言葉足らずでした。

「伐採において、環境破壊はそれほどない」

 

とは、人間生活においてでした。

突き詰めると、動物が人里に向かってくることになりますので、人間生活にも影響はありますね。

 

僕は、CO2との兼ね合いについて書いたつもりでしたが、配慮が足りませんでした。

 

申し訳ありません。

 

いづれにせよ、どんな環境破壊においても、

生命体は、その時その時を生き抜いて行きます。

 

なぜか?

 

死なないためです。

 

命の終焉は必ずあります。

そこには、砂漠というものが待っています。

 

僕たちの文明は、4回目とも、5回目とも言われています。

 

恐竜時代に、人間の足跡が発見されています。

科学は、それを認めません。

 

認めると、すべてが根底から崩れてしまうからです。

 

検証できたことだけを事実と認識しています。

また、僕たちは、そう植えつけられてきました。

 

僕たちの周りは、解明できないことだらけです。

たった1万年前のことでさえ、わからないのですから。

 

想像は、常に科学の先にいます。

 

ASKA

 

 

あれっ?7980円になってる・・・。

amazonにおいて、

先ほどは、6300円だったのですが・・・。

 

その値段のものは、売り切れになったのですね。

 

みなさん、早っ?!

 

海外のサイトでは、もっと安く買えます。

配送までの日にちはかかりますが、それでも安い方がいいでしょう?

 

そちらをお勧めします。

 

せ・・・?

宣伝・・・じゃん・・・。

 

ASKA

2008年ごろだったでしょうか・・・。

その頃、僕は、地震のことばかりを考えていました。

心のどこかに、

 

「とんでもない地震が訪れて、嘗てないほどの津波が日本を襲う」

 

と、方々に語っていたのです。

会報などでも、何度もお伝えしていました。

 

「とにかく、非常食だけは用意しておいてください。」

 

と。

 

日本を牽引するベンチャー企業の方々の前でも、力説をしたことがあります。

 

「海岸の防風林の強化をお願いいたします。間隔に広さのある松では防げません。竹のようにしなりのある木を堤防のように埋めつくしてください。竹は、約1年で成木になります。津波が民家を襲う時間を遅らせることができます。」

 

おおよそ、この考えは間違いではありませんでしたが、竹などでは、到底凌ぐことのできない津波が東北を襲いました。

 

みなさん、「桃ノ木」にたくさんコメントをしていただきました。

 

植物の生命力は、とてつもなく強いですね。

 

世界で緑化運動が高まっていますが、世界の二酸化炭素のコントロールには、実のところ、あまり大きな意味を成さないと思っています。

 

植物も一生懸命に生きています。世界の植物が、いたるところに広がれば、CO2は軽減できると考えがちですが、そうではないでしょう。

 

植物が、世界に密生すると、CO2を吸う量は少なくなるはずです。逆に、植物が少なければ、CO2を吸う量が多くなる。

それだけです。

 

自分たちが生きてゆくための、空気中の成分をコントロールします。なので、植物が多くても少なくても、自分たちが生息しやすいように、一定の成分を守るための運動をします。

 

もっとも、多すぎても、少なすぎてもいけませんが・・・。

 

「伐採によって環境が破壊」と、危機を訴えていますが、実のところ、まだまだ、それほど影響はないというのが僕の持論です。

 

みんさん、ご存知のように、僕はSFが好きです。

建造物は、人が住む、または使うことによって長持ちをします。

不思議ですよね。使わない方が長持ちしそうですが、そうではないようです。

 

この地球から人が居なくなると、建造物はたちまち崩壊していきます。あっと言う間に、植物が地球を覆ってしまいます。

植物の生命力は、とんでもなく強いのです。

 

みなさんに、お見せしたい動画があったのですが、見つかりませんでした。

 

「人が、この地球から居なくなると」

 

と、いうようなタイトルでした。

代わりに、これを見つけました。

 

「日本の ドキュメンタリー人類滅亡シミュレーション、人が居なくなったら地球はどうなるのか」

 

「人類滅亡」は、置いといて、

 

