生まれつき障害を抱えてる人は?

きっと、こんな質問があると思っていました。

僕も、同じようなことを考えていました。

 

以前、

ダライ・ラマ」の説法を聞きに行ったことがあります。

 

その時でした。会場から、一人の女性が、

 

「とても幸せな一家が、行きずりの殺人に遭うことがあります。それでも、相手を許せというのでしょうか? それでも、すべてに意味があるというのでしょうか?」

 

この質問に対し、「ダライ・ラマ」は、少しの躊躇もありませんでした。

 

「この世は、この世だけで全てが運ばれているわけではありません。生きとし生けるものには、過去生というものがあります。どんな苦しい、どんな悲惨な、またはどんな姿に生まれたとしても、すべては過去、今生、来世につながっています。今生の出来事には来世を司る意味があります。また、それは、その人だけにではなく、その周りの人に与えられたカルマだということです。その人の存在は、周りの人を幸せにしたり、苦しめたり、神の心、邪悪の心をもたらせ、それを全て受け入れながら、ひとりの人間が生きて行く意味となります。今生で全てを語ってはいけません。過去生は現生、現生は来世のための修行です。そして、来世は、また次の来世。罪を犯すものには罪を犯す意味があります。いかなる時でも慈悲の心だけは無くしてはなりません。全てを許す。全てを受け入れる。人が人を罰してはならないということです。」

 

会場には、多くの僧侶が訪れておりましたが、

神の言葉を「ダライ・ラマ」を通して聞いている。

 

そんな光景でした。

 

なので、過去生のカルマを受けて今があるというこことだけではなく、

この現生から始まることもあり、それを耐え生き抜くことで来世が変わるのだと、

僕は解釈をしました。

 

それでも、現生での記憶を無くした来世は、来世だけのもの。

やはり、ここでも、

 

「今を強く生きる」

 

これしかないのだと思います。

 

ASKA

 

 

 

死生観。

こんなにも皆さんの中に死生観が息づいているとは思いませんでした。

これは、僕の持論であり、ある意味悟りといったところでしょうか。

 

この世を去ればあの世。

そして、あの世からこの世。

 

「天国」や「地獄」などというものはありません。

命を返した、いや、借りた身体を返した後には、皆、誰も同じところへ行くだけです。

何をしたか、どう生きたかは、神様が判断するのではなく、すべて自分が知っていることです。

決して嘘はつけません。

 

そして、どう生きたかによって、分かり易く説明すれば、

あの世では、色分けされるのだと思います。

この世でもそうです。

 

同じ色の、また、それに近い人たちが集まる。

そして、生まれてくる時に、どう生きたいか、どうすれば願いを叶えられるところに生まれてくるか。

 

そこが、生まれてくるところです。

なので、これまでステージなどでも語ってきましたが、それを叶えることのできるところを選んでくる。

つまり、親を選んでくるのだと思います。

 

性格は、親に似ているのではなく、同じ色のところを選んでくるので、似て当然です。

 

ソウルメイトという言葉があります。

一緒にこの世を共にする仲間です。

 

すぐ隣にいるのに、親しくなれないのは、ソウルメイトではないからです。

ソウルメイトであれば、北と南に生を受けても、それは遠い距離ではないのです。

知り合う人とは、知り合う。

これが縁だと思っています。

 

では、そういう人だけ知り合うのか?

 

そうではありません。

そこには因果というものがあります。

 

真逆な人でも知り合ってしまう。

これは、避けることができません。

苦しい思いをすることは、真逆のソウルメイトと出くわすからです。

試されているのではありません。

それも、生きる上でのバランスと捉えなくてはならないのでしょう。

 

それは、鍵盤で説明ができてしまいます。

ドレミファソラシド。

これは、Cの音階です。

C(ド)から始まる音階の人同士は、何をやってもうまく行きますし、少々のトラブルがあったとしても、大したトラブルとは思わず、解決ができてしまいます。

 

では、D(レ)から始まる音階の人とはどうでしょうか?

