今日の僕の朝は、格段、晴れやか。
昨日の「札幌公演」の大成功後の食事会では、
みんな今回のライブの手応えをしっかり感じていまして、
出来ることならば、ずーっと「追加公演」を続けたいと盛り上がりました。
メンバーとホールの押さえができるものならば、
「本公演」より「追加公演」の本数が3倍も4倍にもなっていいじゃないかと。
それだけ、みんなが楽しんでいます。
「ステージ上が楽しくなければ、お客さんを楽しませることなんてできない」
もう、そんなことを心に命じなくとも、
今回のライブは、それを「無心」でやれています。
先ほど、起きました。
ものすごい睡眠時間・・・。
ホテルのカーテンを開けましたら、札幌の中心街ではない景色が広がっていました。
初めて「パノラマ撮影」をやってみましたよ。
手前は、語らずとも「線路」ですね。
僕のふるさと福岡の「春日原(かすがばる)駅」は、
本来なら、後2年くらいで「高架工事」が完了する予定でしたが、
工事中「遺跡」が発掘され、更に4年工期が延びそうです。
「遺跡」か・・・。
しょうがないよね。
昨日は、母が他界して丸三年でした。
父は、「春日原駅」が完成するのを、
「生きてるうちに見られるかなぁ」と、よく言います。
昨年90歳になりました。
工期が、更に4年延びたことで、更にその感情が高まっているようです。
そんな父は90歳にして、今年5月、剣道「八段」を受験します。
ここでは、その剣道界最高峰の「八段」の難しさをお伝えしてきました。
1000人受験しても、合格者は2,3人ですからね。
過去、剣道界では92歳にして受験された方がいらっしゃいました。
90歳の父は、今でも家の1階2階を、難なく毎日上り下りしますので、
体力的には、全然90歳を感じさせません。
昨年、車庫のシャッターで指を1本潰してしまった父ですが、
その後の稽古により、失った右手中指を、今では、脳がちゃんと10本に錯覚しているようで、以前の動きに戻っています。
高齢者全国剣道大会(年齢別)では、過去7回優勝しています。
今年も出場するでしょう。
僕が、父の動きを見ている限り8回目の優勝はありえますね。
剣道界の記録を、また更新するでしょう。
ただ「八段取得」は、まったく別物です。
試合の勝ち負けではなく、剣道が「八段」でなくてはならない。
父の年齢を考えますと「無謀な挑戦」ですが、
高齢化社会においては、老人に勇気を与える「希望の挑戦」であることは間違いありません。
今、父の「八段への挑戦」のドキュメントに、いくつかのメディアが動き始めています。
「ASKAの父」としてではなく「90歳剣士、八段への挑戦」に対してです。
父は、メディアへの露出を頑なに拒否していますが、
僕は、一剣士として、日本人として、高齢化社会に「夢と勇気と希望」を共有させることのできる存在となって欲しいとの思いで「父の頑な」を、一生懸命柔らかくしているところです。
ぜひ、父を口説き落としてもらいたいですね。
父は、
「合格するなど思ってもいない。我が剣道人生の思い出として受験する」
と、言っています。
正直な気持ちだと思います。
常日頃、
「剣道は精神の鍛錬のための修行。しかし、試合は出るからには勝たなくては意味がない」
と、言っています。
僕も、それを受け継いでいます。
昨日、恩師「尾崎先生」と、「栄花直輝八段」が、ライブに来てくれました。
「栄花八段」は、剣道界のスーパースター選手です。
「栄花八段」は、自分の立場を鑑み、「自制」を重んじ、
これまで5年間、僕と会うことは難しかった。
当然です。
痛いほど受け止めることができる「当然」でした。
昨日、僕の「今」を観に来てくれたんですね。
ライブ終了後、「まんまの笑顔」で握手を交わしました。
「栄花八段」は、父の「八段受験」を、
「お父様なら、十分チャンスはあります」
と、言ってくれたんですよね。
父には、その言葉を伝えました。
父は、「栄花八段」を、
「剣道界で、最も美しく強い剣士」
だと、常日頃語っています。
そんな剣士から、そんな言葉をもらったのです。
「父よ、なんぢの挑戦を、思ひ出ばかりにすべからぬ」
です。
13日の「鏡開き」「初稽古」では、
「栄花八段」に、久しぶりに稽古をつけてもらいます。
過去を消すことはできません。
しかし、前を見て歩くことで過去が遠ざかっていくことも確かです。
今日迎えた札幌の朝は、
僕にとって、格段、晴れやかです。
今日は、これから、会報来月号の「散文詩」を書きます。