人が居なくなったら地球はどうなるのか」

 

ここに、話の焦点を合わせてください。

植物の生命力には、目を見張るものがあります。

 

ASKA

 

 

 

 

 

 

ぴあ&ASKA

2012年10月16日。

「ぴあ&ASKA」が、発売されました。

 

その中に、スタッフの証言で

 

ASKAは女性にモテル、ハンドクリームを持っている」

 

と、いうのがありました。

 

実は、本当なんです。

それは、実はシェービングクリームなのですが、たまらなくイイ匂いでありまして、僕は、それをハンドクリームにして使っています。

 

とにかく、モテます。

 

100%近く、

 

ASKAさん、何をお使いですか?」

 

と、聞かれます。

爽やかで、どこかエロイ香りなんです。

 

化粧品は、いつ、なくなるかもわかりませんので、僕は、いつも切らさないようにまとめ買いをしています。

 

男性のみなさん、こんなに即戦力はありません。

とにかく、オススメです。

 

シャネル エゴイスト プラチナム アフターシェーブエマルジョン 6000円強

 

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これをつけて街を歩けば、100人近くの女性があなたの後ろに、列をなしていること間違いなしです。

 

せ、宣伝・・・?

 

いえ、日常。にちじょートークです。

GOぉーーー!!!

 

ASKA

桃ノ木。

その木は、庭の隅に立っています。

隣人との境界線である塀のこちら側で、奇麗な枝を伸ばしています。

その木が幼木であったころは、すまさそうに立っていたのです。

 

そのはずです。

家族4人は、当初、その存在に気づいてなかったからです。

誰も植樹したものはいませんでした。

 

その木が「桃ノ木」だと、気づいたのは、もうずいぶん大きくなってからのことでした。

 

家族は、みな、不思議がっていたのです。

「桃ノ木」が、自然に生えるなんてことはありえないからです。

 

ある日、僕は気がつきました。

 

その日、テラス側の戸をあけ、庭を眺めていました。

小脇に「さくらんぼ」の入ったお皿をおいて。

 

自分の行為で気がついたのです。

僕は、食べ終わった「さくらんぼ」の種を、庭に投げていました。

 

そうなんです。

 

その昔、同じことをやりました。

食べ終わった桃の種を庭に投げたことがあるのです。

 

「どうせ、この種は土に帰るんだ」

 

そんなことを思っていました。

確か、桃の種を庭に投げたのは、雨が降っていた日だったのです。

 

その投げられた種は、雨に打たれ、少しずつ土中に入っていったのですね。

そして、人知れず根を張り、自分の生きる場所を確保したのです。

 

25年ほど前に、実家は建て直しをしました。

そこで、話題になったのは、その「桃ノ木」を、どうするかということでした。

 

なぜだか、それを切ってしまうことも、他に移すことも考えられなかったのです。

その生命力に目映さも、儚さも感じたからでしょう。

 

新築した家は、その「桃ノ木」と、古井戸を避けるように建てられました。

 

「桃ノ木」は、毎年、実を結びます。

その実は、僕らの口に入ることはなく、野鳥が予約していたかのように、啄んで行きます。

 

その昔、人知れず、すまなそうに立っていた「桃ノ木」ですが、

今では、家族の一員のように、堂々としています。

 

人は、順番に命をつないで行きます。

やがて、父も、この世から居なくなるでしょう。

 

僕も妹も、この家を離れましたので、

いつかは、この土地も他人のものになるでしょう。

 

ふと、考えるのです。

 

この土地を手にすることになる人へ。

 

この「桃ノ木」は、残していただきたいなと。

 

僕たち、家族の想いです。

 

ASKA

ただ今、熊本から帰って参りました。

以前、紹介させていただいた、熊本のデザイナーの西本さんが監修をしている写真家やデザイナーの集まり「遊美塾」(ゆうびじゅく)ですが、そこの、生徒さんが発表する作品の個展を観に行ってきました。18日から26日まで、ホテル熊本テルサで行われています。

 