D(レ)の音は、Cのスケールの中に(レ)として、ちゃんと存在します。

(ミ)もあります。しかし、D(レ)から始まる人にとって、(ミ)の音は、Cの人にとって、(ファのシャープ)になります。

Cのスケールには(ファのシャープ)はありません。つまり、ここは合わないということです。

Dの人とは、また、(ソ)と(ラ)で一緒になります。

 

こういう具合に、スケールの中で、使える音がいくつあるかで「気が合う」「気が合わない」の割合が決まってくるのです。

 

Cの人にとって、F#の人は真裏の人と言っていいでしょう。

CとF#の人で使う鍵盤が重なるのは、B(シ)の音だけです。

 

何もかもが、合わないのではなく、お互いに(シ)の音だけは、理解できるのです。

 

すべての人が、理解し合うことはできません。

合わない人とは、何をやっても合わない。

Cの人とF#の人が、お互いに歩み寄っても(シ)しか、合わないのですから。

これはもう、仕方のないこと。

 

それでも、誰にもスケールはあります。

どんな音からでも、ドレミファソラシドはあるのですから。

こう思えばいい。

 

「相手を認める」

 

これを大切にしていれば、歩み寄らずとも、トラブルになることを最小限に抑えることができるのだと思っています。

 

とは言っても、人間生活。

同じ空間にいることを強いられることもあるわけです。

とても難しいことです。

 

そんな歌を作ってます。

今回のアルバムには入りませんでしたが、

次のアルバムには入るのではないでしょうか。

 

ASKA

 

 

 

 

 

今、また福岡です。

こんなにブログ更新の間隔が空いたのは初めてですね。

 

そして、デビュー後こんなに短期間で福岡に帰ることも初めてです。

昨日から帰って来てます。

昨日は、昼から帰る予定だったのですが、

搭乗便の変更、変更、そして乗り遅れで、

やっと到着できたのは20時半を過ぎていました。

 

なので「スーパームーン」は、見ておりません。

残念でしたが、

僕の中の天体ショーは、デビュー間もなく、先輩のNSPのみなさんと、

沖縄から更に南(石垣島からボートで1時間)にある

「あらぐすく」

と、いう島で、草の上にみんなで寝転んで、朝まで眺めた100年に一度の流星群(名前は忘れました)で、ある意味、見納めたという気持ちになっています。

 

それは、それは言葉では説明しがたく、数秒間に1個、星が流れるのです。

朝まで、飽きることはありませんでした。

 

なぜ、夜空、敢えて宇宙と言いますが、宇宙とはあんなにも神秘的でなのでしょう。

きっと、宇宙のどこからか、僕らのことを見ている生命体が存在するのだという気持ちでいっぱいになります。

 

あれを超える天体ショーは、もうありえないと思っていますので、それ以降の、

日食、月食などを含めて、それほど興味が沸かなくなってしまいました。

ホントに素晴らしかったなぁ・・・。

 

人は、死ぬとどこに行くのだろう?

などということを、また考えています。

 

「星になる」

 

これに、多くの疑問は持っていません。

 

ゴリラのCOCOがいます。

COCOは、とても頭が良く、研究家から手話を習いました。

1000以上の言葉を覚え、人間と意志の疎通ができるようになりました。

 

ある日、研究家はCOCOに質問をしました。

 

「死んだら、どうなるの?」

 

COCOは手話で答えました。

 

「死んだら、何もなくなる。暗い洞窟の中に行く。」

 

動物にも死生観はあるのですね。

 

僕は、「人は死んでも生きている」と、思っています。

身体というものを返すだけなのだと思っています。

魂は、永遠です。

 

自分にとって大事な人は、

 

「いつもどこかで自分のことを見ていてくれる。応援していてくれている。」

 

この考えに、間違いはないと信じています。

それでも、答えのないものがあります。

 

人は、死んだらどこに行くのでしょうか?

