目で、目に余るようになると、注意、反則になります。
昔の剣道では、その行為は「反則」にはなりませんでした。
現在では、審判3人が集まって「合議」が行われ、主審の下「反則」が言い渡されます。
あれは、僕に対して下された反則ではありませんでした。
しかし、あのように剣道経験者、そして現役の方が、
今回の、試合に興味を持ってくださったことは、幸せですし、そのご指導からの言葉には、
感謝をしたします。
いよいよ、明日ですね。
諸先生方からも激励の言葉を、たくさんいただいています。
「勝負は勝つこと」
これが、試合においては一番です。
それを踏まえて、しっかりとした剣道で挑みます。