1月に撮影した僕の写真も、西本マジックでグラフィック処理され、作品になり、展示してありました。

 

「人間の目は、写さなくてもいいものまで写してしまう。写真は、切り取られた世界なので、余計なものは写さない。」

 

写真に対する西本さんの考えが、述べられていました。

そうですよね。作品です。必要なものだけで、ひとつの世界を表してゆく。

 

音楽もそうです。

楽曲は「何が言いたいか」「何を表現したいか」「何を、どう伝えたいか」・・・。

それだけです。

 

作品と呼べるものは、たとえ種類が違っても、表現したいことは同じです。

 

今日観た生徒さんの作品には、力があり、こんなところに、こういう人たちがいるのだなと思わされました。

 

西本喜美子(西本さんのお母様)さんの作品も、しっかり展示してありましたよ。88歳で、写真、そしてそれを加工する楽しみを謳歌されています。

 

お母様は、春過ぎに、とうとう東京銀座の三越で、個展を開くことになったそうです。

魔女にふんしたお母様が、ほうきに股がって空中に浮いてる写真が印象的だったですね。すべてひとりで作りあげたものです。

 

僕は、福岡の音楽仲間4人を連れて行きました。

 

すでにお母様は、全国区で有名になられているので、仲間はお母様にお願いし、一緒に写真を撮ってもらったりしていました。

 

良い光景でした。

 

それから、21時近くまで「遊美塾」のすぐ側にある焼き鳥屋さんで、打ち上げをやり、今帰ってきたところです。

 

地震の影響で、街中には、まだまだブルーシートに囲まれた建物が目立ちましたが、元気な熊本を再度見せつけられた感じでした。

 

明日を見据えた人間は、本当に強い。

昨日を糧に明日を見る。

 

作品とは、そうありたいものです。

 

ASKA

 

 

おはよう☂

しとしと降る雨をガラス越しに眺めていましたら、自分の息でガラス窓がくもり、一面が雪景色になったような錯覚を覚えました。

 

外界から遮断された部屋に居るような気持ちにもなったんですね。

 

あの部屋を思い出しました。

 

それは、中学生の時に、友人から連れられて、初めてアルバイトというものをやった時のあの部屋です。

 

冷凍室です。

肉屋のアルバイトだったんです。

 

中学生の僕が、なぜ、その冷凍室に入っていたのかの記憶はありません。そこは、マイナス30度の世界でした。

3時間ほどの間に15分ほど。毎日、2回ほど入ってたかな・・・。

 

時間給は70円でした。

あの頃、すでに社会でお金をもらうことは、大変なことだという思いが刷り込まれました。

 

高校生3年生になると、毎週土曜日に材木屋でアルバイトをしていました。ベニヤ板の上に引かれた線のとおりに切っていくのです。

切ったベニヤが、ある程度の枚数になると、それを指定された場所に運び、積み上げていきます。

昼の3時から7時まで。日当は2500円でした。

 

この2500円が、たまらなく魅力的だったんです。

土曜日の夜に、毎週、一枚ずつ宝が増えて行きました。

宝とは、LPレコードのことです。当時、アルバムは2000円だったかな?2500円だったかな?あれ?記憶が曖昧です・・・。

 

購入日に、お目当ての歌手の新譜が出ていれば、即買いでしたが、そうでないときは、いつも30分ほど迷っていました。

その日に店内で流れていた音楽に反応して、アルバムを買った覚えが、何度もあります。

なので、店内で流してもらうことの大切さを、よく知っています。

 

今のように、試聴機などありませんでしたからね。

 

僕は、アルバムの曲順に、大きな拘りを持っています。

1曲目から3~4曲目までが大切だと。

 

特に、1曲目は大いに悩みます。

どのアルバムもそうですが、いちばん聴かれることになる曲なのですから。そして、冒頭から数曲の間で、そのアルバムの色を伝えられることができる曲を並べています。

いわば、興味を持っていただける曲、そしてアルバムの色、インパクトも持続性も兼ね備えている曲。

 