今、ふるさと福岡でそんなことを考えています。

 

レコーディングは、少し止まったままになっていますが、

まだまだ、大丈夫。

 

東京で、スタジオを貸してくれるところが見つかりました。

感謝です。

 

間もなくです。

そのスタジオで、一気に仕上げようと思っています。

 

ゴールは、見えて来てるのです。

テープが見えれば、光の拍手を、皆さんの声援を、

浴びるように体感したい。

 

お知らせしたいこともあるのですが、

名前を書き込んでいないので、まだ、お伝えできません。

 

行ったり来たりの福岡です。

その中で、報告できる日が訪れるのだと思っています。

 

ASKA

 

 

 

 

福岡から、今戻りました。

日帰りでした。

マスタリングエンジニアと、スケジュールの調整をやってきました。

 

何も手をつけていない3曲の完成日を仮設定し、それから行うミックスダウン。

それが、終わるのが朝になったとしても、そのまま13曲を揃えて、福岡に飛び、

マスタリングの作業に入ります。

 

みなさんには、まだお伝えしていませんが、いえ、お伝えできないことがありまして、それも平行して進めていましたので、来たるべき時に発表させて頂きたいと思います。

C&AでもASKAでも、やっていなかったことです。

 

池に向かって小石を投げ、跳ねる水しぶきを見ようとしているのか。

初めから、たくさんの砂利を握って、池に放り投げようとしているのか。

 

どちらなのか、良くわかりません。

言えることは、

石を投げれば、平たい水面は必ず変化する

 

それが、「吉」なのか「凶」なのか、

これもまたわかりません。

 

「吉」でも「凶」でも、

ひとつの景色が現れます。

 

何もしないと、何も生まれません。

僕の小石は歌です。

どんな水しぶきを上げるのか。

 

これまでは、投げ込んだ時の音で、歩く人を振り向かせていたように思います。

今は、投げ込む姿から見てくれている人たちがいる。

 

これが、僕のブログのあり方のように思えてきました。

 

ASKA

 

 

星の下。

僕は子供の時から、

 

「あいつなら、やってくれるだろ!」

 

と、言われた時には、だいたい失敗します。

その代わり、

 

「絶対無理だよ。諦めろ。」

 

と、言われると、なぜか上手く切り抜けてしまいます。

 

これは、僕に力があるわけではなく、

そういう星の下に、産まれ落ちたようです。

運だけで、ここまで生きて来ましたからね。

本当に、運だけなんです。

 

昨日、連絡が入りました。

アルバムの中から、更に2曲外さなくてはならなくなりました。

そのうちの1曲は、すでにMixを終えていた曲でした。

 

なので、今朝方、

 

11曲のMixが終了いたしました。

 

と、書きましたが、正確には1曲外さなくてはならないため、

現段階では10曲のMixが終わったということになります。

 

出来上がったものを、もう一度1から作りあげる。

自分を奮い立たせて、そこに挑むために気持ちの切り替えを行いましたが、

更に、2曲の追加・・・。

 

今、机の上のスピーカーから、「FUKUOKA」が、流れて来てます。

 

       人生は前後左右 いつも未解決

             誰も同じ

 

そうですね。

人生は、一方向ではなく、

その人の左右もにもあります。

 

いろんなことに囲まれながらの人生です。

何が起きても不思議はない。

 

「死ぬときにわかるよ。」

 

こんな言葉を使うときがありますが、

人生に答えはありません。

「死ぬときにわかるよ」と、言えてしまようなことなら、

知らなくてもいい。

 

誰の人生も、きっと未解決のまま。

 

しかし、答えがあることなら答えは出ます。

後、3曲。

その3曲が無くさなかったものは

詞と曲でした。

 

3曲とも、お似合いの服を着ていたのですが、脱がせましょう。

季節が変わったと教えてあげればいい。

 

もう一度、

On your mark.

です。

 

周りは、口を揃えて言い始めました。

 

「もう、無理なんじゃないか?」

 

いえいえ、

夢の斜面見上げて 行けそうな気がするから。

 

こんな時、僕は思うのです。

「慎重」と「ネガティブ」は、ただの集まりじゃないか。

「大胆」と「ポジティブ」は、惹かれ合った仲間だと。

 

春夏秋冬

 

四つの間仕切りがあります。

今の僕には、

 

「もう、春も終わりですね。」

 

よりも、

 

「もう、夏ですね。」

 

の、方がとても魅力的です。

 

「大胆」に、そして「ポジティブ」に。

 

振り出しに戻った3曲。

ある意味、愛おしい。

 

行けそうな気がします。

このくらいの斜面なら。

 

ASKA

 

 

 

 

速攻、おやすみます。

今日で、11曲のMixが終了いたしました。

ところが、新たな問題が発生。

目の前に置かれた石は、かなりのデカさです。

 

それでも、最後には何とかなるだろう。

何とかしてみせましょう。

 

この話は、明日お伝えいたしますね。

あ〜あ、

眠いぞー!!

