桃ノ木。
その木は、庭の隅に立っています。
隣人との境界線である塀のこちら側で、奇麗な枝を伸ばしています。
その木が幼木であったころは、すまさそうに立っていたのです。
そのはずです。
家族4人は、当初、その存在に気づいてなかったからです。
誰も植樹したものはいませんでした。
その木が「桃ノ木」だと、気づいたのは、もうずいぶん大きくなってからのことでした。
家族は、みな、不思議がっていたのです。
「桃ノ木」が、自然に生えるなんてことはありえないからです。
ある日、僕は気がつきました。
その日、テラス側の戸をあけ、庭を眺めていました。
小脇に「さくらんぼ」の入ったお皿をおいて。
自分の行為で気がついたのです。
僕は、食べ終わった「さくらんぼ」の種を、庭に投げていました。
そうなんです。
その昔、同じことをやりました。
食べ終わった桃の種を庭に投げたことがあるのです。
「どうせ、この種は土に帰るんだ」
そんなことを思っていました。
確か、桃の種を庭に投げたのは、雨が降っていた日だったのです。
その投げられた種は、雨に打たれ、少しずつ土中に入っていったのですね。
そして、人知れず根を張り、自分の生きる場所を確保したのです。
25年ほど前に、実家は建て直しをしました。
そこで、話題になったのは、その「桃ノ木」を、どうするかということでした。
なぜだか、それを切ってしまうことも、他に移すことも考えられなかったのです。
その生命力に目映さも、儚さも感じたからでしょう。
新築した家は、その「桃ノ木」と、古井戸を避けるように建てられました。
「桃ノ木」は、毎年、実を結びます。
その実は、僕らの口に入ることはなく、野鳥が予約していたかのように、啄んで行きます。
その昔、人知れず、すまなそうに立っていた「桃ノ木」ですが、
今では、家族の一員のように、堂々としています。
人は、順番に命をつないで行きます。
やがて、父も、この世から居なくなるでしょう。
僕も妹も、この家を離れましたので、
いつかは、この土地も他人のものになるでしょう。
ふと、考えるのです。
この土地を手にすることになる人へ。
この「桃ノ木」は、残していただきたいなと。
僕たち、家族の想いです。