今も昔もそうですが、試聴機であれ、まず人は1曲目から聴くものです。1曲目の仕事は重大です。そして2曲目、3曲目・・・。

入り口で興味を持っていただく。それがアルバムの印象となります。

 

今回のアルバム「Too many people」は、長く聴いていただけるアルバムになると思っています。

 

ここ数年のできごとにより、僕に対して拒絶感を抱かれたリスナーに「いつか聴いてみよう」という気持ちの変化が生まれてくれたらイイなと。

その情報が、口コミにより、リスナーのもとへたどり着くことがベストだなと思っています。

 

今朝、連絡がありました。

2月22日発売のアルバムでしたが、ここに来て、全国の試聴機において、試聴回数が1位であると。

興味を持ってくれているリスナーが、日々増えていることは喜びです。

 

どこかしらで、聴いてみようという気持ちになる情報が広がっている。

 

いちばん望んでいたことです。

いつ、自分の手元に置いておきたいという気持ちになってくれるのかは分かりません。

 

アルバムをリリースしたことを知ってもらえてる。

これだけで、今は十分です。

 

ありがとう。

 

ASKA

遅れてきた天才。

村上啓介氏のライブに行ってきました。

 

僕の中での、天才作曲家のひとりです。

 

10数年ぶりだったなぁ。

本当に、元気な、色気のあるライブでした。

 

僕が来ているのを知らないで、僕の話をしていました。

公開、うわさ話。

 

途中で気づいてくれ、ステージに上げられ、

ふたりで「オンリーロンリー」を歌いました。

アンコールは「YAH YAH YAH」で。

 

その後、話が盛り上がり、東京に戻ったら一緒にスタジオに入ろうと。

 

あの人は、30代後半で、初めて作曲を始めたのですが、

ああいう人を「遅れてきた天才」と、言うのでしょう。

 

まぁ、天才力は半端ないです。

僕も、あの人には、ずいぶん影響を受けましたからね。

 

みなさんに、楽しい報告ができるような関係でいましょうと、

抱き合って、別れてきました。

 

垣根のない状態は、本当に素晴らしい。自由です。

また「GUYS」のような楽曲を、世間に放ちたいなと。

 

次のアルバムでは「村上啓介」の名前が、クレジットされるかもしれません。

 

ラーメンが、もたれています・・・。

 

ASKA

みなさん。

そんなに心配されなくても大丈夫ですよ。

バランスを取りながら書いています。

 

一見、みなさんに書いているようで、

そうではないのもありますから。

 

僕の出方は、決めています。

殺人には時効がありません。

 

さて、彼たちが、どう繕うか・・・。

動けば、動く人たちがいます。

 

マスコミでこれに気がつく人はいないでしょう。

妄想と書きなぐったものが、真実であったとき、そのときに僕の筆は強いものと化します。

 

しばらく、様子を見ていましょう。

後は、世間の審判を待つだけです。

 

ASKA

 

 

 

もう、一線は退いたようですが・・・。

「7つの罰やでちゅーたど」

 

「七つの罰だと、言っただろ」

 

こういうタイトルの服を売っている人物がいます。

 

「途中で」を逆から読むと「で、ちゅうたど」と、なります。

 

僕が、これに気がつくとは思わなかったのでしょう。

 

みなさんが、読み方から彼を特定したとして、

もし、彼が「名誉毀損」で、訴えてきたとすれば、それは本当に面白い話になります。

 

ネット界に暗躍する集団を、根こそぎ晒し出すことができます。

 

「良いことをやっている」とは、大儀名分であって、

殺人集団化していることは、自分たちも知っているはずです。

 

もう、引っ込みがつかないのでしょう。

 

「自分たちが面白ければ、人が死んでもかまわない」

 

これは、世の中にはとおりません。

 

ASKA

これが「ぎなた読み」です。

下に書かれてある文章は、僕が監視しているTwitter上のものです。

先日より、暴れ方が顕著になってまいりました。

 

こうやって追いつめてくるのですが、僕は、別にびくともしません。

いつまでやってんだ!という感じです。

 

これをやられ続けて、死んで行く人もいるのです。

 

これを「ほのめかし」と、言います。

3年前は、苦しみましたが、今は、どうってことありません。

今、彼たちは「見えていない」「聞こえていない」のです。

想像で、追いつめて行くというやり方です。

偶々? 思い違い? 