 

ASKA

 

 

 

 

いま、ミックスが終わりました。

やっと9曲目まできました。

「未来の勲章」

ありえないトラブルは、乗り越えることができました。

 

見上げるばかりが空ではありません。

地面までが、空のつづきです。

言えば、僕たちは空の中を歩いています。

 

一歩進んで感謝。

一歩進んで反省。

 

最後の一歩で

光の拍手をもらいたい。

 

十分苦しんだとは自分がいうことではありません。

それを口にすれば

「苦しみとはその程度か」と言われてしまいます。

 

失敗をすれば、放っておいても他人が責めます。

そんなとき、

自分が自分を責めつづけては歩けなくなってしまいます。

せめて、

自分だけは自分に優しくしてあげたい。

.

これは、

「自分に甘い」のとは違います。

 

不安がなければ勇気は生れません。

 

空はいつも不安定。

今日、また見えてしまったあの曇り空からは雨が降ってくるのでしょうか。

僕のリュックに傘はあるのでしょうか。

 

雨に濡れながらも

いまは歩くしかないと思っています。

 

人生に、

「ありがとう」と言うために。

 

ASKA

 

 

僕は大事なことを書き落としました。

○○君と、スタジオに籠もったのは2013年です。

僕が事件を起こしてしまう前のことです。

なので、○○君は、一生懸命に仕事をしてくれました。

僕の隣りに座った輝ける若者でした。

 

みなさんの誤解は、○○君の痛みとなってしまいます。

僕の書き落としです。

申し分けない。

 

ASKA

1通のメール

今日、もう昨日になるのか。

18時過ぎに、1通のメールがロックダムを通して送られて来ました。

あるミュージシャンの所属事務所からでした。

とても気持ちの込められた、そして気遣いで埋められた内容でした。

 

今回のアルバム制作で、ひとつの実験をやってみたのです。

若い、実力のあるマニピュレーターとスタジオに籠もりました。

マニピュレーターとは、ステージでも紹介していますが、音楽をデータで表す作業をする人(分かりやすく説明すると)のことです。

ステージ上では「頭脳」、そして「ミュージシャン」として紹介させてもらってます。

僕のメロディに反応した彼は、歌が歌になるように素早く音で包み込みます。

とても刺激的でした。

 

僕は、毎度歌うごとにメロディやコードが変化していきますので、メロディが決まるまでは、黙って見ていてくれてもいいのですが、彼は、何度も何度も僕のメロディを追うように、服を着せ替えて行きました。

彼も、僕の曲ができてゆく様に興味があったようで、コードワークや歌詞についての質問をしてきました。

 

「音楽にとても真っ直ぐな人」

 

というのが、彼に抱いた印象でしたね。

彼の音作りに感心した僕は、言いました。

 

「○○君、データの打ち込み、見事だね。こんな短い時間で。」

「いえ、いえ。」

「ね、プリプロの域を超えてる気がするんだ。もう、これはアレンジだよ。

この曲、アレンジャーを立てないで、ふたりで完成させよう。」

 

この投げかけは、実際のできごととなり、

完成した3曲のうち、2曲が彼との作品になりました。

 

その後、楽器を生音に替える作業では、彼の集めたミュージシャンで場が進行してゆきました。

初めて会う、若いミュージシャンがスタジオに並びます。

僕の知っている空気とは、確かに違います。

ひとりひとりの本気が発揮されました。

簡単な表現ですが、率直に驚きましたね。

こんな素晴らしいミュージシャンが育ってるのかと。

音楽に対してのしつこさは同じでした。

 

まだ、歌詞は無い状態でしたが、メロディとサウンドの絡み合いが気持ち良く、

「この曲はシングルかもしれない」と、密かに思いました。

 

そして今日、

文字とは不思議なもので、その人の感情、気遣いなど、すべてを込めることができます。

メールの内容は、とても紳士的でした。

その上で、「今回のアルバムからは辞退させて頂きたい」との趣旨でした。

若い、そして才能のあるミュージシャンの障害になることは、決して望みません。

今の僕ではないということです。

その判断に間違いは感じていません。皆、誰もが世間の風を浴びながら、その人の歩幅でひとつひとつ前に進んで行きます。

向かい風に、目を細めてしまうのは当然です。

歩く人にとっての、自然な仕草であり、行為だからです。

 

