読売巨人(ジャイアンツ)
僕は、福岡生まれ、育ち(12歳から16歳まで北海道)なので、野球と言えば、
「西鉄ライオンズ」
だったわけです。
何度も、父に連れられて、平和台球場へと足を運びました。現在は、福岡と言えば、
ですね。
僕が、球場に連れられていった頃は「神様、仏様、稲尾様」と、言われていた全盛期は過ぎ、いつも負け試合ばかりで、無言の父の横をトボトボと、駅まで歩きました。
稲尾様とは、ライオンズのピッチャーです。この国においての野球史で、必ず語られる存在となっています。僕の生まれた1958年の日本シリーズ(セリーグの優勝チームとパリーグの優勝チームが日本一をかけて戦う)直前に、熱を出してしまった稲尾投手。
その年は、読売巨人(ジャイアンツ)との戦いでした。日本シリーズは7戦ですので、4勝したチームが勝ちとなります。
病み上がり後の稲尾選手は、1戦目では、絶不調。 ◯ ジャイアンツ
2戦目は登場せず、 ◯ ジャイアンツ
3戦目、素晴らしい投球をしたものの、打線が点を取れず、 ◯ ジャイアンツ
この時点で、誰もが、その年の優勝はジャイアンツだと、思うわけです。
そうですよね。ジャイアンツは、残り4戦で、あと1つ勝てばいいのでから。
3戦目で完投した稲尾投手を、翌日の試合で使うことはできません。
ところが、4戦目に雨が降り、翌日にスライドされたのです。
「ライオンズに女神が微笑んだ」と、言われています。
嘘です・・・。
いま、作りました・・・。
オリジナル情報です・・・。
ま、そんな風に言った人もいるのではないかと。
この雨が、全てだったと思います。
「ライオンズに女神が微笑んだ」(すみません)一日をもらった稲尾投手は、
4戦目で投げることになります。
失点は許したものの「ライオンズに女神が微笑んだ」(ホント、すみません)を受けて、シリーズ初勝利を上げます。生まれたばかりの僕でしたが、
「キャッキャ、キャッキャと大歓喜をした」
と、月刊「我、福岡ライヤー」にグラビア巻頭で掲載されました。
そして、第5戦。
9回を迎えた時点で、負けていたライオンズ。試合終了を待たず、関係者がジャイアンツの優勝の準備を始めます。これを、見たライオンズの選手が、怒りの奮起をするのです。9回裏に、同点に持ち込み、試合は延長戦になります。そして、10回。もう負けることのできないライオンズは、後半で稲尾投手を出場させていました。その稲尾投手が、ホームランを打ちます。自ら勝利をもぎ取ったのです(書いてる本人、白熱しています)
もう、皆さん、予想されていると思いますので、
試合内容は割愛。←一気に雑
6戦、7戦と、連日稲尾投手が投げ、ついにジャイアンツを倒します。
勝利の瞬間、僕が立ったことを、「福岡見聞録」Sonnan-アルカイページに記されていますので、皆さんが、福岡へ行かれた際には、図書館に立ち寄ってみてください。
ふー・・・。
覚えていたことと、ずいぶん違ってました。
Netは便利・・・。
どうして、これ、書くことになったんだろ・・・。
あ、それだけ「福岡は地元球団に熱かった」と、いうことと、
「神様、仏様、稲尾様」の説明でした・・・。
で、話は、ここからです。
幼い頃、お風呂に入るときにもラジオを窓際に置き、
野球中継を聞いていた父に、質問したことがありました。
「ライオンズの次に好きなチームはどこか?」
と。
父は、迷わず言いました。
「巨人(ジャイアンツ)が負ければ、どこでもいい。」
このセリフは、幼子にとっても印象的でした。
そして、やがて、この言葉の持つ意味合い、深さに気づくのです。
「巨人が負ければ、どこでもいい。」
これは、裏を返すと「巨人が気になって仕方がない」と、いうことだと。
どうであれ、注目をしているわけです。
よく言いますよね。
「好き」の反対語は「嫌い」ではなく、
「無関心」だと。
先日、書きました、僕の尊敬する人が言ったセリフ
「書かれるぐらいで田舎」
失礼。
「書かれるぐらいでいなきゃ。」
まだまだ、僕は、いろんなところで叱咤、罵詈雑言、批判、攻撃されています。
僕の中には、それに対して反感めいたものはなくなりました。
当然だと受け止めています。
そして、
「みんな、見ててくれてるじゃないか。元気か自分?頑張れ自分。」
生きている限り、未来は訪れます。
いつだって思っていよう。
「ここからだよ」
と。
ありがとう。