と、思われがちです。彼たちの狙いです。

 

しかし、それが20個も30個も続けば、そうは言えません。

「ハイリングテンプル」の、ある店ではこれのオンパレードです。

僕は「ミー公」「YHA公」「Shi公」「A公」を筆頭に、数えられないくらいの名前を付けられています。

こういうのは、本人がいちばん敏感なので、自分のことであるという確信があります。

下の文章が、写真で貼付けられていました。

なので、検索をしても、みなさんはたどりつきません。

 

権藤博コーチ(剣道ヒーローSHI攻防戦)

 

・教えすぎるな(おーし!A過ぎるな)

・部下を管理する(A公を狩り乗り過ぎる)

・結果を求めすぎる(「糸」「士」「口」→しとろうが!お灸!×過ぎる)

 

実は、これ以上の読み方があるのですが、分かり易くするために、80%ぐらいの解説にしました。

 

相手は「勘違いだよ」と、いう逃げ道を作っていますが、

では、これは?これは?じゃぁ、これは?

と、こちらが追いつめていけば、必ず、逃げられなくなるのです。

とにかく、それを言いたいがための文章なので、読んでいて繋がらないこと満載です。

 

ひとりの人間が書いているのであれば、個性と言えるでしょうが、そこに書き込んでいる全員が、同じ個性であるはずがありません。

言葉の表現には、あるルールがあるのです。

そのルールに乗っ取って書き込み、または文章を書いていますので、読んでいると、ある種異様な世界です。

 

これは「ぎなた読み」と、言います。

文字の区切り目を変えて読むのです。

「弁慶がなぎなたを持って」と、いうのを、

「弁慶がな、ぎなたを持って」と、読み間違えたことから、

ぎなた読み」と、言われるようになりました。

 

「め」=「メ」=「×」

「ー」=「引く」とも「棒」とも「某」とも、読みます。

「が」=「か」+「こ」なので「過去」とも「狩り」とも「勝つ」とも「買い」他・・・。

前後の文脈によって、その時々で読み方が決まります。

これを、現代において誰が始めたかも分かっています。

その人は「◯ーカ」と、いう人物でしたが、

「これをやり過ぎて、日常生活に支障がでてきてしまったので、私は、今日より、これを止めます。」

と、宣言しておりました。

 

確かに、僕もそうですが、これに馴れ過ぎると、まともに文章を読めなくなってしまいます。

 

この「ぎなた読み」を、秘密裏に紹介しているサイトも見つけました。全ページの保存に成功しています。

 

僕の理解を超える読み方もあります。難解で、読めないものもあるのですが、説明されると「なるほどな」と、納得できます。

 

これを使い、ターゲットを追いつめて行くのです。

 

モンハンゲームを勘違いしたのではないか?

などと、ご苦労な推理をされてしまいましたが、そんな分かり易いことに、6年以上も気がつかないはずないでしょう?

 

彼たちがモンハン用語を使っているだけです。

なぜ?

 

隠れ蓑です。

 

ASKA

 

 

 

 

開発者から、連絡をいただきました。

ネットでは、たくさん出てくるそうですが、効果のないものが多く出回っているそうです。

 

配合に秘密があるそうです。

 

これは、独自開発をした

 

ヒアルロン酸の「ECME」』

 

と、いう商品だということです。

 

せ、宣伝じゃん・・・。

 

いや、そうではなくてぇ・・・。

 

日常。にちじょー。

 

ASKA

皇潤か?

そう、よくご存知ですね。

皇潤」のヒアルロン酸は、その開発者が開発したものです。

 

別に、宣伝するつもりはないのですが、

みなさん、興味、アリアリでしょ?

 

これは凄い!と、思いましたので、何気ない日常の一言として書かせていただきました。

 

ASKA