今、僕が浴びているのは「社会の風」です。

 

すべてにおいて、黙することは「正」であり、また「誤」のようです。

答えなどありませんが、答えのようなものはいつも見え隠れしています。

それが、見えているのなら、そこに向かって歩いて行くことは自然です。

自然は作って行くものではありません。

自然は作られて行くものです。

意志だけは手放さず。そして、それを見る人たちによって作られて行く。

僕が自然になるためには必要な過程です。

 

みなさんには13曲とお伝えいたしました。

ミックスダウンはこのままつづけようと思っています。

11月に入れば、また見えて来る景色もあるでしょう。

 

さて、もう一度、その曲を最初から作り直しです。

1月までは、まだ時間はあります。

仲間が居ます。先ほど、その打ち合わせが終わりました。

人生はドラマですね。

見ていてくれる人たちがいれば、そんなドラマも作品となって行きます。

誰かにこう言ってもらえたら、それでいいかな。

 

「あいつ、大股で歩いて行きやがった・・・。」

 

社会の風は、2年後に吹き止むでしょうか。

きっと、そうはならないでしょう。

「今を強く生きる」

「元気か自分」

やはり、これなのだと思います。

 

ASKA

 

 

 

 

Mixが、やっと7曲終わりました。

後、6曲です。

ところが、ここにきてあり得ないトラブルを抱えてしまいました。

お伝えするのは控えますが、

このトラブルは重大でありまして、これによってリリースは1月が濃厚になってしまいました。

縁起を担いでの1月リリースは珍しくないので、それも良しとしなくてはなりません。

詳しくは、またここで紹介させてください。

 

さて、このMixの作業が終わると、

いよいよ最終段階のデジタルマスタリングに入ります。

これは、1枚のディスクにするにあたって、曲の帯域や、ボリューム調整など、

とてもデリケートな作業です。

 

しかし、ここでもコンプライアンスの壁が立ちはだかりました。

マスタリングを受けてくれる会社がないのです。

それでも諦めずになんとかやってみます。

何とかなるでしょう。

いつも最後はそうですから。

 

13曲入りのアルバムです。

どうか、待っていてください。

ASKA

明日から、また始まります。

自宅に戻りました。

 

昨夜は、みなさんが書かれているとおり、ASKAバンドの一木君、そして、古ちゃん(古川昌義)のライブに飛び入りをしました。

 

歌うことは5日ほど前に約束をしました。急遽、「FUKUOKA」のレコーディングが決まった夜のことでした。

電話での 一木君とのやり取りでした。

 

ASKAさん、僕と古ちゃんでライブをやるんですよ。」

「おっ!? いつだ?」

「レコーディング日の2日後です。」

「もちろん、行くよ。」

「一木の歌も、古ちゃんの歌も聴いてみたいなぁ。何時間やるの?」

「ふたりで2時間ほどです。」

「構成はしっかり決まってる?」

「いえ、ダラダラやります。」

「お客さんは?」

「50人マックスぐらいですかね?」

「へぇ。それなら古ちゃんはガットギター入れたばかりだし、覚えてると思うので、オレ、飛び入りして「FUKUOKA」を3人でやろうか?」

「ホントですか!? やりたいです。やりましょう!」

 

7日、古ちゃんの演奏は1時間ほどで終了しました。

「FUKUOKA」の完成です。

終了後、ふたりのライブの話になりました。ふたりがライブでコラボする曲の練習を始めたのです。どうやら、持ち歌を披露した後は、ふたりで井上陽水さんをやるようなのです。陽水さんなら、僕も負けません。

3人で陽水さん曲の大合唱になりました。

それぞれが、陽水さんのマネで歌うので、歌いながら笑いっぱなしなのです。

僕は、「飾りじゃないのよ涙は」が、持ち歌です。

似てると思います。自分で・・・。相当。かなり・・・。

 

「わはは!! ASKAさん、それやりませんか?『FUKUOKA』と、もう1曲やりましょうよ」

「いやいや、ふたりのライブだから『FUKUOKA』だけにしておくよ。」

 

当日、僕は4時間の秘密会議が白熱し、ライブには1時間遅れで駆けつけました。

席に着くと、古ちゃんが若いアーティストをステージに上げ、ギターの弾き方を教えていました。僕も、頷きながらそれを観ます。

 

「バッキングギターはね、弾くだけじゃダメなんだ。弾きながら、同時に自分がドラムになることも必要なんです。ちゃんと、例えばベース弦をドラムのように鳴らしながら、リズムをキープした上で進行していきます。そうすると、聴いてる人も気持ちがいいし、まず、歌い手が歌いやすい。ギターが上手く聴こえるか、聴こえないかは、だいたいここですね。」

 

なるほど・・・。考えたことがありませんでした。古ちゃんの演奏が気持ちいいのは、ここにポイントがあったようです。たいへん勉強になりました。

ふたりの若いアーティストにギターを教えた後、古ちゃんは7曲演奏しました。

ギター演奏だけの曲を3 曲。インストですね。

トミー・エマニュエルを観ているようでした。

オーストラリアが生んだ稀代のギターリストです。

興味のある方は、Youtubeを観てください。

 

「Tommy Emmanuel - Guitar Boogie」

 

そして、歌を4曲。オリジナルはもちろん、エルビス・プレスリー、そしてビートルズの「RAIN」は圧巻でした。元々、ピッチの良いボーカリストでありますので、歌が上手いのは当然なのですが、彼のシャウトを聴かされるのは初めてだったですね。驚きました。

 

そして、一木君。

彼は、福岡県を越えて、多くのミュージシャンが彼の元にボイストレーニングを受けにやってくるぐらい上手いですからね。ミックスボイスも3種類ぐらい使いこなします。

1曲目は、陽水さんの「ジェラシー」でした。

ジェラシ〜♪

 

マネはいいから・・・。

そして、中盤を過ぎた辺りで一木君から、ステージに呼ばれました。

歓声、拍手は、素直に嬉しかったですね。

今回のアルバムは、かつてないほどの苦境に立たされました。仕方ありません。

自分が撒いた種です。

楽曲の多くは、自宅にて作りあげていましたが、やはりギター、ドラム、ピアノ、ベースは生音にしたかったのです。

僕の自宅で鳴らしていた、サンプル音源では、ゴージャスになりません。

スタジオにて、生音と差し替える作業を試みたのですが、都内の何処のスタジオも、コンプライアンスの問題で、僕には貸してくれませんでした。

 

「自分のスタジオがあるじゃないか?」

 

そうです。しかし、スタジオ稼働のスケジュール管理は他社に任せてありますので、その会社のコンプライアンスに引っかかって、結局、自分のスタジオも借りられない状況を突きつけられました。

万事休すです。

その後、いろいろなことがあったわけですが、ここでは割愛します。

 

そんなとき、僕に対してドアを開いてくれたのが、故郷福岡でした。

スタジオは9月22日から25日までの空きしかありませんでした。

ここからが、僕のミラクルです。

ピアノのチカちゃん(澤近)は22日から25まで空いてると。

メッケンは23日から26日。

ドラムの江口は25日から福岡入りなので、23、24日は空いてると。

 

彼たちのスケジュールを押さえるのは、大変なことなのです。みんなが22日から25日に集結してくれることになりました。スタジオとメンバーが、予めスケジュール調整をしてくれていたような出来事でした。

 

そんなことをステージで語りました。お客さんは、一木君の仲間と生徒さんが殆どでした。生徒さんたちは、みなさんスタジオで我々のケアをしてくれました。

13曲目にできた「FUKUOKA」は、ピアノとガットギターだけの編成です。

「ギターでつま弾く感じの曲」と、お伝えしたように、澄み渡るサウンドになりました。

歌詞の中で「僕のニューシネマパラダイス」と、いう一節があります。

これは、映画「ニューシネマパラダイス」のことです。この映画は幼い主人公が、やがて青年になり、恋をし、そして中年になり、老人となって行く人生のドラマを描いたものです。

 

 映画も素晴らしいのですが、挿入されたテーマ曲が心に残ります。とにかく美しい。「FUKUOKA」のイントロでは、その「ニューシネマパラダイス」を、意識したメロディを奏でてあります。イントロだけで、チカちゃんは2時間費やしました。アルバムの入り口を見事に果たしてくれるメロディだと思います。

 

久しぶりのステージ。ハンドマイクを持つ感触。暗がりの視界に映るお客さん。

僕は、大事に大事に「FUKUOKA」を歌いました。

歌い終わって、席に戻ろうとするとき、古ちゃんが、

 

ASKAさん・・・。ASKAさん!1曲ということはないでしょう?」

「え?何?」

「もう1曲やりましょうよ。」

「やりたくても、オレ歌詞知らないよ。」

 

一木君と、この流れを打ち合わせしていたようです。歌詞カードが出てきました。

 

「あ、これなら歌える。知ってるこの曲は。」

 

ピアノから始まるイントロを一木君が弾き、僕は「はじまりはいつも雨」を歌いました。

 

温かいライブだったですね。最後はアンコールで、ふたりが「夏の終わりのハーモニー」を歌いました。

 

マネはいいから・・・。ふたりとも・・・。

そこは違う。もっと鼻にかけなきゃ陽水さんにはならないぞと。

玉置はどこに行った?

 

このライブには、C&Aのファンの方たちも、早くからチケットをゲットされ、来られていました。

 

僕の登場には驚かれたことでしょう。ホントに、電話ででしたが、立ち話のような経緯で決まったことでした。

 

その中のひとりの方から、

 

SNSに、このことを書いていいですか?」

 

と、丁寧に質問をされたので、

 

「任せるよ。」

 

と、答えました。

一木君は、クローズドの出来事にしたかったようですが、こういうことは同じミュージシャン同士だからできたこと。

人生ハプニング。

書かれた方は、どうぞお気になさらずに。

守ろうとしてくれた一木君に感謝。

この出来事を、みなさんに伝えようとしてくれたあなたに感謝。

 

ふたりともに「ありがとう」です。

 

音楽は素晴らしい。

そんな夜でした。

 

明日からは、いよいよミックスダウンが始まります。 

 

ASKA

良い目覚めです。

昨夜は、絢香ちゃんのライブを堪能してまいりました。

本当に、歌が上手いシンガーですね。

低い音域での安定感。ファルセットでの繊細なピッチ。

日本の音楽界を牽引している若いアーティストの実力を見せつけられました。

終始、

「歌うことが好きで好きでしょうがない」

という気持ちが伝わってきましたね。

 

いつか一緒に歌ってみたいな。

 

今夜は、昼からジャケットの打ち合わせ。

夕方からは、密室での重大な会議。

夜は、昨日のアリーナとは一変。

50人入れば満員というライブハウスで、友人アーティストのライブを観てきます。

ASKA

僕はしつこいのです。

先日、完成した「FUKUOKA」ですが、どうしてもガットギターを入れたくなり、急遽、移動、そしてスタジオに飛び込みレコーディングをしました。

古ちゃん(古川昌義)が、駆けつけてくれました。

これで、完成です。

Mix Downは11日から始まります。

そして、CDにするためのマスタリングという行程です。

 

f:id:aska_burnishstone:20161008031435j:plain

 

ホントにお上手でした。

古ちゃんは、少し前、アメリカへ語学留学をしていたのですが、日本から訪れたアーティストにスタジオに呼ばれ演奏したのです。

驚いたのは、アメリカのプロデューサーでした。

彼のプレイに魅せられたプロデューサーは、古ちゃんをスタジオミュージシャンとして招くようになります。

英語の勉強よりも、スタジオ作業の方が忙しかったようです。

今、彼は帰国して絢香ちゃんのツアーを回っております。

早速、ライブを観に行くことになりました。

僕が、日本のアーティストのライブを観に行くのは、

アンジェラ・アキちゃん以来です。

楽しんで来ようと思ってます。

注)写真で古ちゃんが抱えているのは、やはりASKAバンドのコーラス、一木君のフルアコです。

いやぁ、イイ夜でした。

ASKA

ここは僕とみなさんの強い絆の場。

人間の得る情報は、まず目から入ってきます。

聞いたことは、信じる信じないの選択がありますが、視覚からの情報は、見た人の確認となるために、文字を読むということは事実としてセーブされていきます。

それだけ、文字というものには力があり、また危険な要素を多分に孕んでしまうのです。

 

たくさんの人たちがここを訪れてくれています。

業界人の会う人、会う人が、

 

「ブログ、読んでますよ。」

 

と、言ってくれます。

 

僕が「SCOOP!」の話に触れなければ、「SCOOP!」を読んだ人たちの心の中には、ここでは触れないにしろ、もやもやとした気持ちが生まれてしまうでしょう。

これまでの報道で揺れたように。

そういう思いをさせたくなかったので書きました。

 

「SCOOP!」は、僕が覚せい剤を吸引する場面から始まります。詳細に描写してあります。しかし、文春の中村竜太郎氏は、その動画を観てはいません。確かに、彼はそれを観たとは書いていません。後々起こるであろうトラブルを回避するための手法を取っています。

 

「私は観たとは書いていないじゃないか!」

 

しかし、読者には観たのだと錯覚させるように書いています。

これを「未必の故意」と言います。そうなることを、またはそういう心理状態にさせることを分かって、行う犯罪行為です。

 

なぜ、観ていないという確証があるのか。

これは、今はここでは書きません。

出版業界は狭い世界です。僕の「700番」の出版は、彼に遭遇したときに、僕の方から口頭でお伝えしました。

1巻、2巻をすでに描き上げていますので、どういう内容なのかの情報は漏れているでしょう。

知人からは「文春側は、かなりナーバスになっている」との報告がありました。

 

「我々が、書いたことは入念な取材を経てのものであり、間違いはないと断言する。」

 

文春は、記事にしたことの多くが真実ではなかったことを知っています。しかし、書いてしまった以上、それを真実として貫き通すしかないのです。

 

例えば、

「○○は、あんなことをやってるよ。」という情報を得たとします。しかし、

「○○は、そんなことはしないよ。」

という、話も聞かされます。

しかし、記事では「やってるよ」の方を優先します。

そして、「入念な取材によって証言を得ている」と、なります。

確かに、そういう情報もあったわけですから、嘘ではありません。

 

ASKAが幼少の頃住んでいた北海道時代の同級生がヤクザになって、後に札幌で偶然遭遇して仲良くなったんだ。」

 

これが、嘘であることを文春は知っています。しかし、聞いたという事実があれば、そう書いた方が面白いのです。

 

以前の自分たちが書いたことに間違いが無いことを強調するために「SCOOP!」では、再度そう書きました。書いてあることのすべては、そういう具合です。

 

彼は、文春を退社しましたので、もう文春とは関係のない立場に居るように見えますが、フリーになった今も文春に身を置いています。社外スタッフです。

 

僕は犯罪を犯しました。これは一生背負って行かなければならない事実です。「犯罪者に発言は与えない」という論理を押し通しす、またはプロモーションを展開するでしょう。

自分たちを守るには、もうそれしかないのですから。

 

どんな人間であれ、生きる権利はあります。

その権利を、偽ジャーナリズムで潰そうとする行いに、目を背けるわけにはいきません。

 

昨日「700番 1巻」の表紙の第一項が上がってまいりました。

「SCOOP!」が、漫画であることを証明してみせます。

僕が、音楽をやるためには、避けてとおれないできごとなのです。

大丈夫ですよ、みなさん。

心は平安です。

不安な要素は何もありません。

ASKA

ありがとね。

たくさん心配してくれて。

 

ぜんぜんムキになどなっていませんよ。

目の前に撒かれた小石は跨いで行きますが、道を塞ぐような石はどけねばなりません。

僕は、音楽をやることに集中しています。

集中の邪魔をされるようなら、向き合わねばなりません。

 

夕べ、本を読みました。

中村竜太郎、カッコ良いこと言ってますね。

長いことこの仕事をやっていると、出版業界にもたくさんのお友だちがいます。

たくさんの情報が入ってきます。

 

これは大して大きな戦いにはなりません。

みんさんの仰るとおり、それほど僕が正面に出て行くほどでもないでしょう。

こいう言葉があります。

 

小さな戦いはしょうがない。

大きな戦いを避けるため。

 

早めの対処が、それに当たります。

ASKA